Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:聖マリアの復活

2013年08月02日 | カトリックとは
二十七日 聖マリアの復活

   幸いなる哉(かな)、汝を孕(やど)せし胎(たい)よ。      (ルカ 二。 二七)

 これは救い主イエズス・キリストを孕(やど)し給うた聖マリアの御肉身を讃美(さんび)した言葉である。
使徒達の伝説によれば、聖母はその幸福な御臨終の後、間もなく復活せられて霊肉(れいにく)共に天国に挙げられ給うたと云う。
一体総(すべ)ての人々は世の終わりでなければ復活させられず、例(たと)え善人(ぜんにん)の肉身であっても、それまでは地の埃(ほこり)に委(ゆだ)ねられているのが通例であるが、独(ひと)り聖マリアのみは主イエズス・キリストと同じく、直ちに蘇(よみがえ)り給うて、肉身も霊魂と共に天国の光栄(さかえ)に与(あずか)り、天主を見(み)奉るの永を受けられたのである。されば聖会に於いては、此の聖(とうと)き玄(げん)義(ぎ)を寿(ことほ)ぐ為に、被(ひ)昇天(しょうてん)の大祝日を設(さ)定(だ)めた。
 然し勿論(もちろん)聖マリアは御子イエズスの如く、御自分の力で蘇(よみがえ)り給うたのでは決してない。
叉、主の如く御復活後(ご)弟子達に現れ給うた事もない。
 被(ひ)昇天(しょうてん)とは即ち天使達が聖マリアの御肉身を天国に挙(あ)げ奉った事を指(さ)すのである。数多(あまた)の聖人方の中には、その遺骸(いがい)が今日に至るまでなお腐敗(ふはい)せず、そのままに残っているものも随分(ずいぶん)見受けられるが、まして聖マリアは原罪を免(まぬか)れ、その生涯に罪の些(いささ)かの影もなく、且つ天主の御独子(おんひとりご)の御母という尊(とうと)い御位(みくらい)に選ばれ給い、地上に於いても「幸いなる哉(かな)、主を孕(やど)せし胎(たい)よ」と讃美(さんび)せられ給うたほどの御方であるから、その御肉身が御死去の後、腐敗せずして、直ちに天に挙(あ)げられ給うた事は当然である。
 叉、聖母は此の世に於いて豊(ゆた)かな功績(いさおし)を積み、御子イエズスに最も肖(あやか)り給うた御方であるから、この点から云っても、死後、天国で御子に最も近い御光栄(みさかえ)を受けられるのは道理であろう。
 それでは何故(なぜ)、聖マリアはこれほど勝(すぐ)れた報(むく)いを受け給うたのであろうか? それは勿論天主の御母たる無類の尊(とうと)き御位(みくらい)の為でもある。然し我等は聖母がなおそれ以上善徳(ぜんとく)に於いて、衆人(しゅうじん)に最も立派な模範(もはん)を示し給うた為である事も忘れてはならぬ。
 故に我等も世の終わりに当たって復活し、我が肉身に大いなる光栄を受けようと望(のぞ)むならば、現世(このよ)に於(お)いて専(もっぱ)ら霊魂と肉身とを聖(せい)ならしめる為に努(つと)める必要がある。即ち五官を慎(つつし)み悪慾を抑(おさ)えて、霊肉を清らかに保(たも)てば保つほど、復活せる肉身の光栄は増すのである。そしてその幸福な復活に最(もっと)も与(あずか)って力(ちから)あるものは、聖体の秘蹟(ひせき)であると云わねばならぬ。
何となれば我等の主イエズス・キリストは「我が肉を食し、我が血を飲む人は永遠の生命を有す。而(しこう)して我、終りの日に之を復活せしむべし」と明らかに宣(のたま)うたからである。
 されば我等は今後充分(じゅうぶん)の覚悟と準備とを以て、一層(いっそう)熱心に聖体を拝領(はいりょう)しよう。そして常に主に仕(つか)え奉(たてまつ)る心を以て事をなし、かりそめにも主を悲(かな)しませ参らす如き思い、望み、言葉、行(おこな)い等を慎(つつし)んだならば、終わりの日には必ずその御力(おんちから)により、聖パウロの言葉の如く、不朽(ふきゅう)の身体(からだ)を以て復活(ふっかつ)せしめられるのである。

   祈   願

 ああ聖母よ、我等は今日新(あら)たに我が目、我が耳、我が口、我が意(こころ)、我が総(すべ)てを御身に献げ奉る。
 願わくは我等を御身の所有に属(ぞく)するものとして常に守り、仇のわなを遠ざけ給え。殊に熱心、快活、敬虔(けいけん)の念を以て屡々(しばしば)御聖体を拝領(はいりょう)し得(う)るよう我等を助け、輝かしき復活を以て御身と共に主を永遠に拝礼(はいれい)し讃美(さんび)し奉るの幸福を得(え)せしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。


(天使祝詞 三度)


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【質問】第二バチカン公会議の言う「信教の自由」とは何ですか?

