品川神社の富士塚
本年もよろしくお願いします
2012年の初春ということで今年のはじめは品川宿・東海七福神
東海七福神
品川神社
1932(昭和7)年に品川が大東京に編入された記念として東海七福新詣を定めた
大黒天品川神社
■品川区北品川3-7-15
■京浜急行線新馬場駅北口下車3分
大黒天はインドの神様。インドにおける大黒は恐ろしい戦闘神であったが、唐(中国)の時代には善神として台所を守る神に変わった。
日本に伝わると、大国主命と同一視され、富や豊作をもたらす神として民衆に浸透していった。大きな布袋を肩に懸ける姿は室町時代につくられた。
品川神社の創建は、1187(文治3)年。「北の天王様」とも呼ばれる北品川の鎮守。53段の石段を上がると境内の正面に本殿がある。明治築造の富士塚は、都内七富士の一つ。木造の大黒天像は、福々しい表情で本殿前面に立つ。ご開帳は、正月から立春のみ。鳥居前には石像の大黒天がある。
布袋尊養願寺
■品川区北品川3-7-15
■京浜急行線新馬場駅北口下車3分
品川寺の布袋尊
布袋尊は中国の神。900年代はじめの頃、実在した僧、契此(かいし)のことといわれている。常に袋を背負っていたことから布袋と付いた。弥勒の化身として中国では、半裸で腹を出した日本の布袋の姿形が弥勒像となっており、寺院の本尊として安置されていることが通例といわれる。
1299(正安元)年創建と伝えられる。地元では「虚空蔵さま」の愛称で親しまれている。虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は、丑寅(うしとら)年生まれの守り本尊。命日の3月13日には、十三詣が行われる。13歳の子供が正装して虚空蔵菩薩にお参りすると福徳知恵を授かる。本堂に安置される布袋尊像はつややかなツゲ製。ご開帳は、正月から立春のみ。
寿老人一心寺
■品川区北品川2-4-18
■京浜急行線新馬場駅北口下車4分
品川寺の寿老人
寿老人は中国の長寿の神。長頭の老人で杖をたずさえ、杖の頭には巻物をつけ、団扇を持ち、鹿を連れていたという。鹿は長寿を司る神の使いとされる。また、寿老人は福禄寿と同一神とされて七福神から外されることもある。
一心寺は真言宗智山派に属し、1855(安政2)年、品川宿で開国条約、鎮護日本、町民の繁栄安泰を願って井伊直弼が開山したと伝えられる。本尊は成田山分身の不動明王。延命と商売繁盛の守り神として信仰されている。
恵比寿荏原神社
■品川区北品川2-30-28
■京浜急行線新馬場駅下車南口6分
えびすは七福神の中で唯一日本古来からの漁業の神様で夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵美須などと表記する。
えびすと大黒は親子ともいわれる。
荏原神社は、かつて品川宿の総鎮守と伝えられる。創建は709(和銅2)年。神像の恵比寿は本殿に祀られ、正月に拝殿にうつされる。鳥居の傍らには石像のえびすが鎮座している。
毘沙門天品川寺
■品川区南品川3-5-17
■京浜急行線青物横丁駅下車3分
毘沙門天は古代インドの神で、四天王の一尊で、北方を守る武神。財宝富貴を守り、皮の甲冑(かっちゅう)を身に着けた唐代の武将風の姿をし、宝塔を持っている。
品川寺(ほんせんじ)は真言宗醍醐派の別格本山。大同年間(806~10)創建と伝えられる。本堂に安置されている毘沙門天は、室町期作と伝わる高野山招来仏。境内には、金生(かのう)七福神という1カ所七福神も設けられている。寺宝の大梵鐘は、1867(慶応3)年パリ博覧会、1871(明治4)年オーストリアのウィーン博覧会に出品後、久しく外国にあって1930(昭和5)年、スイスのジュネーブより寺に再び迎えられて「鐘の寺」と呼ばれている。因みに近くには「ジュネーブ平和通り」(延長720m)がある。
福禄寿天祖諏訪神社
■品川区南大井1-4-1
■京浜急行線立会川駅下車2分
品川寺の福禄寿
福禄寿は中国の神で、人生の三代目的とする、福(幸福)・禄(身分)・寿(寿命)の全てを兼ね備えたのが福禄寿である。その姿は、背が低く、長い頭に長い髭、巻物を結んだ杖を持ち、長寿のシンボルともいえる鶴を伴っている。年齢は数千歳といわれる。
かつて東京湾に面していたころ、12世紀創建の天祖神社(神明宮)と、1631(寛永)年以前創建の諏訪神社(諏訪社)という二つの神社がたっていたが、1965(昭和40)年に合祀された。本殿には2体の福禄寿があり、1体は本殿に常時祀られており、もう1体は正月から立春のみご開帳する。
弁才天磐井神社
■大田区大森北2-20-8
■京浜急行線大森海岸駅下車4分
品川寺の弁才天
弁才天はインドの神で、唯一女神である。音楽の神・弁舌才知の神・学芸の神・水の神などとして広く信仰されている。琵琶を弾く妖艶な姿を現す。また、弁財天と表記する場合も多く、蓄財の神としても知られている。
創建は定かではないが、平安後期編纂の「延喜式」や「日本三大実録」に名が記されている。境内を入る手前には社名の由来にもなった「磐井の井戸」がある。弁才天の社は、正月には漆塗りの弁才天像がご開帳される。神像は最近のものだが、社に祀られた神体は、古くから「笠嶋弁財天」の名で信仰を集めていた。
磐井の井戸
東海七福神のお参りはお正月に
七福神詣(七福神参り)が盛んに行なわれるようになったのは江戸時代の中頃で、正月の元旦から七日にかけて、それぞれの神が祀られているお寺や神社を,今年一年の幸福を祈って巡拝する。