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秋田巡礼-霊的講話【4】-2018年5月4日シュテーリン神父様「マリア様は、この世界に本当の平和の秩序を与える事ができる:マリア様がファチマでなさったこと」

2018年06月09日 | お説教・霊的講話
2018年5月4日 秋田巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【4】
「マリア様は、この世界に本当の平和の秩序を与える事ができる:マリア様がファチマでなさったこと」
同時通訳:小野田圭志神父



平和の象徴として色々なものがありますが、1つには鳩があります。ノアが方舟の中で、洪水が終わったのかどうかという事を知る為に鳩を放した時に、「鳩は緑の葉っぱの付いたオリーブの枝を持って来た」ので、その時から平和のシンボルとして使われます。

昨日私たちは、ポルトガルという国において、マリア様が非常に短期間の間にキリスト教的な平和をもたらした、という事を見ました。

ではポルトガルの人々は、どうやってファチマのマリア様と接触をしたのでしょうか?2つのやり方でした。

まず第1には、「巡礼」でした。毎月13日に、ポルトガルの人々はファチマに巡礼にやって来ました。

もう1つは、「マリア様の御像が訪問した」という事です。

御出現の数年後、ある司祭は、「私たちがマリア様に行くと同時に、マリア様にも私たちの所に訪問してもらおう」というアイデアを持ちました。マリア様の御像はファチマを出て、色々な各地をご訪問して回りました。ポルトガルのみならず、マリア様の御像は世界中を訪問しました。

2年前、私たちはこの小さなマリア様の御像が村々に入って訪問した時に、家庭に入って訪問した時に、どれほどの事をする事ができるか、と想像する事もできませんでした。ポルトガルの村々はマリア様の御訪問によって、全体が、全く道徳的に回心しました。

マリア様は、その他の奇跡も行いました。これは鳩の奇跡です。多くの御像には、マリア様の足元に鳩が付いているものがあります。この奇跡は、最初にマリア様がファチマからリスボン(ポルトガルの首都ですが)に行くまでに起こりました。リスボンの大司教である枢機卿様ご自身が、この奇跡について語っています。

どこからともなく、知らない鳩が、マリア様の御像の所に留まって来たのです。マリア様の足元の所に座って、そのままじっとしています。一羽ではなくて数羽。その巡礼者が「シッシッ!」と言って、鳩を追いやるのですけれども、また戻って来るのです。

普通、ちょっとした雑音とか音を出すと、鳥は恐れてどこかに行ってしまいます。マリア様の御像の前で、色んな歌とか、音とか、色んな事をするのですけれども、鳩はそのままマリア様の足元にずっと留まっているのです。

特にこのポルトガルでは、御聖体に私たちがよくするように、花の花びらを集めてマリア様の所にふりかけるのです。すると毎日のようにこの鳩は、花びらのシャワーを浴びていたのです。でも動こうとしません。

12月、非常に気候の寒い時、12月の寒い気候の間に、何百キロとマリア様と共にこの鳩はずっと付いて、留まって、歩いて行きました。この普通では考えられません。同じ事が、ポルトガルだけではなく、他の国々にも起こりました。

それでその鳩を追いやろうと色々試みるのですけれども、できません。必ず戻ってきます。そこである人は研究しました。分析をして、「一体どこの国で鳩が現れたのか、どこの国で現れなかったのか」すると鳩は、カトリックの国で現れたそうです。大多数がカトリックでない所では、鳩は現れなかった。

もしも私たちがこの事を解釈するならば、この「鳩」というのは「平和のシンボル」ですから、「マリア様は私たちの霊魂、家族、国に平和を、御自分の平和を与えたいと思っている」という事です。

ポルトガルだけでも、ファチマがどれほど重要か、という事を理解するのに十分ですけれども、しかしこの秋田の巡礼に来られた皆さんが、巡礼に来た実りとして、ますます大きな信頼をマリア様に寄せる事ができる為に、この話をしたいと思います。

ファチマの御出現から今現在まで、100年経ちました。この100年を2つの部分に分ける事ができます。御出現の直後の50年と、その後の50年に分ける事ができます。

最初の50年は、ファチマのマリア様の凱旋でした。まずピオ十二世教皇様がご自身でなさったこのファチマのマリア様の祝福の為に、多くの実りがありました。ご自分自身の事を「ファチマの教皇」と言っていました。

