Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ああキリスト信者よ、私の民よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ。

2021年04月08日 | お説教・霊的講話

十字架の道行き 2021年の聖金曜日

ドモルネ神父

Popule meus, quid feci tibi? Aut in quo contristavi te? Responde mihi.
ああキリスト信者よ、私の民よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ。

はじめの祈り

ああ、私の天主よ、あなたは無限に善きお方です。私に賜物をお与えくださるのは、あなたの喜び、あなたの栄光です。私は絶えずあなたに感謝すべきです。常にあなたのお望みになることを行うことに、私は喜びを見いだすべきです。しかし、悲しいことに、私はひどく盲目です。ひどく利己的です。罪を犯し続けています。あなたは私に善きことをなさいますが、私はそのお返しにあなたの御怒りを招き続けています。何という恩知らずでしょうか。ああイエズスよ、恐れ多いことながら、私の固い心を和らげてください。私のすべての罪のために、本当に、そして強く悲しむという恩寵をお与えください。


1.イエズス、死刑を宣告され給う

「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。Popule meus, quid feci tibi? Aut in quo contristavi te? Responde mihi.
(聖金曜日のとがめの交誦を参照)

私は、おまえへの愛のゆえに、洗礼によっておまえに天主の子としての尊厳を授けた。おまえに天国の永遠の幸福を差し出した。しかし、おまえ、おまえの大罪によって、おまえは私を、残酷かつ不当な死に渡したのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。


2.イエズス、十字架を担い給う

「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、洗礼によっておまえを私の神秘体の一員とした。私はおまえに私の天主なる体を授けた。しかし、おまえは冒涜し、反抗し、信仰を疑うことで、私が背負った十字架を用意したのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

3.イエズス、はじめて倒れ給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、洗礼によっておまえを聖霊の神殿とした。おまえに聖霊を送り、聖霊がおまえを聖性へと導くようにした。しかし、おまえ、おまえは私の恩寵を拒んだ。おまえの生ぬるさ、不注意が、私に重荷を負わせた。おまえが私を、十字架の下に倒れさせたのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

4.イエズス、悲しみの御母に会い給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、おまえに私の母を与えた。私の母を通して、おまえにあらゆる恩寵を与えるのだ。しかし、おまえ、おまえは誘惑のとき、祈るのを怠った。おまえはこれまで、信心も敬意も持たずに祈ってきた。おまえが、私の母と私をひどく苦しめてきたのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。


5.シレネのシモン、イエズスが十字架を担い給うを助け奉る
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、司祭職をつくった。私の司祭たちを通して、私はおまえのそばにおり、おまえに教え、慰め、励まし、赦している。しかし、おまえ、おまえはこれまで、苦しんでいる隣人への愛徳に欠けていた。おまえは、災いにある人々を助けないよう、心を固くしてきた。このために、おまえが、私の十字架をさらに重くしているのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。


6.聖ヴェロニカ、イエズスの御顔をぬぐい奉る
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、特別な恩寵によっておまえに信仰を守らせてきた。教会は大きな危機で揺れている。多くの人々が信仰を失った。しかし、私はこの危機のただ中においても、おまえに信仰を保たせてきた。しかし、おまえ、おまえは私のことを恥じてきた。私を迫害する人々の前で臆病者になってきた。人間を尊重することで、おまえが私を、敵のつばきや殴打に引き渡したのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。


7.イエズス、二度目に倒れ給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、おまえに良い健康と良い特質を与えた。しかし、おまえ、おまえは特に家族の中で、自分の身分に応じた義務を果たすのに怠惰でおろそかになっていた。おまえが、この二度目の苦痛をもたらす転倒を引き起こしたのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

8.イエズス、エルザレムの婦人を慰め給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、人間的な、また超自然的な慰めをしばしばおまえに与えてきた。まことのキリスト信者として生きるように励ましてきた。しかし、おまえ、おまえは不注意だった。おまえは安易な生き方を望んだ。おまえは、自分の子どもたちを善きキリスト信者にしようという熱意を十分に持っていなかった。子どもたちを十分に注意して見ていなかった。子どもたちを正そうとしなかった。このために、私は子どもたちのことを嘆いたのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

