モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

18世紀末、スペインの科学的な植物探検物語

2017-03-07 21:07:46 | Ruiz&Pavón探検隊、ペルーの植物探検
18世紀末、スペインの科学的な植物探検物語

16世紀以降の南アメリカでの植物探検が前から気になっていた。
新大陸南アメリカに進出した旧世界の人間は、南アメリカからジャガイモ、トマト、落花生、カカオ、パイナップルなどを旧世界にもたらした。逆に新世界には大麦、ニンジン、キャベツなどをもたらした。
このように、コロンブスが新大陸を発見することにより、原産地が異なるものを移植・栽培して活用したことを“コロンブスの交換「Columbian Exchange」”と言っているが、新大陸南アメリカでの有用植物の発見には様々なドラマがあるはずなのでその人間模様を覗いてみたい。という単純な思いがあった。

これから何回かのシリーズで展開していこうと思うが、その始まりはスペインのペルー副王国王立植物探検とすることにした。

【イントロダクション】
スペインの国王、カルロス三世(Carlos III, 1716-1788、在位:1759-1788)の時代に、新大陸アメリカ・植民地での動物・植物・鉱物等の天然資源を科学的に評価・調査する大規模な探検隊を3つも組織して派遣している。
(写真)Carlos III

(出典)Wikipedia

【3つの王立植物探検隊とは】
===============================================================
1.ペルー副王国での王立植物探検(The Royal Botanical Expedition to the Viceroyalty of Peru 1777‐1788)
2.ニューグラナダ副王国での王立植物探検(The Royal Botanical Expedition to the Viceroyalty New Granada 1783‐1816)
3.ニュースペイン副王国での王立植物探検(The Royal Botanical Expedition to the Viceroyalty New Spain 1787‐1803)
===============================================================
最初の植物探検は1777年~1788年までの11年間実施したペルー副王国(建国1542‐1824、現在のペルー・チリー)の植物探検、二番目が1783年~1816年までのニューグラナダ副王国(建国1717‐1821、現在のコロンビア・エクアドル・ベネズエラ・パナマ・北西部ブラジル・ギアナ等を含む)の植物探検、そして三番目に1787年~1803年までニュースペイン副王国(建国1521‐1821、メキシコ・南西部及び中央部米国)での三つのスペイン王室がスポンサーとなった植物探検が実施された。

三番目のニュースペイン探検隊は、 「セッセ(Sessé)探検隊①~⑧」として既に取り上げたが、この三つの探検隊がスペインに帰国した年には命令者のカルロス三世は亡くなっており、後を継いだ息子のカルロス4世(Carlos IV, 1748-1819、在位1788-1808)は、難しいことには興味が無く、1808年にはナポレオンにより退位させられスペインはナポレオン・フランスの支配下にはいるという悪い環境の時に帰国している。

こんな時代背景だが、これほどの大規模な新世界の植物調査探検隊を組織して実施したのは何故だろう? というのが最大の疑問としてある。

言い換えれば、コロンブスが新大陸を発見した1492年以降、何世紀にも亘って新大陸植民地の天然資源をライバルに知られないように秘匿してきたスペインが18世紀後半にこれまでの方針を覆し大変身した。この大変身には何らかの理由があるはずだ! 
この国策としての方針変更の理由を探るとともに、18世紀末の南米ペルー及びチリーなどの植物探検の旅を垣間見ることにしたい。

【ペルー副王国での植物探検の始まり】
The Royal Botanical Expedition to the Viceroyalty of Peru (1777‐1788)

「フランスのルイ16世の海軍大臣及び財務長官 チュルゴー(Turgot ,Anne Robert Jacques 1727 – 1781) は、J・ジュシューの失われたコレクションを取り戻すためにペルーへの科学的な遠征を開始することを1775年に決めた。」

(写真)Turgot ,Anne Robert Jacques

(出典)Wikipedia

フランス革命の直前まで国家財政の建て直しに奔走したチェルゴーは、同じブルボン王朝の親戚とはいえスペインの領土であるペルーで科学的な植物調査を実施することを決められるはずも無いが、スペインを動かし2年後に「ペルー副王国への科学的な植物探検」として実現することになった。
この動機である『J・ジュシューの失われたコレクション』とは何か?

『J・ジュシューの失われたコレクション』
ジュシューファミリーは、フランスで名高い16世紀末から続く植物一家。ジョセフ・ジュシュー(Joseph de Jussieu 1704-1779)は、Antoine, Bernard、3兄弟の末弟とだけ紹介しておく。

(写真)Antoine, Bernard et Joseph de Jussieu

(出典)france-pittoresque   institut-klorane

次に続く



コメント    この記事についてブログを書く
« No40:セッセ探検隊⑧:セッセ... | トップ | 『The French Geodesic Missi... »

コメントを投稿

Ruiz&Pavón探検隊、ペルーの植物探検」カテゴリの最新記事