栽培植物の起源と伝播 No10
トウモロコシの祖先を特定化する難題は、2000年代になってから急展開したというからつい最近のことになる。
遺伝子の分析と澱粉粒子の分析という新しい科学的な手法が開発され、考古学に応用されるようになって急展開した。
澱粉粒子の分析は、
それ以前の考古学が乾燥した地層で化石化した植物の残存物を発見しこの地層の年代を測定することによって栽培されていた年代を割り出していたのに対して、
石の表面に付着した澱粉から植物を割り出すのでゴミ捨て場として使用された洞窟近くの沼に沈殿した残留物からも植物を特定化できるという。
アメリカ大陸の古代文化には、コロンブス達がやってくるまで鉄の時代がなかった。
武器としての矢じりは石であり料理で使う包丁も石で、トウモロコシは硬い皮を叩いて磨り潰しこれを食していたようなので石の表面には澱粉が付着する。
澱粉は熱にさらされない限り種特有の形態を持つので、種の特定化が可能だという。
この澱粉粒子分析を使いトウモロコシの祖先である野生のテオシント(Zea mays subsp. parviglumis)の考古学的な証拠を発見したのがテンプル大学人類学の女子卒業生だったDolores R. Piperno(1949- 、現スミソニアン国立自然史博物館)だった。
異分野からのチャレンジャーがトウモロコシの祖先を見つける
(写真) Dolores R. Piperno(ドロレス・ピペルノ)
(出典)スミソニアン国立自然史博物館
ピペルノは、1971年にニュージャージ州カムデンにあるRutgers Universityを医療技師の学士で卒業し、フィラデルフィアにある病院の血液センターの研究技師として血液検査の技術開発も含めて5年間勤め、1976年にフィラデルフィアのテンプル大学で子供の頃から興味を持っていた人類学コースで大学院に再入学した。
この大学でパナマ共和国の熱帯雨林考古学を研究していたRanere, Anthony の研究室に入ったことから熱帯での栽培植物の考古学という道に踏み込むことになる。
大学から考古学に入ったならば、新しい考古学の技術開発に踏み込むこともなかっただろうが、実験・検査、顕微鏡の活用という医学的スキルを身につけたピペルノは、高温多湿で植物を腐敗させ痕跡をとどめない熱帯地方で、植物の種類を特定化する科学的なアプローチを開発していくことになる。
博士過程で取り組んだのは、植物の細胞に含まれるガラスの元ともなる珪素であり、腐敗しても残るので熱帯での栽培植物の考古学に利用できないかを研究した。
特にイネ科の植物は (トウモロコシもイネ科の植物だが) 珪酸を含むので、この形態などから種を見分けることが出来るという。
1988年にピペルノは植物珪酸体分析を用いた考古学の「Phytolith Analysis: An Archaeological and Geological Perspective」という最初の本を出版した。そして、この年にスミソニアン協会が生涯スタッフという地位を提供するまでになった。
1990年代の後半からは、珪酸体分析が出来ない植物のために澱粉粒子分析という新しい方法を模索し始めた。
この1990年代後半には、ウィスコンシン大学のJohn Doebleyが遺伝子の分析から、『メキシコの熱帯の中央バルサ川流域がトウモロコシ栽培の発祥地で、そこに生息していた野生のテオシント(Zea mays subsp. parviglumis)が現在のトウモロコシの祖先である。』
と発表していたが、栽培されていたという考古学的な証拠はまだ見つかっていなかった。
バルサ流域にあるXihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)
2000年に入ってピペルノと彼女のチームは、バルサ川流域の遺跡と3つの湖沼でサンプルを集めそれらを分析したところ、
1万4千年前にはバルサ流域に人類が生活した痕跡が見つかり、
氷河期が終わる1万年前ころから温暖になりつつある熱帯低地ではこの環境変化への対応が進み、
8千年前にはトウモロコシとカボチャが人間の手により栽培されていた証拠を湖の沈殿物から発見し、
7千年前には焼き畑農業がされていたことがわかった。
これは素晴らしい発見であり、これまでの知見を覆すものでもあった。
何しろ熱帯低地で農業がかなり早い時期に始まっていたということすら想像していなかったのだから。
