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モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No4:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その2

2011-10-12 12:35:38 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No4
トウモロコシは祖先がわからないという。野生の原種が必ずあるはずだが、どこかで不連続な突然変異があったようだ。8千年前にはトウモロコシの栽培化が始ったようだが、人類が採取して食していた1万年前の頃なのか,大規模に栽培されるようになった5千年前の頃なのかわからないが、そこには祖先とは異なる大きな変化が起きたようだ。
現在提示されているシナリオとしては、

(1) 野生の原種に突然変異が起こったという説。
(2) 野生の種が交配して誕生し、親は絶滅したという説。
の二つがある。(別途説明)

ルーツ・祖先を探すということは人類の足跡を遡る科学的なロマンでもあるが、一方で、祖先=遺伝子と捉えると、トウモロコシほどの重要な穀物ともなると計り知れない利益をもたらす種(タネ・遺伝子)ビジネスのチャンスともなってくる。
人間の食料・動物の飼料・エネルギー源として利用されるトウモロコシにもその品種改良によって起きてきた問題がある。品種改良により大量に生産される品種だけが栽培されるようになると多様性を失うので、かつてヨーロッパで起こったバクテリアを原因とするジャガイモ飢饉のように全滅する危険がある。
原種があれば最初からやり直すことが可能であり、トウモロコシの祖先探しは人類の生存という“実利”が賭けられた“ロマン”でもありそうだ。

さらに無関係そうなエピソードだが、トウモロコシの祖先探しに貢献した米国の植物学者でウイスコンシン・マディソン大学の植物学教授イルチス(Iltis, Hugh Hellmut1925- )のキャリアを見るとなるほどと思うところがある。

(写真)イルチス
 
(出典)ミズリー大学
彼は、チェコスロバキアで生まれ、ナチスが侵攻する直前に米国に脱出し、米軍の兵士としてヨーロッパ戦線に加わったという。戦後ナチスが残した書類からナチスの戦争犯罪を証拠づけるものを発見したという。
見るもの見えずという凡人ではなく、仮説を設定し立証していくという能力に優れていたのだろう。だからこそ謎めいたトウモロコシの祖先を発見できたのだろうとも思う。

また彼は、植物探検隊を派遣しウィスコンシン・マディソン大学ハーバリウムに膨大なコレクションを作ったコレクターでもあり、植物標本100万枚を集めたともいうので徹底している。
絶滅危惧種を保存するための環境保護運動にも積極的で、トウモロコシの先祖探しも保護することが目的のひとつにあったのだろう。
ついでに補足しておくと、イルチスはペルーで野生のトマトを発見していて、トマト好きの人々に素晴らしい恩恵をもたらしている。いずれ「トマト」のところで触れなければならないだろう。

現在のトウモロコシの基礎
トウモロコシは、イネ科の一年草で草丈200㎝にも育ち、イネ科とは思えないほど葉が幅広い。茎の先端にはススキのような雄花が咲き、茎の中ほどに雌花が咲く雌雄異花であり、風により雄しべの花粉を雌しべにあたるトウモロコシのひげが受粉すると実をつける。
学名は、Zea mays L.で、和名ではトウモロコシ(玉蜀黍)トウキビ(唐黍)など様々な呼び方がある。英語ではコーン(Corn)が一般的だが、英国ではメイズ(Maize)と呼ぶ。

(写真)雌花(左) 雄花(右)

(出典)家庭菜園で癒しの空間

現在認められているトウモロコシ属の品種分類

1.Zea mays L.(1753)
1-1 Zea mays subsp.mays – Maize, Corn
1-2 Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972).
1-3 Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980).
1-4 Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990).
2.Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942).(多年生)
3.Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978)
4.Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)(多年生)
5.Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000).