2013年08月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
第二バチカン公会議の言う「信教の自由」とは何ですか?

【お返事】
1965年12月7日に公布された第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(2)によると、
「このバチカン教会会議は、人間が信教の自由に対して権利を持つことを宣言する。この自由は、すべての人間が、個人あるいは社会的団体、その他すべての人間的権力の強制を免れ、したがって、宗教問題においても、何人も、自分の確信に反して行動するよう強制されることなく、また私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の確信にしたがって行動するのを妨げられないところにある。」

【注:これのラテン語原文は次の通りです。
Haec Vaticana Synodus declarat personam humanam ius habere ad libertatem religiosam. Huiusmodi libertas in eo consistit, quod omnes homines debent immunes esse a coercitione ex parte sive singulorum sive coetuum socialium et cuiusvis potestatis humanae, et ita quidem ut in re religiosa neque aliquis cogatur ad agendum contra suam conscientiam neque impediatur, quominus iuxta suam conscientiam agat privatim et publice, vel solus vel aliis consociatus, intra debitos limites.】

【質問】
「自分の確信に反して行動するよう強制されることがない」ということと、「自分の確信にしたがって行動するのを妨げられない」ということとの違いは何ですか?

【お返事】
「強制を免れる」ということには、あることをするように肯定的に強制させられることから逃れる場合、とあることをすることができないように否定的に妨害される場合とがあり得ます。それがすなわち、
「自分の確信に反して行動するよう強制されない」"ne cogatur ad agendum"(たとえば強制によってある信条を信じるように強制されない、あるいは脅迫などによって宗教礼拝行為をするように強制させられない、など)ということ、また、
「自分の確信にしたがって行動するのを妨げられない」"ne impediatur"(たとえば、国の法律などによって、イスラム寺院を建てることが制限されない、など)ということです。

 カトリック教会は、前者の「強制から免れる」ことについては、常に認めてきました。たとえば教会法 Can 1351. Ad amplexandam fidem catholicam nemo invitus cogatur. があります。
 ただし、後者の否定的な強制から免れることについては(たとえ特別な限定された状況において、国家がそのような状況を黙認する・寛容することを認めたことがあったとしても)、それを「自然権」(natural right)としては認めてきたことがありませんでした。「信教の自由」の自然権は、真の天主を礼拝する人々だけに属する、つまり、真の天主に真の礼拝をするカトリック教会に属すると考えてきました。


【質問】
「自然権」とは何ですか?

【お返事】
「自然権」は「自然法」との関係で生じる権利です。
「自然法」とは、人間の本性とその本性に由来する人間の義務とに基礎をおくもので、真の天主への礼拝の義務などがそれに含まれます。
この「自然法」に基づく義務を行使するために、人間には天主に礼拝を捧げる「自然権」が生じます。つまり、人間は、真の天主に対して真の礼拝を捧げる自然権を持ちます。
 自然権の対象は、常に真であり善です。自然と天主とに合致するものです。


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【質問】 聖ヨゼフへの大天使ガブリエルのお告げについて

2013年08月02日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 ご質問をいただきましたので、お答えいたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】
聖マリアの天主に対する信頼 の、聖ヨゼフ様が、イエズス様の天主の聖子にてあられますことを御存知なかった、という事は、考えられないのですが、、、聖ヨゼフ様も、救い主に関する聖書の預言を、熟知なさっておられる、と思いますので、、、

【お返事】
この黙想をよく読むと、次のようにあります。
「聖ヨゼフに救い主の御(おん)やどりを明(あ)かし「汝、其の名をイエズスと名づくべし。そは自(みずか)ら己(おのれ)が民を其の罪より救うべければなり」と告(つ)げしめ給うた此処(ここ)に注意すべきは、聖マリアには大天使ガブリエルを以て、イエズスの神性やその永遠の権威(けんい)までも示されたのに、聖ヨゼフには唯(ただ)その救い主にまします事のみを告(つ)げ、天主の御独子(おんひとりご)なる事は語られなかった点である。」
 ここでは、マリア様とご結婚する前、まだ許嫁であったときに、大天使ガブリエルはマリア様の体内におられる子供が救い主であることをのべ、それ以外の詳しいことは言わなかったと言うことです。
(マリア様の場合には、お告げの時にはっきりと説明がありました。)
 その後、聖ヨゼフ様が、イエズス様の天主の聖子にてあられますことを聖ヨゼフに適したやり方とその時に知るようになったと思いますが、ここでは、大天使ガブリエルのお告げについて考察しています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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