懐かしいレコヲドを聴いてゐる。たしかヴィクターの愛好家盤RLシリーズのSP盤を持ってゐて、盤面が白っぽくなるほど聴いたレコヲドである。コルトーの歌心やおどけを楽しめる演奏で、僕はこの曲のレコヲドならコルトーの演奏が今でも一番好きだ。 . . . 本文を読む
しばらく旅に出てゐた。先日の徳島に続き四国の地だ。漱石の「坊ちゃん」にも土佐の土人が刃物を振り回して踊る場面が紹介されてゐるが、漱石が感じたものを味わうことができる一種のタイムトラベルを愉しんだ。旅の友にはマイラ・へスとコルトーの小品集アルバムを持ち歩いた。 . . . 本文を読む
先週から徳島に旅に出かけてゐた。徳島と云っても北端の鳴門市で、ポカリスエットスタジアムやオロナミンC球場などが目を引く大塚製薬で潤ってゐる街だ。あと1ヶ月もすれば大型のカレイが狙える場所があるが、時期がどうも合わない。もどかしさを感じながらの旅である。旅の中で、ワルターが洋琴を弾いてゐるレコヲドのことが話題になった。昔の記憶をたぐりながらの話である。 . . . 本文を読む
ベンノ・モイセイヴィッチの上品なショパンのエチュードのレコヲドが復刻されてゐたので、海外からDHLで取り寄せて聴いてゐる。このレコヲドは、友人の師匠のSPコレクションだったか大丸の試聴かは定かではないが、大変気に入った記憶はあるのだが、とうとう自分のコレクションにすることができないままになってゐたのだった。 . . . 本文を読む
アヴェ・マリアは何度と無く取り上げたお気に入りのショート・ピースだ。今回の演奏はターティスなので当然ヴィオラでの演奏である。ときにはセロのやうに幅のある響きで迫ってくる演奏は、ただ甘美なだけではなく、提琴では表現できない男の色気のやうなものを感じるのだ。 . . . 本文を読む
オスカー・シュムスキーがフリッツ・ライナーと協演したベートーヴェンの協奏曲はなかなかの名演だと思ふ。70年ほど前のライブ録音のやうで、音質はぞれほど良くはないが、シュムスキー20歳の瑞々しい弓さばきと伸びやかな音色を愉しむには十分だ。 . . . 本文を読む
オットー・クレンペラーが現代音楽の良き理解者・支援者であったことは周知の事実である。しかし、新大陸のジャズ音楽に特に関心を持ってゐたのかどうかは知らない。ただ、クレンペラー編曲・指揮ロスアンゼルス・フィルハーモニー管絃團と記載されたCDが手元にある。若くして脳腫瘍でこの世を去った作曲家、ジョージ・ガーシュインの死を悼むコンサートのライブ録音である。 . . . 本文を読む