ジーア属、和名ではトウモロコシ属は、メキシコおよび中央アメリカ原産の5つの野生種(イルチスは4つとしZea nicaraguensisは含まれない。)と4つの亜種からなり、Zea mays subsp.mays (Maize, Corn)を除く7種の野生種をテオシント(teosinte、和名ではブタモロコシ)とも呼ぶ。


“神のトウモロコシ”テオシント(teosinte,wild Zea spp. 和名ブタモロコシ)
このテオシントは、トウモロコシに最も近い野生種で、アステカ文明を支えたナワ族の言葉では“神の(teo)トウモロコシ(centli)”を意味し、先祖から受け継いだ尊い食糧を示唆する。

(写真)Teosinte

(出典)ミズリー大学

(写真)左Teosinte、右トウモロコシ、中央両者のハイブリット
 
(出典)University of Wisconsin-Madison
 Teosinte ear (Zea mays ssp mexicana) on the left, maize ear on the right, and ear of their F1 hybrid in the center (photo by John Doebley)

と言っても、現在のトウモロコシと比べると草丈は小さく葉が大きい。養分が葉にいっている為か穂軸は小さくそこにつく実も小さく10粒程度と少なく食用に耐え得ない。

そこで次回は、7種の野生種のテオシントを命名された年代順にそれぞれの特徴を見ることにする。

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No3:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その1

2011-10-04 17:31:40 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No3

アステカの四大食糧
スペイン人が侵略する以前のアステカには、食糧となる重要な栽培植物があった。
スペイン人が記述していた重要な食物として、トウモロコシ(maize or corn)豆(beans)チア(Chia)アマランス(amaranth)をアステカの四大食糧としてあげている。
これらは何れもメキシコ及びその周辺が原産地で、アマランスを除き世界に普及した植物だ。そのほかにも、唐辛子、カボチャ、トマト、カカオ、ピーマン、ズッキーニそしてタバコなど我々の食卓・嗜好に欠かせないものが多い。

ここにあげたものは、コロンブス以降にメキシコ・中南米からヨーロッパへ、そして日本へと伝播・普及していくことになる。
いまでは、あまりにも身近になりすぎ気にも留めない存在となっているが、美味しくいただくために遠い昔に戻ってみることにする。

世界の三大穀物
ちなみに、世界の三大穀物はすべてイネ科の植物で、小麦・米・トウモロコシが世界の三大穀物といわれている。トウモロコシもイネ科だったのですね。

この三大穀物の原産地を見ると、まるで神の見えざる手による配置がなされたかのように見事に分布している。
小麦は、中央アジアのコーカサス地方から西アジアのイラン周辺が原産地と考えられていて、1 粒系コムギの栽培は1万5千年前頃に始まりヨーロッパに入ってきた。
一方、米つまりイネは、中国・雲南省から、ラオス、ミャンマーと国境を接する亜熱帯気候のかなり広範囲な地域が原産地と言われ、その栽培は1万年前頃に始まりアジアに広まる。
トウモロコシについてはこれから検証していくが、原産地はメキシコ周辺といわれ、ベーリング海峡を渡って南下してきたモンゴロイドのために用意されていたのだろうか?
紀元前5000年頃には南北アメリカで栽培され、マヤ文明、アステカ文明を支えた食糧となったが、トウモロコシだけはその祖先がよくわからない。
この謎を解こうとしたのが米国の考古学者マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918 – 2001)だった。

メキシコの古代遺跡発掘のリーダー、マクネイシ
マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918 – 2001)は、ニューヨークで生まれ12歳のとき学校の授業でのマヤ人のことをレポートしたときから考古学に興味を持ったというから若くして将来なすべきことを見つけた。

1949年、彼が31歳の時にシカゴ大学から博士号を取得し、この年にメキシコ北東部のSierra de Tamaulipasの洞窟で相当に古い原始的なトウモロコシの穂軸を発見した。これが彼の生涯の研究テーマを決めることになり、アメリカ大陸での農耕の起源と栽培植物としてのトウモロコシの原種探索を追い求めることになった。

ところで、Sierra de Tamaulipas洞窟で発見したトウモロコシは、紀元前2500年頃のものであり、同じ頃にニューメキシコのBat 洞窟で発見されたトウモロコシと同じ年代だった。
マクネイシは、トウモロコシの祖先はもっと南から来たのではないかと推理し、メキシコとペルーの間にあるのではないかと思った。
乾燥した洞窟をホンジュラス、グアテマラで探したが見つからなかったので、Tamaulipas洞窟より南にあるメキシコに絞り込んで洞窟を探した。

