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2017年1月15-16日と20-25日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年01月27日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ファチマ100周年の2017年、新年早々日本ではレネー神父様、フルーガー神父様など、素晴らしい司祭たちの訪問がありました。天主様に感謝します!

以下に、愛する兄弟姉妹の皆様からいただいた貴重なレポートをご紹介いたします。このような報告をいつも書く労を取って下さる方々に心から感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】【1月15日大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私達の大切な小野田神父様こんにちは。
1月の大阪での主日の御ミサの報告をお送りいたします。

1月15日 (主) 御公現後第二主日の御ミサには16名が、
1月16日 (月) 教皇殉教者聖マルチェロの御ミサには6名が御ミサに与る御恵みを頂きました。 デオ・グラチアス!

大寒波到来で、大阪も前日から雪がちらつき、神父様のご到着が危ぶまれましたが天主様の御恵みで飛行機も道路も何の影響もでず無事に御ミサを捧げて頂くことができました。デオ・グラチアス!

主日には御聖体についてのシリーズで、「犠牲としての御聖体」と、「聖体拝領」のふたつのお説教をして頂きました。
お説教を聞いて、カトリック教会が聖伝に立ち戻り、聖伝のミサ聖祭を復興させれば、御聖体に対する愛や敬意がもっと大きくなるに違いないと思いました。
御聖体拝領後には御聖体に対する愛と敬意を、聖伝のミサ聖祭に対する愛と信心をもっと持つことが出来るよう、マリア様を通してイエズス様にお願いしました。


【報告】【大阪】
+Ave Maria! Immaculata!

日本でのミッションをありがとうございました!
小野田神父様、レネー神父様が毎月、日本でミッションをしてくださることが
どれほど恵まれた、特別なお恵みであるかを痛感し、心から感謝申し上げます。

【所感】1/15-16のレネー神父様

レネー神父様のお説教「ご聖体の秘蹟:2)犠牲」で、御ミサ(聖伝の)がどれほど尊いかが、さらに理解できました。
御ミサは完全な礼拝であり、感謝であり、償いであり、祈願でありますが、
「十字架の犠牲はまことに、人類の歴史全体の頂点です」というお言葉が大変心に響きました。
御ミサでは、カルワリオの十字架上の犠牲と同じいけにえ(私たちの主イエズス・キリストの御身体と御血)が聖父に捧げられている。違うのはその捧げ方だけであると。祭壇上では「血を流さない」方法で捧げられていること。
十字架上で最後の1滴まで御血を流しつくされ、御体から御血が完全に分離した、その壮絶な御受難はパンとブドウ酒を御体と御血に別々に聖別することで表され、「現存化」されること。ご聖体は天主イエズス様の「無限の愛の証し」であると理解できました。

私は、大阪の聖堂のご聖櫃にご聖体が安置されている時に、お聖堂に入るときや、ご聖櫃の御前を通るときに、膝まづくたびに、
ご聖体の内に在すイエズス様が、愛のまなざしで威厳のうちに、私たちのご挨拶に応えてくださっているように感じています(^_^;)

久しぶりに「ミサのすべて(Know your massの日本語版)」を読みかえしました。
「Angelus Press」から出版されている子供用のミサについての説明の本ですが、ミサとは何かを知るのに、本当に良い本だと思いました。
本の中で、守護の天使が言います。「ミサの中でイエズス様と一致して、聖父に自分をもお捧げしなくてはならない」と。

私は、Youtubeの「ミサの聖なる犠牲についての黙想 A Meditation on the Holy Scrifice of the Mass」を参考にして
イエズス様の御受難とミサを結びつけて黙想しつつ御ミサに与っておりますが、特にマリア様にお助けをお願いしています。
私は小さな幼い女の子になって、マリア様に手をつないでいただいて、ゲッセマニからカルワリオの十字架のもとまで連れていってくださるようにお願いします。
そしてマリア様の悲しみに満ちた汚れ無き御心のうちに、私をマリア様の涙の一滴に加えていただいて、イエズス様の御体と御血のいけにえに一致させていただくようにお願いしています。

会社の代表として、親戚の代表として、ご近所の代表として、カトリック信者の代表として、日本の代表として、罪人の代表として
これからも聖なる御ミサに与りたいと思います。

ひとりでも多くの人が、聖なる御ミサに与ることができますように。
至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。


【報告】【1月21日大阪】

アヴェ・マリア・インマクラータ!

御ミサの報告をお送りいたします。

1月20日(金) 聖ファビアノ教皇殉教者、聖セバスチャンの御ミサには10名が、
1月21日(土) 聖アグネスの御ミサには12人が御ミサに与り、御聖体拝領する御恵みを頂きました。デオグラチアス!

