渋谷東急文化村の美術館にフェルメールが来ていた。
気づくのが遅かったし震災後はなかなか東京に行くことが出来なかった。『フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展』の最終日が5月22日なのであわてて昨日見に行ってきた。
東急文化村は久しぶりで、勝手がわからなくなっていた。
オーチャードホール(Orchard Hall)にはよく行ったものだが、ミュージアムがあったとは気がつかなかった。
エスカレーターで地下1階まで降り、そこには新緑に陽が降り注ぐ中庭を取り囲んで、ミュージアム、カフェ「ドゥ マゴ パリ」、本屋がある。
とてもコンパクトな美術館だが、「ドゥ マゴ パリ」があるので他の美術館と違って絵だけではない魅力ポイントがある。
昨年も上野の東京都美術館で“フェルメールと同時代のオランダ絵画展”があったが、その時の半分ぐらいの規模なのだろう。
絵画展は適度に込んでいたが、目的の絵を3点に絞っていたので15分ぐらいで見終わってしまった。
(写真)ヨハネス・フェルメール 《地理学者》1669年 油彩・キャンヴァス
(出典)mystudios.com
フェルメール(Johannes Vermeer 1632-1675)が描いた「地理学者」は、ジャッキーチェーンの映画「酔拳」などに敵方の用心棒として登場するそっくりな人物がいた。それを確かめるためにしげしげと見てしまった。
なぜこんな印象を持ってしまったかといえば、この地理学者は、右手にコンパスを持ち窓の外のはるか遠くを思考がさまよっているようだが、日本の“どてら”か中国の“ガウン”を着ているせいだろう。
そして、机の下の隠れたところには、“火鉢”があり股を温めている。となると、鉄火場にいる用心棒となってしまう。
日本・中国ではこんな職業を表すスタイルとなるが、フェルメールは、地理学者・天文学者としてのきっとその当時ではNewサイエンスの先進的なスタイルとして取り入れた。
1600年代中頃のオランダは、東インド会社が日本・中国との貿易で大活躍していて、その異国情緒な“どてら”が地理学者の設定として貴重な衣装だったのだろう。
フェルメールは、左側にやわらかい陽の光が入る窓(北側といわれている)、左手前に彼の視線でもある消失点またはカメラオブスキュラがあったといわれる構図で多くの絵を描いている。
しかし、単独の男を描いた絵は2点しか残されていない。「地理学者(1669年作)」と前年に描かれた「天文学者(1668年作)」であり、同じ人物が描かれている。
実在のモデルがいたといわれており、フェルメールと同じ年にデルフトで生まれたレーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)で、フェルメール死後の遺産管財人となった人物だ。
フェルメール家は、フェルメールブルーとも言われる、“ラピスラズリ(lapis lazuli)”が入ったウルトラマリンブルーという高価な絵の具などを使用したために借金がかさみ破産した。残された数少ない絵は、競売にかけられ分散することになるが、この仕切りをしたのがレーウェンフックだった。
(写真)レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)
(出典)xs4all
レーウェンフックは、独学で顕微鏡を作り、趣味でこれを眺めているうちに微生物を発見し、微生物学の父とも言われるようになった。とにかくなんでも顕微鏡で眺めていたのだろう。1677年には、精液を眺めているうちにおたまじゃくしのようにうごめく精子まで発見してしまった。
単なる職人・商人ではなかったので、学者のモデルとして適していたのだろう。
だが、フェルメールは、男を描ききれなかったと感じた。
同じ構図での女の描き方には魅入られるほどだが、この「地理学者」には何故かワクワクしない。
(写真)ドゥ マゴ パリのテラス
何故なのだろう? ということを考えながら、“ドゥ マゴ パリ”のテラスでオムレツを食べながらビールをノンビリと飲んだ。
この一時間は癒しの一時間だった。タバコが吸えたことも得点が高い。
気づくのが遅かったし震災後はなかなか東京に行くことが出来なかった。『フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展』の最終日が5月22日なのであわてて昨日見に行ってきた。