(写真)テワカンバレー

(出典)Flickriver

1961年夏からはメキシコシティの南東部にあるテワカンバレーの発掘に集中し、この一帯で人間が住んでいた500の洞穴と屋外の居住区を確認し、植物の痕跡と生活に使った道具など100,000点以上も発掘した。
その中には、「最も古いトウモロコシ、最も古いスカッシュとヒョウタン、最も古いトウガラシと豆、最も古いトマトとアボカド、最も古いコットン、最も古い飼いならされた犬と七面鳥、最も古いメキシコのミツバチ」の証拠を見つけた。

数多くの洞窟の中でも重要な発見がされたコスカトラン洞窟(Coxcatlan Cave)は、240㎡の広さに1万年前の人間の居住した炉の痕跡があり、堆積した土壌から8千年前(紀元前5960年頃)の栽培された植物(トウモロコシ、ヒョウタン、スカッシュ、豆)の痕跡が見つけられた。

(写真)Coxcatlan Cave

(出典)University of Michigan

トウモロコシは紀元前5960年頃コスカトラン洞窟付近で栽培が始っていたことになり、
マクネイシは、メキシコからペルーの間にトウモロコシの起源があるという彼の仮説の立証に近づいていたことになる。

トウモロコシの祖先とその原産地は依然として諸説がありよくわかっていないところがあるので、次回その謎解きをしてみよう。

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No2 最古の栽培植物、ヒョウタンの不思議

2011-09-28 08:14:29 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No2

“ヒョウタン”は、人類最古の栽培植物のひとつであるという。
何故かといえば、果肉は果実として食用になり、乾燥させると容器・楽器として使われ、水を蓄える容器として欠かせない。日常的にも、長旅をする旅人にとってもこの上ない重宝な植物だ。また、乾燥した種子は生命力が強く海水に長時間さらされても容易に発芽するのでヒョウタン自体が長旅可能な植物なのだ。

 
(出典)アメリカ農務省USDA

原産地は南アフリカといわれ、いくつかの品種の中で世界に広がっていった種は、学名でLagenaria siceraria(ラゲナリア・シセラニア)という品種であり、1万年前にはアジアおよびアメリカ大陸にたどり着いていて、アジアとアメリカ大陸で人間の手で栽培植物化された。というのが定説として認められているようだ。

さて、どうしてアメリカ大陸まで伝播したのだろうかという疑問に対しては、二つの解がある。一つ目は、南アフリカで誕生した人類の祖先の大移動とともに世界に広がったという説と、二番目には、海を渡ったという説である。

ヒョウタンとともにモンゴロイドが現在のベーリング海峡を渡ったと考えられるのは、氷河期で陸続きになった時であり、今から2万5千年~1万5千年前、1万2千年~1万年前の2回がチャンスとなる。
マンモスを追いかけてベーリング海峡を渡ったモンゴロイドが、アメリカ大陸を南下しつつ“ヒョウタン”の種子をメキシコに持ち込んだのだろうか?

ヒョウタンを栽培した記録をさかのぼると、メキシコとペルーで栽培されたのが紀元前6000年、フロリダで紀元前5300年、エジプトで紀元前3400年、ザンビアで紀元前2000年から栽培されていることが確認されているので、ヒョウタンの原産地であるアフリカよりもアメリカ大陸で人間の手により栽培されたのが早いということになる。

モンゴロイドがベーリング海峡を渡りヒョウタンの種をアメリカ大陸に持ち込んだという説は、以上のような時間軸から見てもありえそうだ。
難点は、熱帯から亜熱帯の植物であるヒョウタンが、寒冷地で栽培されないまま数千年もの間種子のままでベーリング海峡を超えメキシコまで持っていくことが可能だろうかということだ。
モンゴロイドがヒョウタンの種をアメリカ大陸に持ち込んだという説は納得性にかけるようだ。