御ミサの後には毎年恒例の年始の「踏絵への接吻」をおこないました。
また、金曜日には終課も皆で唱えました。

20日のお説教では聖ファビアノ教皇、聖セバスチアノ両殉教者の生涯を黙想しました。
聖ファビアノ教皇は西暦250年に 聖セバスチアノはその30年後280年に殉教されました。
時代も、所も立場も違った御二人でしたが、全く同じ信仰のために亡くなり、私たちにも模範を示されました。
その信仰とは、私達が求めるもの、享受するべきものは三位一体の天主であり、この世は全てそのために使用するものにすぎないという事でした。
私たちも日々踏絵を踏むか、踏まないかという機会、試練にあうけれども、毎日を殉教の精神で、両聖人に倣ってイエズス様に忠実であり、命をかけてイエズス様を否まず、この世に殉教しなければならないと遷善の決心をたてました。

わからなかったこと
お説教の中で、「使う」と「楽しむ」は何が違うのかという質問があったという話がありましたが 、「使う」と「楽しむ」では、もともと意味が全く違うので、質問の意図が良くわかりませんでした。一体何の話からそのような質問がでたのでしょうか?
レネー神父様が答えになった、聖アウグスチノのいうように「楽しみ、享受するべきものは三位一体の天主であり、そのためにこの世を使う」という事はとてもよく理解できます。

21日、聖アグネスの祝日のお説教では聖アグネスについて黙想いたしました。
13歳という若さで、イエズス様を永遠の伴侶とし、完全にイエズス様に依存する愛は、殉教をもって証明されました。
まさに、油を携えて花婿を待つ賢い女であった彼女はなんと幸福であったでしょう。
最善のものを若くしてすでに選ぶことが出来てい た彼女をうらやましく思いました。
彼女のようにイエズス様を選んだ私たちの愛する姉妹達に続いて、日本からもっともっと沢山の召命が出ることを祈ります。

多くの御恵みを受けた両日をイエズス様に、そしてマリア様に感謝申し上げ、これからの愛を誓うとともに、今後のさらなる御助けを願ってまた日々のゴルゴタをよろこんで上っていこうと思います。

【お返事】
鋭いご指摘を感謝します。確かに「使う」と「楽しむ」では、もともと意味が全く違う言葉ですね。この質問は、質問をした方がメールを読んでいて、いきなり問うてきたものです。そこで詳しい文脈はよく分からないのですが、例えば「お酒を飲む」ということは、日本語的には苦しいのですが「お酒を使う」とか「お酒を楽しむ」とかという意味になります。「昨日はお金をたくさん使ったな」ということは「ショッピングを楽しんだな」という意味にもなります。そのようなことだったのでは無いかと思います。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんばんは!☆
御ミサと終課をありがとうございました!
フルーガ-神父様も来日して下さってとても嬉しく思います!
日本に司祭が常駐するようにと思って下さいますように!(*-_-)人~~~~~

マリア様の御取り次ぎによって、聖ファビアノ様と聖セバスチアノ様に倣って、日々、いつもイエズス様を選び取ることができますように!

無原罪のマリア様の御取り次ぎによって、聖アグネス様に倣って、いつも罪と罪の機会を踏みにじることができるように、マリア様の汚れなき御心をいつも避難所として入り込むことができますように!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

フルーガー神父様の御ミサの報告をお送りいたします。

1月24日(火)聖ティモテオのミサには10名が、
1月25日(水)聖パウロの回心のミサには9名が御ミサにあずかるお恵みを頂きました。デオグラチアス!

両日とも歌ミサを司式して下さり、フルーガー神父様の美しいバリトンはまるで大聖堂で聞いているかのように響いていました。
24日御ミサの後にはフルーガー神父様と終課を唱えることが出来ました。
日本で使っている終課の冊子、ミサごとの羅英日対訳のミサ典書をとても褒めて下さいました。

25日のお説教では、聖パウロの回心と本当の信仰についてお話いただきました。
まことの信仰とは、回心する以前のパウロのような旧約の掟を信じるという事ではなく、天主の御子、救い主イエズス・キリストを信じ、救霊のために働くという事がしっかりと心に残りました。
まことの信仰を持つならば、少人数であっても信頼を失わず、祈りと、犠牲、聖なるロザリオの祈りを、人々の回心と救霊のためにマリア様を通して捧げるよう励ましてくださいました。

とんでもなくお忙しく、大変重要なお立場におられるのに、常にジョークを交えて信徒に接して下さり、ミサの片付けなどもご自分でやってしまわれる謙遜で温かい神父様のお人柄に天主様の豊かな御恵みと御助がありますように!マリア様が神父様をお助けくださいますように!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父様こんにちは!

