Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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聖アウグスティノ:天主の国は、天主を愛するが為に自分を軽蔑するほどまでの愛によって立てられた。

2021年09月10日 | お説教・霊的講話
2021年8月28日(土)司教証聖者教会博士 聖アウグスチヌスのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は聖アウグスチヌスの祝日ですから、この教会博士が黙想した事を私たちも少し黙想しましょう。

聖アウグスチヌスの生涯、その回心、あるいはその教えは、本当に多岐に渡っていて、私たちに教えるものが多くあります。

今日は一つだけ、その有名な著作『天主の国』、神の国と訳されている著作の中で、人間の歴史を黙想しながらこう言いました。

「この世には、二つの国がある。一つは天主の国で、もう一つは悪魔の国だ。
天主の国は、天主を愛するが為に自分を軽蔑するほどまでの愛によって立てられた。
悪魔の国は、自分を愛するがあまりに天主を軽蔑するほどまでの自己愛によって立てられた。」

まさに人類の歴史が、この言葉に要約されています。

天主の国、つまり天主が私たちを創造して創って、そして私たちに与えようとしているのは、この平和と、愛と、喜びと、秩序のある天主の国です。その天主の国の最も大切なのは、天主の御計画です。

天主が私たちにどのようなプランで、私たちを幸せにして下さろうとしたのか、それに従ってそのプログラムに従って、私たちが幸せに、幸福に、満足の内に生活して、そして永遠に生活、永遠の命を楽しむ事です。

この永遠の命を楽しむ事を目的として、究極の天主の国を目的として、今この世の政治があります。この世の国があります。この世の国は、私たちが永遠の命を受ける事ができるように、より良くそれに到達する事ができるように従属して、その為にあります。

ですから私たちが男と女に生まれたのも、あるいは家族があるのも、あるいは国家というものがあるもの、あるいは私たちがこのようにして生きているのも、全て「永遠の天国の為に」という目的に従属しています。これを手段として生きるように。

この地上の国は、うまく生活する事ができる為の手段として、あるいは技術があったり、あるいは科学知識があったり、あるいは経済があったり、あるいはその他のものが従属しています。全ては手段です。その私たちの生活がうまくいく為に、手段として、お金も必要だったり、あるいはその他のものがあります。

究極の目的は天主の御国であって、私たちの永遠の命です。カトリック教会はいつもその事を教えてきました。

ところで、その天主の国に行く為には、私たちは時には、自分のわがままや、私のやりたい事を犠牲にして、天主のプログラムの通りにしなければなりません。何故かというと、まさにそこにこそ本当の幸せの道があるからです。

お母さんが朝、子供に、たとえどれほど素晴らしい夢を見ている子供だったとしても、その夢の中でこの子供は王様であって、世界を支配していて、それでもうこの夢の中では自分の思い通りの事をしている夢を見ていたとしても、子供に、「さぁ早く起きて、お祈りをして、一日を始めないと」と起こさなければなりません。たとえ子供が、「あぁ、せっかく良い夢を見ていたのに…」と言っても。

ところでその代わりに、別の「神学」があります、間違った「神学」があります。それは真の天主三位一体イエズス・キリストの教えの代わりに、自分を神として祀る、自分の欲望や自分のやりたい事をその代わりに置く、偶像化する、といういわば「神学」です、あるいは無神学です。

その元にあるのは、「私たちは、全ては私の思いの通りに、私がやりたい通りに従属させなければならない。天主でさえも私のしもべとならなければならない」という事です。「私のやりたい思いの前には、望みの前には、道徳も、法律も、自然法もない」というそういう考えです。

その考えに究極に行き着くように、歴史上、人間は色々な反乱を起こしました。
まず、宗教を、カトリック教会を破壊しようとした、マルチン・ルターでした。
次に、政治を、キリスト教の王国を破壊しようとしたのが、フランス革命でした。キリスト教の王国では、天主の御国が最終の目的で、国家とはその目的のためにある手段である、と考えていました。

次に経済が目的に置かれました。手段だったお金が目的になりました。お金持ちが「全てはお金で解決できる」と思ったからです。そして「国境も法律もなく、全てが自由に、お金が最大に儲かる事ができるように、全ての規制を取ってしまおう」という考えが生まれました。「全てがお金で支配される。政治家の投票も、選挙も、あるいは政治家の方針も、あるいは科学者が言っている事も、あるいはテレビでやラジオで言う事も、あるいは人間の労働力も肉体も、あるいは人間の命さえも、みんなお金で解決しよう。みんなお金が欲しいから、お金で全てを買ってしまおう。お金が全てだ、お金を支配しよう。」

人間が結局、天主のようになろう、天主の如くなろうと思えば思うほど、奴隷となってしまいました。イエズス・キリストが言われる通り、人は、天主とマンモンという二人の主人に仕えることはできません。

聖アウグスチヌスはその事をよく見ていました。だから「人間が思い上がれば上がるほど、それは悪魔の国となってしまって、人間は悪魔の奴隷となってしまうのだ。人間がもしも自分を軽蔑して、天使の御国の為に自分を無にしようとすればするほど、私たちは天主のように高められて、遂には天主と同じような命を受ける、これこそが天主の御国だ。」

では愛する兄妹の皆さん、今日聖アウグスチヌスに是非お祈りしましょう。その御取次ぎによって、私たちの知性が照らされますように、益々照らされますように。

そして聖アウグスチヌスが言ったように、「あぁ、私が主を愛したのは遅かった、“Sero te amavi”こんなにも永遠の昔からの美を、私が知るのはあまりにも遅かった!しかし、今からでも主をお愛し申したい、非常に遅れたけれども、主を愛したい、全てを超えてお愛し申したい」と申し上げましょう。

マリア様の御取次ぎによって、私たちが聖アウグスチヌスに倣って、今まであまりにも冷淡で無関心でしたけれども、聖アウグスチヌスのように大きな愛を以って、主を愛する事ができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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