彦四郎の中国生活

中国滞在記

道なき急峻な斜面を迷いつつ ひたすら登りきると、ようやく辿り着いた山頂に「静原城」があった❷

2016-08-13 07:06:27 | 滞在記

 午後5時、下山をするタイムリミットになった。長い尾根を下り始めて「静原南城(仮称)」方面に向かう。ここは、道がはっきりとわかるので安心感がもてる。遭遇した一頭の鹿が、驚いて 斜面を駆け下りて行った。野猿の警戒音(声)も聞こえる。少し怖いので鳥肌が立つ。道はいたるところ、倒木でふさがれている。
 城跡に到着したようだ。すばらしい「堀切」が見えた。この「堀切(山の尾根をV型に掘って、背後からの敵の侵入を防ぐための防護施設)」には、「土𣘺(土の𣘺)」の跡が少し残っていた。そして、この「堀切」を登り切ると「本丸跡」に到着できた。この「静原南城」は、石組の石垣がけっこう使われている。小さな窪地の周りも石垣が見られる。この窪地は井戸のあった場所かもしれない。

 この「南城」は、「静原城」とは別の城だった可能性も考えられる。3か月間の籠城の末に降伏した後、明智光秀が新たな(小高い)場所に築いた城の可能性もあるようだ。なぜかというと、①「静原城」と一体の城であるならば、「静原城」とを遮断するような大きな「堀切」の存在は不思議である。②「南城」の石垣の多さ。
 いずれにしても、この静原という場所は、「京都の鞍馬・京都の大原・京都市内」を結ぶ 交通の要衝という地なので、明智光秀が 高所の「静原城」を捨てて、より平地に近い小高い場所に城を築いた可能性が大きいと考えられる。

 午後5時45分頃、ここから下山を始める。20分ほどで麓に着いた。「熊出没注意!」の看板があった。熊に遭遇しなくてよかった。遭遇に備えて「小刀(しょうとう)」の鉈(なた)は持ってはいたが。

 車を置いている「静原神社」に歩いて戻る。車で再び 人気の少ない場所の「静原川」に戻り、汗だくになった着衣のまま、川の深い場所に飛び込む。「超 気持ちがいい。」 周りに人の姿がないことを確かめて、ズボンやパンツを脱ぎ、体をタオルで拭いて 着替える。

 この静原川は蛍の生息地のようだ。川の中の石の上には、蛍の幼虫の食べ物となる「カワニナ(小さな貝)」がたくさん生息していた。
 午後6時半、山間地の夕暮れ。ここから2時間あまり車に乗って自宅に8時半すぎに戻った。ビールを少し飲み、コンビニ弁当を食べたら、疲れで いつのまにか眠っていた。翌日、太腿の筋肉痛が始まった。心地よい疲れと、健康的な筋肉痛を久しぶりに経験できた。山城探訪という登山は、ある種の探検だが 健康にはとてもいい。




コメントを投稿