修験根本道場大本山 高尾山薬王院有喜寺
今から1360余年前に本尊に薬師如来を安置し開山したことから薬王院と称する。
その後飯縄権現を守護神と奉ったことから古来より修験道のお山として繁栄している。
浄心門 神変堂
浄心門を潜ればここからは聖域である。神変堂は山岳種修験の祖を奉っている。
百八段の石の階段(男坂) 仏舎利塔
男坂と女坂に挟まれた小高い地に仏舎利塔は建っている。その中にお釈迦様の遺骨が納められている。
仏舎利塔の裏手には太平洋戦争末期の硫黄島で亡くなられた2万余人の兵士の慰霊碑が建立されており、その他戦争犠牲者の供養塔・碑がいくつかあると云う。
「御志納金」 杉苗の奉納
杉苗の奉納には高尾山がこれからも緑豊かな山であり続ける願いから来ているそうだが、この奉納札を見た人がこんなに杉を植えたら杉花粉でたまらないから桧にしてもらえないかと云ったとか花粉症の人には笑えぬ話もあるようだが。
四天王門
四天王門には増長天、持国天、多聞天、広目天が安置されている。
四天王
この四天王とはインド神話時代から増長天(左上)は南方、持国天(右上)は南方、多聞天(左下)は北方、広目天(右下)は西方の守護神とされている。
小天狗(別名烏天狗) 大天狗
大天狗の神通力で開運をもたらし、小天狗の剣で魔を断ち切ると云われている。
飯縄大権現本堂
権現の「権」とは「臨時の」とか「仮の」という意味で仏が「仮に」神の形になって「現れた」ことを文字で示しているとのこと。
仁王門
仁王門内の大天狗と小天狗 江戸中期に建立
天狗は飯縄権現の随身として様々な御利益を施す神通力を持つとされ多くの天狗伝説・信仰があり神格化されており、山伏の姿が天狗と同一視されているとも云われる。
鐘楼
大本坊 法螺貝の先導で本坊へ戻られる山主様
本坊とは客殿、書院、方丈殿などを含めた総称で僧侶の執務室や修行者などの修行、宿泊施設である。
飯縄権現本社
江戸時代後期の代表的な神社建築で入母屋造の本殿と拝殿を幣殿でつなぐ権現造とのこと。社殿前には鳥居があって明らかに神社ではある。寺社の中にある神社であることは神仏混淆(神仏習合)思想の典型例であるとのこと。
明治の神仏分離で各地で打ち壊しの嵐にあった際には寺院であると強く主張し難を免れたとのこと。
飯縄権現本社全体にある華麗で極彩色な装飾の数々
高尾山ハイキングで高尾に来たと思ったが1号路を歩いたからなのか高尾山の大かたが薬王院の敷地でお寺に参拝に来たと惑うほどの薬王院の広さであった。江戸時代は紀州徳川家の祈祷場でもあり大名からも厚い信仰を得ており格の高い寺のようだ。
今から1360余年前に本尊に薬師如来を安置し開山したことから薬王院と称する。
その後飯縄権現を守護神と奉ったことから古来より修験道のお山として繁栄している。
浄心門 神変堂
浄心門を潜ればここからは聖域である。神変堂は山岳種修験の祖を奉っている。
百八段の石の階段(男坂) 仏舎利塔
男坂と女坂に挟まれた小高い地に仏舎利塔は建っている。その中にお釈迦様の遺骨が納められている。
仏舎利塔の裏手には太平洋戦争末期の硫黄島で亡くなられた2万余人の兵士の慰霊碑が建立されており、その他戦争犠牲者の供養塔・碑がいくつかあると云う。
「御志納金」 杉苗の奉納
杉苗の奉納には高尾山がこれからも緑豊かな山であり続ける願いから来ているそうだが、この奉納札を見た人がこんなに杉を植えたら杉花粉でたまらないから桧にしてもらえないかと云ったとか花粉症の人には笑えぬ話もあるようだが。
四天王門
四天王門には増長天、持国天、多聞天、広目天が安置されている。
四天王
この四天王とはインド神話時代から増長天(左上)は南方、持国天(右上)は南方、多聞天(左下)は北方、広目天(右下)は西方の守護神とされている。
小天狗(別名烏天狗) 大天狗
大天狗の神通力で開運をもたらし、小天狗の剣で魔を断ち切ると云われている。
飯縄大権現本堂
権現の「権」とは「臨時の」とか「仮の」という意味で仏が「仮に」神の形になって「現れた」ことを文字で示しているとのこと。
仁王門
仁王門内の大天狗と小天狗 江戸中期に建立
天狗は飯縄権現の随身として様々な御利益を施す神通力を持つとされ多くの天狗伝説・信仰があり神格化されており、山伏の姿が天狗と同一視されているとも云われる。
鐘楼
大本坊 法螺貝の先導で本坊へ戻られる山主様
本坊とは客殿、書院、方丈殿などを含めた総称で僧侶の執務室や修行者などの修行、宿泊施設である。
飯縄権現本社
江戸時代後期の代表的な神社建築で入母屋造の本殿と拝殿を幣殿でつなぐ権現造とのこと。社殿前には鳥居があって明らかに神社ではある。寺社の中にある神社であることは神仏混淆(神仏習合)思想の典型例であるとのこと。
明治の神仏分離で各地で打ち壊しの嵐にあった際には寺院であると強く主張し難を免れたとのこと。
飯縄権現本社全体にある華麗で極彩色な装飾の数々
高尾山ハイキングで高尾に来たと思ったが1号路を歩いたからなのか高尾山の大かたが薬王院の敷地でお寺に参拝に来たと惑うほどの薬王院の広さであった。江戸時代は紀州徳川家の祈祷場でもあり大名からも厚い信仰を得ており格の高い寺のようだ。