9.イエズス、三度目に倒れ給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、おまえが隣人を愛するのを助けるため、毎日多くの恩寵を与えている。しかし、おまえ、おまえは噂話をする。軽率な判断をする。長上を批判する。おまえが、ひどい重荷を私に負わせ、私をもう一度十字架の下に倒れさせたのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

10.イエズス、衣をはがされ給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、おまえが私の完徳と私の愛徳を見ることができるよう、人間の体をとった。しかし、おまえ、おまえは慎みを欠いてきた。おまえは、不純な思いを抱いた。おまえは、罪の機会を避けなかった。おまえは不純の罪を犯した。このようなすべての罪によって、おまえが私を、恐ろしい鞭打ちと、衣をはがされるというこのひどい仕打ちに引き渡したのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

11.イエズス、十字架にくぎ付けにせられ給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、33年間おまえたちの内に暮らした。私は謙遜と従順の良い手本を示したのだ。しかし、おまえ、おまえはうぬぼれ強く、気難しく、高慢だった。おまえが私に、いばらの冠をかぶさせたのだ。おまえが私を、恥辱の十字架にくぎ付けにさせたのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

12.イエズス、十字架の上に死し給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、ミサを制定した。ミサのたびに、おまえの前で、私は十字架上の犠牲となっている。ミサを通して、おまえは、父に対する私の礼拝、感謝、償い、嘆願に加わることができる。しかし、おまえ、おまえは信心なしにミサに参列している。おまえは、世の虚しきことに気を取られて忙しくしている。おまえはミサに遅れて来る。ミサには、強いられて来るだけだ。おまえは、私の犠牲から逃げているのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

13.イエズス、十字架より降ろされ給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、おまえの人生において、ある十字架を定めた。私は、おまえの人生に、苦しみや試練が起こるのを許した。それは、おまえをこの世への愛着から引き離し、おまえを清めて聖化するためである。しかし、おまえ、おまえは不平をつぶやく。短気になる。怒りを感じる。復讐を考える。私の遺体を受けたときの私の母を見よ。おまえのため、おまえを愛するがために、私の母は非常に苦しんだのだ。しかし、母は不平を言わなかった。私の母の心は、おまえへのあわれみに満ちていたのである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

14.イエズス、墓に葬られ給う
「ああキリスト信者よ、私はおまえに何をしたか、何をもっておまえを悲しませたか。私に答えよ」。
私は、おまえへの愛のゆえに、おまえがこの世で生きている間おまえを助けるために、聖人たちを任命した。この聖人たちの筆頭は、私の母である。もしおまえが良い読み物や祈りを通して、彼らともっと共に生きたなら、おまえは彼らをもっと知り、愛することができるだろう。彼らに倣おうと努力したならば、おまえはもっと徳を積み、それほど多くの罪を犯すことはなくなるはずである。
「ああキリスト信者よ、私がおまえのために、さらになすべきであったのに、なさなかったことがあるか」。
ああ、私の救い主よ、私は自分の忘恩とすべての罪を、心から悔やみます。私をあわれんでください。御赦しを請い願います。私が主を、もっと強く愛するようにしてください。

おわりの祈り

ああイエズスよ、私は自分の罪を深く痛悔します。あなたは私に、雨あられのように多くの賜物を授けてくださいました。しかし、私は恩知らずで気まぐれな子どものように振る舞ってきました。謹んで、お赦しを願います。これからは、あなたが私に授けてくださったすべての賜物を、毎日思い起こしたいと望みます。毎日あなたに感謝したいと望みます。喜びをもってあなたにお仕えしたいと望みます。私の善き母なるマリアよ、私がもっともっと天主をお喜ばせするようにお助けください。アーメン。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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