浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

シャルル・ミュンシュ指揮チェコフィルハーモニーのオネゲル2番

2006年08月30日 | 指揮者
1942年、ナチの占領下にあったフランス、オネゲルはその苦悩をこの交響曲に描いたという。もの悲しいヴィオラのシンプルなメロディーが繰り返し奏されると、不協和音の連続と激しい第1主題によって怒りの表情に変わる。今の僕は、この曲を受け入れるに十分すぎるくらい陰鬱な気分だ。

ふんぞり返って後ろに倒れそうになるリーダー、僕の話の十分の一も理解せぬくせにあたかも以前から知っていたやうに振舞う無能のリーダー、evidenceなしに思いつきで人を動かし「新しい風が吹く」などと無責任なことを言い放つリーダー、どいつもこいつも無能なウスバカゲロウ!いや、オオバカゲロウだ!昆虫のカゲロウのことではない。昆虫の方がまだましだ。蟻地獄の親玉は「薄羽蜻蛉」だ。僕の言ってゐるのは「薄馬鹿下郎」「大馬鹿下郎」である。

そういったわけで、この曲は、夜郎自大としかいいやうのないどこかのリーダーたちに独り立ち向かっていこうとする僕には応援歌に聴こえる。しかし、我慢の限界が近づいていることを、最近、日々感じるやうになっている。こういうときには、潔く身を引くことが大切だと祖父から教わっている。

演奏は、フルトヴェングラーのもと、ゲヴァントハウスでコンサートマスターを務めていたシャルル・ミュンシュが1957年に「プラハの春」音楽祭に招聘され、チェコフィルハーモニーを指揮した際のライブ録音。チェコフィルの硬質の弦がこの作品の厳しい表現をさらに強調していて、そこへミュンシュの激しい感情移入が加わる。3楽章のフィナーレで奏でられるトランペットのコラールでは、録音にリミッターがかかってしまうのが非常に残念だが、そこはたくましい想像力で補って聴いている。全曲に亘って支配してきた不協和音の中に突然現れるトランペットの賛美歌。僅か数十秒のこの賛美歌は感動的だ。何を賛美しているのか、僕には分かるやうな気がする。

頑張れ、新たな決断が、道を拓く!

写真は、風見武夫氏のホームページから使わせていただいた。氏曰く、
「自分の生き方を考えるとき、きたなくてもしぶとく生き抜くか、桜の花のようにぱっと散るか、真剣に考えなければいけない年齢になってしまった。花には自分の立場を考える心は無いかも知れないが、心も知恵もある人間であるが故に自分の引き際を決めることは悩ましく難しい問題だ。」
同感です。

盤は、チェコスロヴァキアMultiSonic社のプラハの春コレクション31 0022-2。


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