5月13日の最初のファチマの日に、実はローマでピオ十二世教皇様は、司教様として聖別されていました。第二次世界大戦の間、「この戦争を終わらせる為には、マリア様の汚れなき御心に奉献しなければならない」という事を知っていました。このピオ十二世教皇様がなさった汚れなき御心への奉献は、世界中にファチマのマリア様の事を知らしめました。教皇様は世界中の司教様たちに、また司祭たちに、「教皇様ご自身と心を合わせて、この奉献をするように」と招いていました。

私たちの聖ピオ十世会の『CHRISTIAN WARFARE』というお祈りの本には、このお祈りが載っています。とても美しいお祈りです。この聖別のこの奉献の祈りによって、教会の中に大きな霊的な刷新が行なわれました。それはロシアの奉献ではなかったのですけれども、「全世界と教会を、マリア様の汚れなき御心に奉献する」という事でした。

その奉献が終わった数年の後の、教皇様の書いた回勅、あるいは教皇様の指導、あるいは教会での発展というものは、目を見張るものがあります。 その教皇様のなさったお話や講話や、全集という物がありますけれども、それを読むと教皇様がどれほど多くの実りをもたらしたか、という事が分かります。

第二次世界大戦によって、多くが崩壊されて壊されてしまった只中で、教皇様の指導によって霊的な刷新と、大きな盛り上がりがありました。今でも、私たちがこの霊的な糧として使っている、その時代に書かれた教皇様の書いた回勅は、非常にしっかりとした教義の本、回勅です。その現代に合っている、非常に深い、伝統的な、聖伝に合った、近代主義の誤謬をはっきりと指摘する教えが、その時にその時代に述べられました。

1947年には、聖マリア・グリニョン・ド・モンフォールや、あるいはカタリナ・ラブレを列聖しました。つまりピオ十二世教皇様は、「マリア様のまことの信心、自己奉献、あるいは不思議のメダイは真である」という事を促進したのです。

1950年は聖年でした。 1950年にはこの聖年において、教皇様はその現代における最後のドグマの宣言をしました。「マリア様の被昇天」のドグマが宣言されました。1950年同じ年に、聖ピオ十世教皇様の書かれた物と同じ題に沿った、近代主義を排斥する回勅を書かれました。

マリア様、ファチマのマリア様に対する信心、それを促進させる、皆に勧めている事によって、教皇様はその当時、全世界に光り輝く指導者となりました。教皇様としてのその使徒職を通して、多くの人々がマリア様とイエズス様に近寄ってきました。特にこう新しく結婚した人々に対する講話が有名です。ピオ十二世教皇様のこのお言葉ほど、新しく結婚して家庭を作ろうとする人々に対する励ましのものはありません。

同時に「新近代主義者」と言われる人たちが教会の重要な地位を占めつつありました。しかし、教皇様はそれに抵抗して、「教会の教えはこうだ!」といつも示してきました。

また教皇様は、「教会とは一体何なのか」あるいは「聖伝の典礼は何なのか」という事を教えました。エキュメニズム、「本当のエキュメニズムとは何か」という事も教えました。本当のエキュメニズムというのは、「カトリック教会の元に、多くの人々を呼び寄せる」これが本物のエキュメニズムです。

共産主義も排斥しました。反キリスト教的な運動を全て断罪しました。

ピオ十二世が真の道を進めば進むほど、多くの敵が反対しました。したがって教皇様は、いわば孤独な、一人ぼっちに立たされた教皇様でした。教皇様はバチカンの内部においての裏切りや、あるいは陰謀なども見出しました。その時にすぐに教皇様は、マリア様の元に避難所を見出しました。

これは1952年まで、このように続きました。

ところが、1952年になると、知らない内に信じられない事が起こってしまいました。これがファチマの歴史の第2部が始まる事です。これについては後にお話します。

スペインに話を移します。スペインでは1947年から、スペインの各地をマリア様が回って訪問しました。この情景を見た人は口を揃えて言います、「スペインでは、このような事はかつてなかった。」