2005年からテンプル大学のRanere, Anthonyをリーダーとする大掛かりな調査が始まり、ピペルノもメンバーとして加わった。
他のメンバーとしては、スミソニアン熱帯研究所のIrene Hols、テンプル大学のRuth Dickau、英国のエクセター大学José Iriarte などであり、
資金は、全米科学財団、米国地理学会、ウェンナー・グレン基金、スミソニアン国立自然史博物館、スミソニアン熱帯研究所、テンプル大学教養学部などが拠出した。
この調査では、中央バルサ川流域の人が住んでいた痕跡がある15の洞窟のうち4つを掘り、そのうちの一つであるXihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)から8700年前にトウモロコシとカボチャが栽培されていた証拠を発見した。
この事実は2009年に発表されたのでつい最近のことであり、まだ紆余曲折はありそうだが、
1. 現在のトウモロコシの祖先は、バルサ・テオシント(学名:Zea mays subsp. parviglumis)であり、(遺伝子分析からJohn Doebleyが結論付ける)
2. 人間の手による栽培はメキシコのゲレーロ州バルサ川流域で少なくとも8700年前に始まった。(Anthony Ranere、Dolores R. Pipernoチームの調査)
3. そしてこの野生種バルサ・テオシントを最初に採取して命名したIltis & Doebley
この人達のリレーによってここまで明らかになった。
イルチス、ドエブリー、ピペルノは畑違いから情熱を持ってひたすら邁進した。このパッションに敬服し、徹しきった生き方に共鳴する。彼らがいたからこそ、長い間謎だった“トウモロコシの祖先”がやっとわかるようになった。
(写真) Xihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)
(出典) the National Academy of Sciences
ところで、キシュアトキツラ洞窟について触れると、写真のようにヒトがかがまないと入れないような洞窟で、広さは75㎡で、今で言うと3LDKぐらいのスペースだろう。
この地面を掘ると、5つの時代の層が見つかり、遊牧民がキャンプ地として使っていたと考えられていたが、そこから出土した物を調べると、叩いたり磨り潰すのに使用した石(調理道具)からトウモロコシやカボチャの澱粉が付着しているのが見つけられた。
放射性炭素年代測定法で最も古いE層の年代を調べると8990年前以前であり、人間の手によって既にトウモロコシの栽培が始まっていたことがわかった。
アメリカ大陸での農業の歴史は、氷河期が終わる1万年前頃から始まっていたようであり、温暖化で絶滅したマンモスなどの大型哺乳類を追いかける遊牧狩猟生活から、小動物・木の実・エビ・貝などの狩猟採取生活に移行し、トウモロコシ・カボチャなどの栽培も加わっていた。
(写真) Xihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)から出土したもの
(出典) the National Academy of Sciences
1 A層(1240-1000前)陶器や土器の破片、黒曜石刃断片、多少の現代の瓶ガラス
2 B層(2980-2780前)、陶器や土器の破片、黒曜石刃断片、ナイフ、チョッパー(刻み用)ひき臼
3 C層(5590-5320前)、陶磁器作り以前の時代で、こて(穴をあける)ナイフ、ハンド石ミリング石をはがして薄片にしたもの
4 D層(8990-8610前)チョッパー(なた、肉きり包丁)、こて、彫刻用の石、ナイフ、両面調整石器、ミリング石(たたき、粉引き)、ハンド石
5 E層E(8990前)茎、ギザギザが入った石、槍の穂先、南京かんなのような石、先が尖った彫刻用の石、ハンド石
(出典) the National Academy of Sciences
トウモロコシ栽培のきっかけは、あくまでも推測だが、山火事がありその跡にポップコーンが散乱し、食べてみたらなんら問題がなかった。
野生のテオシントが群生しているところでポップコーンを見つけたので、この雑草を育て、その中で多くの実をつけるテオシント(突然変異種)を選んで育てるようになり、これが今日のトウモロコシになったのかもわからない。
野生のバルサ・テオシントは、実が少なく殻は固いのでちょっと手が出にくい。
ポップコーンが美味しかったので、固い殻を叩き割り、磨り潰して、料理することに気づいたのだろう。
