2021年5月16日(主日)御昇天後の主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さん、来たる次の主日は、聖霊降臨の主日で、教会の聖伝によると、その前日の土曜日には大小斎を守ります。
今ではその義務は無くなってしまいましたが、聖霊降臨の賜物を乞い願って、聖ピオ十世会の司祭はそれを守る義務があります。もしも皆さん、それに一緒に捧げたいと思うのでしたら、どうぞそれを御捧げ下さい。
先週の木曜日、数日前の木曜日に、御昇天の大祝日に、私たちの主は御自分の力で天に昇られました。ですから今日は復活のローソクはありません。「イエズス様が天に昇られた」という事を示しています。
ではイエズス様は天に昇って、使命は終わった、ほなさいなら、もう私たちの事をすっかり忘れてしまったのでしょうか?
そうではなくて、私たちに聖霊を送ろうと、天主の愛を送ろうとされています。
もしも私たちがたった1人、この世の中で孤独だったら、友達がいなかったら、お父さんお母さんがいなかったら、たった1人だったら、私たちはどれほど寂しい事でしょうか。
イエズス様は私たちに、私たちのすぐ傍に、私たちの心の中に、御自身の愛を送って下さいます。天主の愛、聖霊です。
その木曜日の後に、イエズス様の命令に従って弟子たちは、マリア様を中心にエルサレムに戻って、お祈りをしました。聖霊降臨の準備を致しました。
私たちも今、その時です。
もしも私たちが暗闇にいた時に光があり、どうして良いか分からない、疑われる時、真理の光が輝けば、またどっちを選んだら分からない、という時に、「こうしなさい」という的確なアドバイスがあれば、どれほど助かるでしょうか。
その時、それはどんな学者や、先生や、どんなに知恵のある人よりも、もっとすばらしいアドバイスが与えられたら、どれほど私たちはそれを貴重なものと考えるでしょうか。
聖霊は私たちの為に与えられます。私たちがいつも正しい道を、良い善を選ぶ事ができます。それのみならず、分かった善を実行する事ができるように、力も与えてくれます。
聖霊降臨のその日には、弟子たちは外へ出て、イエズス・キリストを宣教、勇気を持って宣教し始めました。その時には、多くの人々が驚いて、「あっ、あの田舎者だったのに、学問がなかった人ではないのか?何でこんな言葉を話しているのか?」
その聖霊は私たちにどうしたら与えられるでしょうか?
マリア様を通して求めて下さい。なぜかというと、弟子たちも、マリア様を囲んで聖霊降臨の準備をしていたからです。
私たちが求めれば求めるほど、準備すれば準備するほど、それだけ与えられます。特に私たちが堅振の秘跡を受けたので、それによって与えられます。
私たちがもしも聖霊の御恵みをよく受ける事ができないとすれば、それは私たちが準備をしていなかったからです。それを、聖霊を乞い求めていなかったからです。
しかし、もしもちょうど畑を耕して、肥やしを撒けば良い食物が育つように、私たちの心がもしも聖霊を望めば望むほど、多くの恵みを受けます。
今まで私たちは、聖霊のその御恵みの大切さ、その価値を知らなかったかもしれません。「天主御自身が、私たちにプレゼントとして、贈り物として与えられた」その素晴らしい価値を、「天主の愛が私たちに与えられる」という事を気が付かなかったかもしれません。
聖霊がどれほど貴重なものか、それが尊いものか、私たちはそのお金では買える事ができないその貴重な宝物に、心から感謝致しましょう。
聖霊の恵みを受ける事によって、私たちはますます天主の子供であり、主は私たちの愛すべき聖父である、という事をますます深く理解できますように、またこの世のものが、実は罪の機会、多くの場合罪の機会である、という事を深く理解できますように、主の御旨を果たす為の力が与えられますように、聖霊を受ける事によって、私たちが隣人に対してますます柔和でなければならない、という事を、また互いに愛さなければならない、という事を、また主の深い神秘の中に深く入る事ができるようになりますように、そしてそれを味わう事が、そして遂には、全てを天主を中心にして秩序を立てる事ができるようになりますように、聖霊の多くの賜物をそれを乞い願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。