マドリッドの司教様はこのように感謝のお礼の手紙をしています、「マリア様の御像が私の司教区に入った途端、人々の霊魂を魅惑した。10万100万の人々のみならず、それ以外の無神論者や、信じていない、信仰を失った人たちをも惹きつけた。信仰を失った人、あるいは共産主義や社会主義の手に入ってしまったような人たちがまた戻ってきた。マドリッドでこのような事を見た事がなかった。」

司教様の話によれば、「全国で国中で、人々の話はマリア様の事だけだった。数え切れないほどの奇跡や、数え切れないほどの回心が起こった。マリア様が御訪問なさった9日間の為に、私の使徒職、25年の司教職を与える、それと交換できる。司祭たちは告解の行列があまりにも長かったので、告解場でほぼ死なんばかりでいた。マドリッドの近郊にある主任司祭は私にこう言った、『15年、20年、30年以上告解に来ていなかった、という人が告解に来たけれども、その告解の人々のそれが40%に上った。』」

1954年には、フランコ将軍によるスペインの国家のマリア様への奉献がなされました。同時に、ローマとスペインの間に政教条約が結ばれて、その条約の中には、「スペインの唯一の宗教は、カトリック教会である、カトリック宗教である」と書かれました。

フランスの話もさせて下さい。フランスではもっと良い話があります。1943年、第二次世界大戦の間、フランスの司教様たちは、各地で自分の司教区をマリア様の汚れなき御心に奉献します。この事を転機として、フランス国内で『大立ち戻り』という名前の運動が行なわれ、天主の元に立ち戻る、これはフィリピンで行なったマリア様の行列のフランス版です。

5年間の間、16000の小教区をマリア様が巡礼して訪問しました。正確に5年の間、60ヶ月の間、40から50名の司祭に囲まれて、マリア様は巡礼しました。一緒にこう付き添った司祭たちは、どこに行っても告解を聞くので忙しくて、自分の時間がありませんでした。それはちょうど17世紀に、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ以来見た事がなかったような、カトリック信仰への立ち戻りがフランス国内でありました。

1947年、マリア様の御像はアメリカに行きます。マリア様がファチマに行った時に、コルゲン神父様と、あとジョン・フェファーという平信徒が『ブルー・アーミー』を作りました。このブルー・アーミーというのは、マリア様の運動の歴史の中で、世界最大のものです。フルトン・シーン司教様というのは有名な司教様ですけれども、マリア様の使徒となって、マリア様の事をアメリカに知らせました。このファチマのマリア様のおかげで、今までアメリカが見た事もなかったような、10万人あるいは何十万人もの人々が、大人が、カトリックになって回心して、洗礼を受けました。

1959年には、ブルー・アーミーの会員は5000万名になりました。1956年には、ブルー・アーミーの本部は、ファチマのアリア様の聖地のすぐ隣に作られました。

1946年以後、ファチマのマリア様の御像は世界中のどこでも行くようになりました。ポ-ランドやフィリピンにも御像が訪問します。47年にはカナダやベルギーあるいはハンガリー、49年からはアジアの各地を回りました。

私の話をします。もう皆さんもうご存知だと思いますけれども、アフリカの宣教師として働いていた時があります。私たちがその宣教を始めたばかりの時に、ある司教様がやって来ました。それはガボンでのミッションを始める時ですけれども、その訪問して下さった司教様はルフェーブル大司教様の教え子でした、それはシリアコ・バンバー司教様でした。ルフェーブル大司教様の弟子、子供たちに挨拶をする為にやって来たのです。

1987年にこの司教様が訪問して下さったのですけれども、その時私は司教様と色々な話をしました。お話の種が尽きそうな時に、私はこんな質問をしました、「司教様、司教様の司祭としての生活の内で、一番素晴らしい出来事は何ですか?」そのお話をした部屋には、小さなファチマのマリア様の御像がやっぱりあったのですけれども、その時の様子をまだ昨日であったかのように思い出します。

すると司教様は、「このマリア様こそ、私の司祭としての一番大きな出来事だった」と言います。

「それは、ファチマのマリア様の御像が初めてガボンにやって来た時で、私はランバレネという村の小教区の主任司祭でした。ランバレネというのは世界中で有名な村で、なぜかというとシュバイツァー博士がそこで働いていたからです。そこでそのランバレネの村では、ほとんどがプロテスタント、あるいは異教徒で、カトリックは本当の少数でした。」