1月24、25日の御ミサの報告をさせて頂きます。
今回は、なんとフルーガー神父様が日本に!大阪に!御ミサを授けに来てくださいました。
私はフルーガー神父様とお会いするのは2回目で、何年も前の事ですから覚えていらっしゃらないだろうと思っていたのに、覚えてくださっていて、とても嬉しかったです。神父様はフェレー司教様の補佐官という、とても重要な方で大変忙しい神父様だというのに、私たち信徒一人一人に声をかけてくださり、とても面白くて優しい神父様でした!!

フルーガー神父様は私たちの大阪のお御堂を大変気に入ってくださり、たくさん褒めてくださいました。
また、神父様の歌ミサの歌声はとても力強く、綺麗で、終課もいっしょにさせていただき、ずっとこの時間が続けばいいのに、、、と思うほど、よい時間を過ごすことができました。
今回の御ミサでは平日にもかかわらず、お仕事にもかかわらず、たくさんの犠牲をして御ミサに与りにいらっしゃる信徒の皆さまの姿を拝見し、一つでもたくさんの御ミサに与り、もっと御ミサに深く入り、深くお祈りしたいと強く思いました。
フルーガー神父様には、日本に訪問してくださり、御ミサを授けてくださり、その温かいお人柄に心から感謝致します!
天主様に感謝致します!


【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 16人(内、子供2人)
女: 18人(内、子供3人)
計: 34人(内、子供5人)

霊的講話の参列者数
男: 5人(内、子供0人)
女: 8人(内、子供1人)
計: 13人(内、子供1人)

晩課の参列者数
男: 3人(内、子供0人)
女: 5人(内、子供1人)
計: 8人(内、子供1人)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父様 いつもありがとうございます!
フルーガー神父様は フェレー司教様の名代として、アメリカへのご用事の間に日本によってくださったとのこと、お怪我のため 昨年お見えになられなくて、今回いらっしゃることができて とてもうれしく思いました。厳寒の中の来日を フルーガー神父様、小野田神父さま、本当にありがとうございます。

ごミサの説教と講話のなかで、信仰を守って生きることは難しいことであったし、それは時代を超えて今も同じことだとお話しいただいて、混乱した教会を生きているのは自分たちの世代特有だと思ってしまいがちになる中、励ましをいただきました。そして特別に教会のトップや中枢部にも混乱があるということが現代の特別な状況であるという説明を頂いたように思います。

フルーガー神父様からは 世界中を見渡すならどんどん聖伝のミサが広がっていること、昔から続くカトリックの信仰が決して消えていない、むしろ聖職者の方々の間にも聖伝のミサへの見直しが広がっていることを 教えていただきました。直接教会の上層部の方々と会って肌で感触を感じていらっしゃり、同時に世界中を視察して回られてもおられる方からの、そのような変化がみられるというお話をお聴きできることはとてもうれしいことです。また、日本では言語の問題があるから、普通には情報が入ってきにくいので、情報を拡散する作業をしてくださる方がいないと 何もわからないままです。でも そのような情報に振り回されてばかりではいけない、カトリックの信仰を守る生き方をするという基本的なことを大切にしなさいと ご講話の中で聖人様たちの生きた証を幾つか例に挙げられ教えていただきました。素晴らしいお話 本当に感謝いたします。
また フリートークの時間にお聞きしたことでしたが、「仏教やプロテスタントや他の宗教の方々が それらを通してから 真理の方へ導かれて カトリックの信仰を頂くということは(たくさん)あることなのです」、という言葉に、本当の意味で宗教的な深さで物事を見られている方であると 感じました。カトリック信仰を持つ人が少ない日本では、宗教多元主義に陥ることがないように 特に気を付けなければならないと思いますが、そういう意味でも 曖昧なカトリック信仰ではない 時を超えて受け継がれてきている昔からのカトリック信仰へと もっとたくさんの方が導かれますようにあらためてお祈りいたしました。

この地上での幸せや成功ではなく、死の扉を通る時とそのあと行くであろう世界のことを考えようとすると 悪魔が働いてかどうか いろいろな妨げがあるように思います。カトリックがいつも攻撃を受けてきたのは、イエズス様の教えを忠実に守ろうと努力してきたからだ と言われます。「私はこの世のために来たのではない」とイエズス様が確かにおっしゃられました。司祭の導きや助けによって そのイエズス様の教えてくださった信仰を受け守ることができます。日本にそのような聖伝のカトリックの司祭様を遣わしてくださった天主様に感謝いたします。 
デオ・グラチアス!



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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