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鎌倉へ初詣2014

2014-01-09 11:27:46 | 鎌倉巡り
2014年の松の内に鎌倉の好きになった寺院3社を中心に初詣へ出掛ける。

先ずは、杉本寺。

時間を短縮するために、駅をおりると、乗客が込みあったバスが停車していたので、それに乗った。
松の内とはいえ官庁・企業は仕事が始まった平日なのにバスは、渋滞にはまった。壇葛(だんかずら)を歩いて八幡宮に詣でる参拝者がバスを次々に追い抜いてゆく。
バスに乗ったのは失敗だったのかと思ったが八幡宮を過ぎるとスムーズに進んだ。逆に八幡宮に向かう対向車線の車の列が何処までもつながっている。渋滞の元は、八幡宮の交差点のようだ。
杉本観音で降りたが、渋滞の列はまだまだ、はるか彼方まで続いている。鎌倉渋滞は、話には聞いているが、こんなにすごいのだとは驚きである。平日だが、まだ松の内だからなのか。
 
杉本寺の参道を上がってゆく。
拝観料を払って、参道を上がって行くと茅葺屋根の仁王門の金剛力士像が迎えてくれる。運慶作と伝えられる。
さらに本堂までの細い参道を上がってゆくと、ところどころでスイセンが咲きはじめている。
           
本堂は、秋から始まった、屋根の茅葺き替え工事のためパイプで覆われたり、苔むす石段には工事用機材が乗っているのは残念だ。
本堂に上がると、お勤め中で、ひとりの僧侶が般若心経を読んでいた。それが太鼓を叩きながらの読経である。すぐ後ろに正座して拝聴した。太鼓での般若心経も感動的だ。
昨年花まつりの建長寺での2~30人ほどの僧侶による般若心経も良かったが、この読経は、太鼓というイッパクトがあって、胸を突いた。
本堂内の仏像が、間近で拝めることもうれしい。
開山の行基作や頼朝が寄進した等の十一面観音像5体があることも素晴らしい。その中でも、本堂中央奥の薄明かりの中に安置された3体の十一面観音像を、他の参拝者を気にせず拝観できることがうれしい。
また、右手の毘沙門天像や不動明王像も素晴らしい。
杉本寺は、八幡宮の雑踏とは裏腹に、数人の参拝者が訪れているにすぎなかった。
 

次は、長谷観音参道を1本北に入る光則寺である。
鎌倉駅までもバスの予定だったが、この渋滞では時間が読めないので、歩くことにした。
途中、1180年に鎌倉幕府が開かれた時代が修正された、大蔵幕府跡や法華堂跡(頼朝の墓)も立ち寄り、八幡宮をかすめた。
 
大蔵幕府跡がある小学校前と源氏の家紋「ささりんどう」(右)

 
白幡神社(左)と頼朝法華堂跡への参道
 

その先、下馬の交差点から長谷へ道のりも遠い。江ノ電に乗っても3駅目だ。
だが、道筋には、六地蔵や庚申塔群、それに古い建物があって変化がある。
 

 
寸松堂(すんしょうどう):鎌倉彫の店舗併用の住宅、寺院建築と城閣建築が合体した外観、1936年建造。

きんつばの店「鎌倉いとこ」の右手を入る。左手は参拝客が多い長谷寺への参道だ。
人がまるっきりいない広めの路地を進むと光則寺参道へと続く。。
拝観料を賽銭入れのような箱に入れ山門を入る。四季を通して花が楽しめる案内のマップが置かれているが、この時期は侘助をはじめとする椿がちらほら咲くばかりであった。
日蓮の弟子で、この寺を開山した日朗が捕らわれていたと云う土牢へ、久々に向かう。途中で20人ほどの団体と行き交う。年齢構成からして墓参に来た方々のようだ。鎮まった寺院も、その時だけ賑わった。
土牢前から墓地が見渡せ、傾斜地にはスイセンの群生が眺められた。
境内には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の横長の碑がある。ある本によると賢治は、中学時代より法華経の信仰を深め、この詩は、法華経の真心を説いたものとされる。
 

 
光則寺を後にする。参道には蝋梅の花がわずかばかり咲いている。
再び下馬の交差点まで戻り、その先は八雲神社に向かった。
八雲神社は、初神楽が奉納される。
                    関連 : 鎌倉八雲神社・初神楽

八雲神社から好きになった寺院の最後にあたる、妙本寺に向かう。
道筋のぼたもち寺・常栄寺も正月飾りが山門に供えられていた。
               

そこからすぐに妙本寺の三門に行きつく。
               
三門横に関東のわらべ歌が貼られてあった。

      お正月さまござった
      どこからござった
      山からござった
      ゆらゆらと
      ゆずり葉にのって
      山からござった
         (ゆずり葉:春に古葉と新葉が一斉に入れ替わるので譲葉「ゆずりは」の名があり、
                                 正月の飾りや神事に用いられる。交譲木(こうじょうぼく)と書いて「ゆずりは」とも)


これは、「お正月さまござった」というわらべ歌で、江戸では『お正月さまござった どこまでござった 神田までござった』と歌ったようだ。
ここに出てくる「お正月さま」とは、歳神様のことで、年のはじめに家に訪れ、家族に幸福を授けて下さる神である。
歳神さまは稲の魂であると共に祖先の御霊(みたま)とも一体であるという信仰から来ていて、正月にはご先祖様が、私たちに幸せを授けに来て下さるという意味を持っているそうだ。
「お正月さまござった」を調べるとこんなことが出ていた。そういえば、子供のころは、正月になると、ラジオをはじめとして、こんな話をどこかで聞いたような気がする。今は忘れられていたことを思い出させてくれた。

                     

三門から左手の方丈門を潜って本堂を進み、その先の二天門に向かう。
 
午後4時を少し回った時間だが、参拝客は目に着かぬ。
途中に鐘楼があるが、春はシャガが一面に咲いていて美しかったことを覚えている。
二天門とは、帝釈天に仕える四天王の内、持国天と多聞天を安置してある門を指す。秋の二天門前は、紅葉で美しいと寺の解説に載っている。
二天門前には手をつないだカップルがひと組いたが、ガランとした祖師堂前の境内を見渡して帰って行った。
人がいなくなった二天門の写真を撮る。持国天と多聞天がライトアップされ、2像が昼間より引き立ち良いアングルとなっていた。


ここから本覚寺を通って駅に戻った。
本覚寺の「本えびす」は、1月10日のこと。点灯した提灯が美しかった。
 

              

          



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