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松本城

2012-06-23 14:35:32 | 信州路&甲斐路
松本城

          

松本城は安土桃山時代末期から江戸時代初期に建てられた。
五重六階建ての天守閣は、文禄年間(1593~94)に建てられ、日本最古である。

松本城は、戦国時代の永正(えいしょう)年間(1504~20)に小笠原氏が建てた深志城が始まりとされる。
その後武田信玄が小笠原氏を追いだし、信濃支配の拠点とした。しかし、その武田氏も織田・徳川連合軍に敗れ、織田信長も本能寺の変で失脚すると、その動乱に乗じて再び小笠原氏が深志城を奪還し、松本城と名を改めた。
別名烏城と呼ばれているが、これは天守閣を築城した小笠原氏が主である豊臣秀吉に忠義のしるしという意味から大阪城と同じ黒色にしたともいわれる。現存する天守で唯一の黒である。
そして、関ヶ原以降の天守は白の天守が建てられている。

天守閣
本格的な五重以上の天守閣を最初に建てたのは、織田信長が1579(天正7)年、安土城の天守であるといわれる。しかし、天守のようなものはそれ以前にも様々建てられている。
城の象徴というべき天守を流行させたのは秀吉で、大阪城、伏見城と豪華な天守を建造した。諸藩の大名たちもそれに習って建造していった。
徳川時代になっても、今も残る名古屋城、姫路城をはじめとして諸大名が大規模な天守を建設していく。
しかし、それも徳川三代将軍家光が発布した「武家諸法度」によって高層の天守建設が禁止され、御殿や二の丸、三の丸といった城の拡充へと移っていく。

1873(明治6)年、明治政府によって廃城令が公布され、多くの城が失われた。また、第二次世界大戦に依っても失われ、江戸時代以前からの現存している天守は現在、12に数える。そして、松本城をはじめ姫路城、彦根城、犬山城の4城が国宝になっている。

          

            

 


                    嵐にゆらぐ  戦国の
                    幾多城主は  変われども
                    夜陰に月の  光淡く
                    古城よ哀れ  夢哀れ
                    女鳥羽の流れ  今なお
                    乱世を偲ぶ  松本城
                    嗚呼  松本城


          



    

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