トウモロコシの祖先を特定化する難題は、2000年代になってから急展開したというからつい最近のことになる。
遺伝子の分析と澱粉粒子の分析という新しい科学的な手法が開発され、考古学に応用されるようになって急展開した。
澱粉粒子の分析は、
それ以前の考古学が乾燥した地層で化石化した植物の残存物を発見しこの地層の年代を測定することによって栽培されていた年代を割り出していたのに対して、
石の表面に付着した澱粉から植物を割り出すのでゴミ捨て場として使用された洞窟近くの沼に沈殿した残留物からも植物を特定化できるという。
アメリカ大陸の古代文化には、コロンブス達がやってくるまで鉄の時代がなかった。
武器としての矢じりは石であり料理で使う包丁も石で、トウモロコシは硬い皮を叩いて磨り潰しこれを食していたようなので石の表面には澱粉が付着する。
澱粉は熱にさらされない限り種特有の形態を持つので、種の特定化が可能だという。
この澱粉粒子分析を使いトウモロコシの祖先である野生のテオシント(Zea mays subsp. parviglumis)の考古学的な証拠を発見したのがテンプル大学人類学の女子卒業生だったDolores R. Piperno(1949- 、現スミソニアン国立自然史博物館)だった。
異分野からのチャレンジャーがトウモロコシの祖先を見つける
(写真) Dolores R. Piperno(ドロレス・ピペルノ)
(出典)スミソニアン国立自然史博物館
ピペルノは、1971年にニュージャージ州カムデンにあるRutgers Universityを医療技師の学士で卒業し、フィラデルフィアにある病院の血液センターの研究技師として血液検査の技術開発も含めて5年間勤め、1976年にフィラデルフィアのテンプル大学で子供の頃から興味を持っていた人類学コースで大学院に再入学した。
この大学でパナマ共和国の熱帯雨林考古学を研究していたRanere, Anthony の研究室に入ったことから熱帯での栽培植物の考古学という道に踏み込むことになる。
大学から考古学に入ったならば、新しい考古学の技術開発に踏み込むこともなかっただろうが、実験・検査、顕微鏡の活用という医学的スキルを身につけたピペルノは、高温多湿で植物を腐敗させ痕跡をとどめない熱帯地方で、植物の種類を特定化する科学的なアプローチを開発していくことになる。
博士過程で取り組んだのは、植物の細胞に含まれるガラスの元ともなる珪素であり、腐敗しても残るので熱帯での栽培植物の考古学に利用できないかを研究した。
特にイネ科の植物は (トウモロコシもイネ科の植物だが) 珪酸を含むので、この形態などから種を見分けることが出来るという。
1988年にピペルノは植物珪酸体分析を用いた考古学の「Phytolith Analysis: An Archaeological and Geological Perspective」という最初の本を出版した。そして、この年にスミソニアン協会が生涯スタッフという地位を提供するまでになった。
1990年代の後半からは、珪酸体分析が出来ない植物のために澱粉粒子分析という新しい方法を模索し始めた。
この1990年代後半には、ウィスコンシン大学のJohn Doebleyが遺伝子の分析から、『メキシコの熱帯の中央バルサ川流域がトウモロコシ栽培の発祥地で、そこに生息していた野生のテオシント(Zea mays subsp. parviglumis)が現在のトウモロコシの祖先である。』
と発表していたが、栽培されていたという考古学的な証拠はまだ見つかっていなかった。
バルサ流域にあるXihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)
2000年に入ってピペルノと彼女のチームは、バルサ川流域の遺跡と3つの湖沼でサンプルを集めそれらを分析したところ、
1万4千年前にはバルサ流域に人類が生活した痕跡が見つかり、
氷河期が終わる1万年前ころから温暖になりつつある熱帯低地ではこの環境変化への対応が進み、
8千年前にはトウモロコシとカボチャが人間の手により栽培されていた証拠を湖の沈殿物から発見し、
7千年前には焼き畑農業がされていたことがわかった。
これは素晴らしい発見であり、これまでの知見を覆すものでもあった。
何しろ熱帯低地で農業がかなり早い時期に始まっていたということすら想像していなかったのだから。
2005年からテンプル大学のRanere, Anthonyをリーダーとする大掛かりな調査が始まり、ピペルノもメンバーとして加わった。