ということは、1万年前にアメリカ大陸に着いたヒョウタンは、アフリカ原産のヒョウタンが大洪水か何かで海に流れ込み、大西洋に無数にプカプカ浮かびアメリカ大陸に流れ着いたという説のほうが説明力がありそうだ。
そしてそのヒョウタンの有用性に気づいたメキシコ、ペルーに住んでいたネイティブが自生していたヒョウタンを採取して使うだけでなく栽培するようになった。
という説が説得力がありそうだ。

最近の科学では遺伝子(DNA)分析から関係性を見ることが出来る。
ヒョウタンの原産地はアフリカ南部であることは変わらないが、1万年前にアジアとアメリカ大陸に伝播したヒョウタンの遺伝子を見ると、アメリカ大陸のヒョウタンはアジアのヒョウタンに近いという。
ということは、アフリカ原産のヒョウタンが大西洋を漂流してアメリカ大陸に流れ着いたという説得力ある説は根底から崩れることになり、アジアで栽培されたヒョウタンが何らかの手段でアメリカにわたったか、或いは、その逆にアメリカで栽培されたヒョウタンがアジアにもたらされたかのどちらかとなる。

余談となるが、南太平洋の島々ポリネシアにもヒョウタンが1千年前に伝播しているが、これはカヌーに乗った海のモンゴロイドの子孫がペルーにたどり着き、サツマイモとヒョウタンを持ち帰ったという説がある。
※(サツマイモに関しては、「ときめきの植物雑学、その7.サツマイモの伝播③、④」を参照)
この説は、アメリカ大陸に近い東側のポリネシアの島々にはヒョウタンが導入されたが、アジアに近い西ポリネシアにはないというのが根拠となり、アジアからの伝播ではなくアメリカ大陸からの伝播だといわれている。

コロンブス以前にアメリカ大陸はポリネシアとつながっていたという説は、歴史に新しい光を当てるので喜ばしいことだ。
しかし、絵物語は科学で覆され夢となるが、この例も夢となるのだろうか?

日本にも1万年前の縄文時代には伝播していたという。
福井県若狭町三方湖に入り込んだ丘陵の南側斜面で三軒分の竪穴住居跡(鳥浜貝塚:とりはまかいづか)が発見され、1962年から発掘調査がされてきた。ここには、縄文時代草創期から前期というから今から約12,000~5,000年前の集落遺跡があり、湖に投げ込まれたゴミ捨て場から栽培植物が発掘された。
縄文時代に農耕がされていたか否かはまだ論争中だが、5000年前の層からは栽培植物であるアズキ、エゴマ、ウリ、ヒョウタン、ゴボウが、8000年前の層からはヒョウタンが出土している。
このヒョウタンは、1万年前に対馬海流に乗って若狭湾に流れ着いたのか、縄文人が南方或いは朝鮮半島からもたらしたのか決着がついていない。
しかし、鳥浜貝塚のヒョウタンの事例は、海外の文献にも出るほど時代推定の確度が高く、伝播のシナリオ作りに寄与しているようだ。

ということは、アメリカ大陸よりもちょっと早いか、或いは、世界的に同時期に人間の手でヒョウタンの栽培が始った可能性がある。ヒョウタンは、多少の時間差はあるがその当時の世界の人類に共通して受け入れられグローバル化した最初の栽培植物なのかもわからない。

「無病息災」という語もひょうたん“六つで無病=六瓢(ムビョウ)”というように縁起の良い植物であり、お隣韓国では、今人気の“マッコリ”を瓢箪を縦に割ったものを柄杓として使い酒を汲むのが慣わしという。
きっと、ヒョウタンは世界でこのような生活文化が無数にあるのだろう。

最後に、ヒョウタンの仲間ウリ科の代表を紹介すると、スイカ、メロン、カボチャ、キュウリなどであり、夏場に欠かせない果菜だ。果物だが野菜という扱いがされるので果菜というそうだ。

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No1 栽培植物の起源と伝播 プロローグ

2011-09-25 15:54:22 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No1
(写真)メキシコの遺跡

