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京都の紅葉を愛でる2013 東福寺~正伝永源院

2013-12-02 12:42:55 | 京都
東福寺
臨済宗東福寺派大本山。関白九條道家が1236(嘉禎2)年創建。
2000本を超えるカエデがあり、通天橋が架かる洗玉澗辺り一面紅色が支配する景色は日本一と絶賛される。通天橋は京都を舞台にしたドラマによく登場する。








即宗院(そくしゅういん)
東福寺塔頭のひとつで、境内の東端にある。。薩摩藩ゆかりの寺として知られていて、 西郷隆盛と清水寺の勤皇派僧侶・月照が境内の茶亭に隠れ、幕府転覆の策を謀かったが大老・井伊直弼(なおすけ)の大弾圧によりふたりは鹿児島に逃げる。月照は失意の中、錦江湾に身を投じる。西郷は大島に流刑される。維新の大業を成したのは10年余り後のことである。








戊辰戦争の薩摩藩犠牲者を祀る「東征戦亡の碑」が建立されている。
島津藩524名の犠牲者の功を永く讃えるため、西郷自らが筆をとり、建碑の監督をした。

清水寺
778(宝亀9)年、延鎮上人が音羽の滝辺りに草庵を結んだことが始まり。その後坂上田村麻呂が仏殿を寄進し、千手観音を安置した。
4万坪の境内に紅葉したカエデと堂塔が渾然一体と並び立つ風景は抜群である。










知積院(ちしゃくいん)
徳川家康の寄進によって紀州より当地に再興した、真言宗智山派(ちさんは)総本山。成田山新勝寺、川崎大師平間寺や成田山新勝寺が本山に準じた別格本山して系列にある。
参道の右手の鐘楼周辺は紅葉園として整備されている。










正伝永源院(しょうでんえいげんいん)
もとは正伝院と永源院との2寺であり、臨済宗建仁寺の塔頭である。
織田信長の弟・織田有楽斎が大阪冬の陣以降に再興し、境内に「如庵」を建て茶道三昧の悠々自適の生活を送った。
徳川家康が江戸開府の際に現在の数寄屋橋付近に土地を拝領し、有楽斎が数寄屋風の茶室を建てた。それで、数寄屋橋や有楽町と云う地名が出来たと云う。ただし、有楽斎が江戸に住んだという記録はないようだ。
また、肥後細川家の菩提寺ともなっており、十八代当主細川護熙(もりひろ)氏の襖絵や焼き物が飾られている。
期間限定の特別公開で、テレ朝「モーニングバード」の番組で久保田アナが取材して紹介した。




京都駅付近
         


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