他のメンバーとしては、スミソニアン熱帯研究所のIrene Hols、テンプル大学のRuth Dickau、英国のエクセター大学José Iriarte などであり、
資金は、全米科学財団、米国地理学会、ウェンナー・グレン基金、スミソニアン国立自然史博物館、スミソニアン熱帯研究所、テンプル大学教養学部などが拠出した。
この調査では、中央バルサ川流域の人が住んでいた痕跡がある15の洞窟のうち4つを掘り、そのうちの一つであるXihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)から8700年前にトウモロコシとカボチャが栽培されていた証拠を発見した。
この事実は2009年に発表されたのでつい最近のことであり、まだ紆余曲折はありそうだが、
1. 現在のトウモロコシの祖先は、バルサ・テオシント(学名:Zea mays subsp. parviglumis)であり、(遺伝子分析からJohn Doebleyが結論付ける)
2. 人間の手による栽培はメキシコのゲレーロ州バルサ川流域で少なくとも8700年前に始まった。(Anthony Ranere、Dolores R. Pipernoチームの調査)
3. そしてこの野生種バルサ・テオシントを最初に採取して命名したIltis & Doebley
この人達のリレーによってここまで明らかになった。
イルチス、ドエブリー、ピペルノは畑違いから情熱を持ってひたすら邁進した。このパッションに敬服し、徹しきった生き方に共鳴する。彼らがいたからこそ、長い間謎だった“トウモロコシの祖先”がやっとわかるようになった。
(写真) Xihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)
(出典) the National Academy of Sciences
ところで、キシュアトキツラ洞窟について触れると、写真のようにヒトがかがまないと入れないような洞窟で、広さは75㎡で、今で言うと3LDKぐらいのスペースだろう。
この地面を掘ると、5つの時代の層が見つかり、遊牧民がキャンプ地として使っていたと考えられていたが、そこから出土した物を調べると、叩いたり磨り潰すのに使用した石(調理道具)からトウモロコシやカボチャの澱粉が付着しているのが見つけられた。
放射性炭素年代測定法で最も古いE層の年代を調べると8990年前以前であり、人間の手によって既にトウモロコシの栽培が始まっていたことがわかった。
アメリカ大陸での農業の歴史は、氷河期が終わる1万年前頃から始まっていたようであり、温暖化で絶滅したマンモスなどの大型哺乳類を追いかける遊牧狩猟生活から、小動物・木の実・エビ・貝などの狩猟採取生活に移行し、トウモロコシ・カボチャなどの栽培も加わっていた。
(写真) Xihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)から出土したもの
(出典) the National Academy of Sciences
1 A層(1240-1000前)陶器や土器の破片、黒曜石刃断片、多少の現代の瓶ガラス
2 B層(2980-2780前)、陶器や土器の破片、黒曜石刃断片、ナイフ、チョッパー(刻み用)ひき臼
3 C層(5590-5320前)、陶磁器作り以前の時代で、こて(穴をあける)ナイフ、ハンド石ミリング石をはがして薄片にしたもの
4 D層(8990-8610前)チョッパー(なた、肉きり包丁)、こて、彫刻用の石、ナイフ、両面調整石器、ミリング石(たたき、粉引き)、ハンド石
5 E層E(8990前)茎、ギザギザが入った石、槍の穂先、南京かんなのような石、先が尖った彫刻用の石、ハンド石
(出典) the National Academy of Sciences
トウモロコシ栽培のきっかけは、あくまでも推測だが、山火事がありその跡にポップコーンが散乱し、食べてみたらなんら問題がなかった。
野生のテオシントが群生しているところでポップコーンを見つけたので、この雑草を育て、その中で多くの実をつけるテオシント(突然変異種)を選んで育てるようになり、これが今日のトウモロコシになったのかもわからない。
野生のバルサ・テオシントは、実が少なく殻は固いのでちょっと手が出にくい。
ポップコーンが美味しかったので、固い殻を叩き割り、磨り潰して、料理することに気づいたのだろう。