メキシコシティの南東部に位置するテワカン市にあるテワカンバレー(Tehuacán valley)の洞窟から最も古いトウモロコシ、インゲン豆、ひょうたん,カボチャ、チリペッパー、トマト、アボガド、綿などの栽培された植物が見つかった。
このテワカン市は、1549年に建設されたメキシコでも古いスペインの植民都市だが、テワカン・バレーは、紀元前9000年頃からの狩猟採集生活、紀元前1500年頃からの農耕生活の遺跡がある古い地域であり、半乾燥地のために遺跡の保存状態が良く、豊かな植物相のところでもある。ここにある洞窟からは、メキシコ原産の植物が多数発見されている。

おや~? メキシコに“ひょうたん”があった。確か“ひょうたん”はアフリカ原産のはず? と、かすかな疑問程度で済ませていた。
その当時は、
① アメリカ大陸にも独自の“ひょうたん”の原種があったのか、
② 或いはまた、アジア大陸からベーリング海峡を経由してアメリカ大陸に移動したモンゴロイドがもたらしたのか、
③ さらには南太平洋を島伝いに南アメリカに渡った可能性がある“海のモンゴロイド”がもたらしたのか
④ 椰子の実が遠き島より流れ着くように、“ひょうたん”の実が海流に乗りアメリカ大陸にたどり着いたのか
などが脳裏をよぎった。

この謎解きは次回以降に譲ることにして、植物は移動しないが移動を仲立ちするものがあり、固有の種(原種・原産地)とその伝播という広がりには、その背後に人間の営みである物語が隠されているはずだ。
この物語を掘り出してみたくなった。

近年になって、植物資源を保護する動きが出てきた。
昆虫・動物が関わった場合はその行動範囲が限られるのでオリジナリティが守られやすい。しかし、人間が関わると短時間で広範囲に広がり、また、“より大量に”“より美味しく”“より美しく”など様々な目的を持って品種改良を施すのでオリジナリティが消滅する。

1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、ジャガイモを主食料としていたアイルランドでは、人口の20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出したという“ジャガイモ飢饉”が起きた。
原因は、収穫が多い品種に絞って栽培していたため遺伝的な多様性がなくなり、メキシコの特定地域にしかいなかった病原菌が入ってきて致命的な作物被害をもたらしたためだが、現在の主要作物も同じような問題を抱えている。
主要作物の原種および原種に近い植物の遺伝子は、ここに戻ればやり直しが利くという意味でも重要になってきている。
植物は、食料だけでなく人間の営みのあらゆるところで役に立っているので、原産国はこの権利を守りたいというのは当然だろう。

だが、こういった難しいこととは一線を画し、食卓に上った食材を美味しくいただくための昔物語を始めようと思う。

特に、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見してから、アメリカ大陸原産の植物がヨーロッパに伝わり、日本にも伝わってきた。
代表的なのは、ジャガイモ、サツマイモ、スイートコーン、カボチャ、トマト、トウガラシ、キャッサバ、カカオ、落花生、ズッキーニ、ピーマン、イチゴ、パイナップル、アセロラ、アボガド、グアバ、バニラ、タバコなどであり、今では、私たちの日々の食卓を美しく・美味しく・楽しく、そして健康的にも不健康的にもしてくれている植物・食材が豊富にあり、これがアメリカ大陸原産だったのかと思うものすらある。

ヨーロッパ人にとっての新大陸原産の植物の起源と伝播という歴史を、食欲を刺激するように仕立てていこうかなと思っている。

ジャガイモ、サツマイモ、タバコに関しては過去に掲載したのがあるので興味があれば参照していただきたい。

【ときめきの植物雑学】

その4 :世界を変えたジャガイモ

その5 :サツマイモの伝播①

その6 :サツマイモの伝播②サツマイモ>ジャガイモ Way? ⇒ サツマイモは媚薬と信じられていた

その7 :サツマイモの伝播③ペルー沖から102日の漂流で南の島に!

その8 :サツマイモの伝播④サツマイモの伝播には、人類大移動のロマンがある

その28:コロンブスが見落としたタバコ(Tobacco)

その29:タバコの煙で精霊との交信


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