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白壁の町並み倉敷を歩く(瀬戸内を巡る4)

2013-06-19 10:19:21 | 瀬戸内を巡る
白壁の町並み倉敷

1642(寛永19)年、幕府の直轄地である天領となってからこのような町が形成されていった。
直轄地として、代官支配を受けてからは、新田開発による農地の増加、綿花の栽培による商工業の発展によって、周辺から多くの人々が流入するようになった。
備中、美作、讃岐の米、綿、油などが陸路、水路を通じて集荷、搬出されるようになり、一大商業地として繁栄。川沿いには綿花問屋、米穀・肥料問屋などの倉庫が次々と建てられた。
往事の倉敷川周辺では、物資を積んだ船から集荷をおろす人々や、それを運ぶ大八車の往来で大変賑わったといわれる。
倉敷美観地区は、江戸時代から平成の今日までの建物群を、限られた範囲で町並みとして圧縮して見ることのできる町となっている。ここがその入口である。
         

倉敷民芸館
江戸時代後期の米倉を再生活用し、各地の民芸品が寄贈されて開館した。建物は白壁と黒の貼瓦が美しく、それ自体が一つの民芸品として評価されており、倉敷美観地区の風光明媚な景観を形成している。倉敷における古民家利用の第一号である。
館内には日本をはじめとした世界の民芸品が約15,000点収蔵されており、そのうち約800点ほどが展示されている。
         

大原家住宅
江戸後期には「新禄」と呼ばれる新興勢力が台頭し、それまでの「古禄」と呼ばれる世襲の勢力に代って次第に富を蓄え、社会的地位を確立していった。
大原家住宅は現存の町屋として、往時の面影を最もよく留めている。
内部は公開されていないが、1795(寛政7)年に主屋が建てられ、その後増築されている。広い庭も続いており、主屋のうしろには土蔵が立ち並び、防火の役目も果たしている。
外壁は腰に瓦を張りつけ、目地を白漆喰で盛りあげるなまこ壁で仕上げ、そのコントラストは倉敷の町並みの景観を特徴づけている。
         

倉敷物語館
倉敷物語館は、倉敷美観地区の入り口に位置している。江戸中期の建築とされる東大橋家住宅を整備し、長屋門、土蔵などが江戸期の風情を現代に伝えている。
          

有隣荘
大原家の別邸。独特の製法で焼かれた瓦は、見る角度によって緑色に光り、地元では「緑御殿」とも呼ばれている。 特別公開日には内部の見学が可能。
         

倉敷館
1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築。
現在は観光案内所として観光ガイドや宿泊施設の紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えています。
         

日本郷土玩具館
古い米蔵を利用して、1967(昭和42)年に開館した日本郷土玩具館は、江戸期から現代までの全国各地の郷土色豊かな玩具、約5千点が常時展示されている。また、日本のみならず世界の特色ある玩具も多数展示されているユニークな玩具館である。 
         

古き町並み
         
         
         

倉敷格子の家
この倉敷格子は大正の頃の形式のものである。
主として主屋1階正面の柱間の敷居から内法(うちのり)の間にはめ込まれる格子で、親格子の間に細く短い子が2~4本入る。形式的には親付切子格子と称され、京都では糸や格子と呼ばれている。


倉敷銀行
江戸時代、天領の町・倉敷は、豊の米の生産に支えられ、倉敷川の舟運を中心にその河畔が大いに栄えた。
倉敷銀行はその金融を一手に賄い倉敷紡績の発展や大原美術館設立にも寄与し、やがて現代の中国銀行の源流となる。
美しいステンドグラスをもつこの建物は今、中国銀行の一支店として使われているが、大正11年、ルネッサンスの様式を備え、当時としては珍しく、いかにも大原孫三郎の気宇を窺うに足るものと思われる。
                  

阿智神社
美観地区の一角にある鶴形山の山頂に鎮座する創祀1700年を超える古社。
古くは島で、神功皇后の西征の際、海の守護神として鎮り、東漢氏の祖、阿知使主(あちのおみ)が祀ったと伝えられる。
         
この一対の石灯篭には物語があった。
倉敷で小間物やを経営しょうとした御船綱手という人物が、商売資金を京都の万屋正兵衛へ借りに行き商売を始めた。 不景気な時代だったが、蓄えができたので京都へ返済に行ったが、不景気が続いたためか万屋正兵衛は行方不明で御船綱手は借金を返済できなかった。
そこで氏神様である阿智神社へ石灯篭を寄進したのだが、自分の名は書かないで、金を貸してくれた人の名を刻んだという話である。 奉納は1811(文化8)年。
         

倉敷も閑谷学校と同じ20歳代に一度訪れている。その時の古き倉敷の町並みは倉敷川の河畔だけであったと記憶する。
その後、倉敷のジグソーパズルを組んでは町並みを懐かしんだ。


                 関連 : 岡山後楽園のお田植祭(瀬戸内を巡る1)
                       閑谷学校(瀬戸内を巡る2)
                       備前焼で飾られた天津神社(瀬戸内を巡る3)
       
                       


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