司教様の話によると、マリア様の御像がランバレネにやって来て、2週間留まったそうです。毎晩のように聖母の行列をやったり、あるいはマリアの歌を歌ったり、お祈りをしたりして、色んな事がされました。それで毎日司祭は、「あれ?一体どこからこんなにたくさんの人が来るんだろう?」と思いました。来る人はほとんどがカトリックじゃないのです。プロテスタント教区の教会から来る人や、あるいは信仰のない人、異教徒の人がやって来ます。プロテスタントの牧師さんが、「あっちに行ってはいけない!」と言うのですけれども、皆行っちゃうのです、マリア様が引き寄せてしまいました。

私の前の司教様は目に涙を浮かべて、「私は司祭としてこのような事を見た事がなかった。1日前、めでたしの『め』の字も言うのを拒否したこのプロテスタントの人たちが、マリア様の歌を歌って、讃美歌で『マリア様は素晴らしい!』と、皆で声を合わせて大きな歌を歌っているのです。いくらお願いしても、教会の中に足を一歩も踏み入れる事を拒否したような異教徒たちが、教会の中に入ってマリア様を讃美している。」ですから、司祭と神父様が教会に入る事さえも、最後には入ることさえも難しいような人だかりになってしまいました。

その年の終わりには、カトリックの人口がプロテスタントよりも上回ったそうです。他の年よりも洗礼の数が10倍に増えたそうです。ちょうどマリア様が磁石でこう引き寄せたように、今私が言う事を誰も信じないかもしれませんけれども、私も信じられない事が起こりました。

その前は本を書いたり、色々討論をしたり、プロテスタントの人たちに説得したりしましたが、何も起こりませんでした。でも今回は、何も仰らない小さなマリア様の御像を置いただけで、人々が集まってきて回心しました。

私はその話を昔、司教様から直に聞きました。その後に色んな証言を読んで、世界中どこでも同じ事が起こった、という事が分かりました。

ちょうど1年前、フィリピンで同じ事が起こりました。ファチマのマリア様の御像をとって色々な所を訪問して回りました。有名な「マリア様のミッションツアー」というものです。

もしも私たちがその所に行ったとしても、挨拶もしません、全く私たちは無視されて当然の存在です。フィリピンで不道徳がもう各地に這っています。「私たちが巡礼をしてまわったら、もしかしたらマリア様を知っている人が、少しは気にかけるかもしれない」と思って始めました。

私たちがこう始まって2つの町、2つ目、3日目の村を行った時に、村長さんとか市長さんとか、あるいは学校の校長先生とか、色んな所の人が、「マリア様、ここを訪問して下さい。ぜひこっちに来て下さい」とお願いをされました。この村や町や地域や学校を、聖母の汚れなき御心に奉献するのです。

イロイロではこんな事がありました。ダニエルス神父様はこういう話をしてくれました。

県庁知事に当たるような方ですけれども、1つの州のそこのガバナーと言いますかトップの人に、神父様が、「どうぞこの州を地方をマリア様に奉献なさって下さい。どうしたら良いかというと、このお祈りをすれば良いのです。」といいました。

「え?このお祈りちょっと見せて下さい」と言って、この祈りを見ると「あぁ、このお祈りをする事はできない。なぜかというと、『私は、フリーメイソンの回心の為にお祈りします』と言う事は、これはできない。私はフリーメイソンだから。」

ダニエルス神父様はマリア様にお願いしたそうです、「助けて下さい。」

「でも県庁知事、これはあなたの個人的なお祈りではなくて、知事としての公的なお祈りですから大丈夫です。」そうすると知事は、「あぁ、その通りだ。私はしよう。」

このフリーメイソンの知事が、この県の職員が皆マリア様の御像に跪いて、このお祈りをして奉献したのです。

ダニエルス神父様のその奉献式の後で、「カルメル山のマリア様のスカプラリオの着衣式をするのはどうか」と言いました。

県知事は、最後の最後まで最後まで、ずっと立って待っていました。県の職員、皆にスカプラリオをやって、最後に県知事の方にやって来ます。

県知事の前に行った時に、ダニエルス神父様は、「マリア様、助けて下さい」と言ったそうです。ダニエルス神父様は自然に、「これは、マリア様からあなたへのプレゼントですよ。」

すると県知事は目に涙を溜めて、跪いて、スカプラリオの着衣式を受けました。

その後で県知事はダニエル神父様に何と言ったか知っていますか?