東急文化村は久しぶりで、勝手がわからなくなっていた。
オーチャードホール(Orchard Hall)にはよく行ったものだが、ミュージアムがあったとは気がつかなかった。
エスカレーターで地下1階まで降り、そこには新緑に陽が降り注ぐ中庭を取り囲んで、ミュージアム、カフェ「ドゥ マゴ パリ」、本屋がある。
とてもコンパクトな美術館だが、「ドゥ マゴ パリ」があるので他の美術館と違って絵だけではない魅力ポイントがある。
昨年も上野の東京都美術館で“フェルメールと同時代のオランダ絵画展”があったが、その時の半分ぐらいの規模なのだろう。
絵画展は適度に込んでいたが、目的の絵を3点に絞っていたので15分ぐらいで見終わってしまった。
(写真)ヨハネス・フェルメール 《地理学者》1669年 油彩・キャンヴァス
(出典)mystudios.com
フェルメール(Johannes Vermeer 1632-1675)が描いた「地理学者」は、ジャッキーチェーンの映画「酔拳」などに敵方の用心棒として登場するそっくりな人物がいた。それを確かめるためにしげしげと見てしまった。
なぜこんな印象を持ってしまったかといえば、この地理学者は、右手にコンパスを持ち窓の外のはるか遠くを思考がさまよっているようだが、日本の“どてら”か中国の“ガウン”を着ているせいだろう。
そして、机の下の隠れたところには、“火鉢”があり股を温めている。となると、鉄火場にいる用心棒となってしまう。
日本・中国ではこんな職業を表すスタイルとなるが、フェルメールは、地理学者・天文学者としてのきっとその当時ではNewサイエンスの先進的なスタイルとして取り入れた。
1600年代中頃のオランダは、東インド会社が日本・中国との貿易で大活躍していて、その異国情緒な“どてら”が地理学者の設定として貴重な衣装だったのだろう。
フェルメールは、左側にやわらかい陽の光が入る窓(北側といわれている)、左手前に彼の視線でもある消失点またはカメラオブスキュラがあったといわれる構図で多くの絵を描いている。
しかし、単独の男を描いた絵は2点しか残されていない。「地理学者(1669年作)」と前年に描かれた「天文学者(1668年作)」であり、同じ人物が描かれている。
実在のモデルがいたといわれており、フェルメールと同じ年にデルフトで生まれたレーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)で、フェルメール死後の遺産管財人となった人物だ。
フェルメール家は、フェルメールブルーとも言われる、“ラピスラズリ(lapis lazuli)”が入ったウルトラマリンブルーという高価な絵の具などを使用したために借金がかさみ破産した。残された数少ない絵は、競売にかけられ分散することになるが、この仕切りをしたのがレーウェンフックだった。
(写真)レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)
(出典)xs4all
レーウェンフックは、独学で顕微鏡を作り、趣味でこれを眺めているうちに微生物を発見し、微生物学の父とも言われるようになった。とにかくなんでも顕微鏡で眺めていたのだろう。1677年には、精液を眺めているうちにおたまじゃくしのようにうごめく精子まで発見してしまった。
単なる職人・商人ではなかったので、学者のモデルとして適していたのだろう。
だが、フェルメールは、男を描ききれなかったと感じた。
同じ構図での女の描き方には魅入られるほどだが、この「地理学者」には何故かワクワクしない。
(写真)ドゥ マゴ パリのテラス
何故なのだろう? ということを考えながら、“ドゥ マゴ パリ”のテラスでオムレツを食べながらビールをノンビリと飲んだ。
この一時間は癒しの一時間だった。タバコが吸えたことも得点が高い。
このプラントハンターのブログをアメリカ住まいの知人にお知らせしました。彼女の家の近くに黒船のペリー提督が持ち帰った泰山木か紫木蓮だったか大きな木が毎年見事な花を咲かせるそうです。ペリー提督もプラントハンターだったんですね。
文化村には二日酔いで出かけ、見終わってまた二日酔いになってしまい、都合三日酔いでした。私が歩くと棒とか暴にはあたらずに酒に当たるようでこれはこれで良しですね。
この答えを出せる人が求められているのでしょうね?