「あぁ、私フリーメイソンになっちゃいけないと初めて聞きました。でも私の同じこのフリーメイソン同僚の中には、司教様や神父様もいらっしゃるのですけれども、初めて聞きました。」

もしも司教様や神父様たちがフィリピンに行って、ファチマのマリア様の事を少しでも皆の前に話をしたら、今頃フィリピンは全部がカトリックになっていた事でしょう。

このマリア様のミッションツアーで、この人々が私たちに直接こう言うのを聞かない限り、もしも私たちだけだったらこれはもう信じる事ができない事を、皆さんから聞かされます。

例えば20歳や30歳になる人が告解の時に、「神父様、私のこの前の告解は初聖体の時でした。」聖伝の事も全然知らないし、聖伝のミサも全然知らないし、何も知らない人たちが、マリア様の御像を見て、「あぁ、告解しよう」と思ってやって来るのです。30年から40年の後に初めて告解するケースです。

このマリア様がフィリピンの間を回っている間に、司祭の数が少なかったので、1人か2人の司祭しか一緒に行くことができなかったのです。けれども、その間に約10万ほど不思議のメダイを配りました。それから5万名の方がM・Iに参加しました、会員になりました。 ファチマのマリア様の御出現の後その50年間の間は、フィリピンにこのようにあったように、世界中で信じられないような回心と御恵みがいっぱいありました。

イエズス様が昇天された時に、12人の使徒たちを世界に送りました、「全世界に行って、私の教えた事を教えよ。」

1917年、一体コヴァ・ダ・イリアで何があったでしょうか?貧しい3名の牧童たち、それから貧しい寒村、何もありませんでした。そのこの30年、カトリック世界で最も重要な出来事はファチマでした。世界中からファチマに巡礼者が何百万人と行くようになりました。これを見ると、「マリア様こそ本当の宣教師だ」という事が分かります。

土曜日には司祭はこうマリア様の讃美を歌いますけれども、「あなたはたった一人で、世界中の異端を滅ぼした給うた。」マリア様はたった一人で、近代主義や異端者を信仰に立ち戻らせます。プロテスタントや異教徒をカトリックの信仰にへと引き入れます。

もしも皆さんが30年、40年間まだ告解に行った事がないとしたら、「行くか、告解に行かないか、行くとどうしようか」とそれを決心する為に長い時間かかるかもしれません。ところがマリア様が現れたら、すぐに跪いて、「告解に行こう」と。

ですからマリア様は「力ある童貞」、確かに力ある童貞です。マリア様は必ず奇跡を行われるからです。

マリア様の御出現50年後は、フリーメイソンがますます力を得て、共産主義もますます力を得ています。東欧では全く共産主義の手に陥ってしまい、カトリック教会は東欧で迫害さえも受けています。

ちょうどこれは比較できます。16世紀にイスラム教徒が侵入してきた時に、マリア様がそれに打ち勝ったという事。それとそれに打ち勝ったように、ますます力を得ている共産主義やフリーメイソンに、マリア様はいきなり勝って、それを回心させます。スペインやポルトガルであったように、いきなり起こった変化に気を付けて下さい。無秩序や無政府主義から大きなカトリックの秩序に戻る、等という突然の変化があります。マリア様がこの世界中を訪問している間、一体何が起こったのかという事をよく調べて下さい。

この御像を通して、マリア様が私たちの目に見える方となります。あるいは別の言い方をすると、マリア様の御像は、マリア様が本当に現存しておられるという事の目に見えるしるしとなりました。このマリア様の御像が、多くの人々を御自分の元に引き寄せたのです。

ほとんどの場合、マリア様が引き寄せた人々は、信仰を失った人、信仰をしていない人たちでした。もしも私たちが宣教師として誰かをカトリック教会に招待しよう、あるいは信仰をするようにと何とか説得しようという時には、どれほどの努力が必要でしょうか。でも人々は知っています、「マリア様はお母様だ。」

たとえマリア様に引き寄せられたとしても、まだこの人たちは罪の状態にあります。ところが、この人たちがその元にやって来ると、マリア様はこの人たちに語りかけます。聖歌を通して語りかけます、あるいはこの御像を通して、マリア様が仰った言葉、あるいはなさった奇跡などについて語りかけます。以前の偉大な宣教師たち、現代の偉大な宣教師が、マリア様がなさった事を皆さんに説明します。

ところが悲劇は、マリア様の仰った事、あるいはマリア様が何を仰ったかという事を語らない事です。マリア様はご自分の子供の事をよく知っています。マリア様は子供が目に見える何かを必要としている事を知っています。目に見えるものを通して、目に見えない天国の事に惹かれるのです。もしもマリア様が涙を流さなかったとしたら、誰も山の中にある修道院の事やこの御像の事について知りませんでした。

ですからマリア様の御像が訪問する時に、ファチマで何をなさったか、何を仰ったか、という事を皆さんに語りかけます。特に、「御自分の汚れなき御心を私たちに見せた」という事について教えてくれます。一歩一歩、マリア様は天主様の恵みを世界に、世界中に伝えるのです。

マリア様は昔からそれをなさっています。聖ドミニコの時代から、ロザリオを通してなさいました。それはマリア様を通して、マリア様と一緒に天主様にお祈りする、という事を教える為です。聖シモン・ストックを通して、茶色のスカプラリオを与えて下さいました。母親として私たちに服を着せて、悪から守って下さるのです。聖カタリナ・ラブレを通して、マリア様は不思議のメダイを下さいました。 M・I が無原罪の聖母の騎士が使う、あるいはブルー・アーミーが、あるいはその他レジオ・マリエが使う道具を使って、私たちに回心をして下さいます。

では、ファチマはなぜそれほど特異な特別な存在なのでしょうか?なぜかというと、マリア様の私たちを愛する御心を示して下さったのが、ファチマだからです。他の御出現はマリア様と一緒にマリア様を通して何をするかを教えてくれます。でもファチマはもっとです。なぜかというと、ファチマではマリア様はご自分の心を、御心を私たちに下さるからです。ファチマ以上の事をマリア様は下さる事はできません。なぜかというと、もう御心で全ての事を私たちに下さっているからです。

ですから、この謙遜な単純なファチマのマリア様の御像が、多くの人々を引き寄せます。ここで私たちは今、平和の元后としてのマリア様を黙想しようとしています。マリア様は本当にファチマで平和の元后として現れました。ある個人が、あるいは家庭が、あるいは団体が、あるいはある国が、マリア様に忠実であろうとする限り、マリア様はそこに良い香りを残して置かれます。

「平和」という事について主題を戻すと、昔、かつて教会には、「キリスト教世界」と言われる時代がありました。キリスト教世界というのは、キリスト教の秩序の事であって、法や世界的な構造が、キリストに全て向かっていた、秩序付けられていた時代の事です。これは黄金の中世の時代でした。

しかし後にそれは失われてしまいました。プロテスタント、あるいは世俗主義というものが入って来て、そのキリスト教世界を崩壊してしまいました。そこでカトリックの国家というのはもはや残っていません。

しかしマリア様がお現れになると、そこではキリスト教の世界がまた復興して、その秩序がまた戻ります。ポルトガルがそうでした、スペインがそうでした。その世界の基礎は、天主の十戒であって、その王は、王たるキリストです。マリア様はもう一度、イエズス様をその玉座につけるのです。そうすると、イエズス様が王として君臨するやいなや、その団体はその国家は栄えます。

ポルトガルを見て下さい。ポルトガルは本当に多くの人々が貧しくて、貧困でした。まず海岸端に住んでいたのは漁民です、お魚を釣って生活する人。また農民は農業をするのですけれども、土地は非常に痩せていて、ほとんど作物が取れません。しかしサラザール大統領のキリスト教的な立法のおかげで、この人たちが相互に助け合って生活する事ができるようになりました。

マリア様は、この世界に本当の平和の秩序を与える事ができます。しかしこの本当の平和が来る為には、イエズス様が王として認められなければなりません。イエズス・キリストが無い、マリア様の無い平和というのは必ず失敗します。ですから世界の平和を推進させる為には、一番良い方法は、皆さんが無原罪の聖母の騎士となって、マリア様を多くの人に知らせるという事です。

15分と10秒の休憩を入れます(^^)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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