【連載「フルトヴェングラーを偲ぶ」第1回】
昨日から出張があった。辺鄙な田舎町で交通基盤も整備されてゐないため、延々と1時間ほど歩くはめになった。とんでもない場所だ。タクシーも走っていないし、誰かに道を尋ねようと思っても出会った人はたったの3人。人を呼んでおいて交通アクセスの詳しい説明もしない配慮の無さもなかなかのものである。 . . . 本文を読む
エミール・フォン・ザウアーの維納でのリサイタルライブについては、昨秋に一度取り上げたことがある。そのときに、自作品の演奏については、後日取り上げるとお約束してゐたことを思い出した。 . . . 本文を読む
【前回までのあらすじ】
出張で神戸に戻った僕は、久々に実家で寛いだ。テレビを見てゐると英語の達者な日本猿が出てゐて、長い間米國で過ごすと猿でも英語が喋れるやうになるものだと嫁さんが感心してゐるが、よく見るとそこにはブッシュ大統領が映ってゐたのだった。 . . . 本文を読む
【前回のあらすじ】
出張で高砂にでかけたその足で神戸に立ち寄った僕は、とあるCD屋でコルトーの戦後のライブ盤を見つけ、目が釘付けになった。早速購入して聴いてみると、30年前から妄想を抱いてゐた「コルトーのベートーヴェン」のイメージと近いもので大いに納得したのだった。 . . . 本文を読む
出張で高砂市に出かけてゐた。ここは、親父の故郷でもあり、先祖の墓もある場所だ。しばらく来ないうちに随分と変わってしまったものだ。仕事が終わると、少し足を伸ばし、神戸に立ち寄った。勝手知ったる我が庭を歩きまわるうちに面白いCDを見つけた。田舎に住んでゐると、こういった出会ひが全くなくなりビタミン欠乏状態になる。 . . . 本文を読む
ショパンには珍しい変奏曲があるので取り上げてみた。およそショパンらしくないテーマ、「スイスの少年」といふ独逸民謡をもとに5つの変奏が序奏に続いて演奏される。ショパン18歳のときの作品である。 . . . 本文を読む
今から30年前、僕は大阪フェスティバルホールで初めてコンセルトヘボウ管絃團の演奏を聴いた。黒檀のフルートが印象に残ってゐるが、弦や木管の響きの美しさに息を呑んで聴いてゐたのを思ひ出す。その9年後にヨッフムが同オケを率いて再来日したのを僕は知らなかった。おそらく仕事に追われる毎日で、演奏会に行くゆとりさえ失ってゐたのだらう。 . . . 本文を読む
フォーレのレクイエムについては、アンゲルブレッシュのデュクレテ・トムソン盤を聴くまではクリュイタンス、マルタンらのLPを愛聴してきた。いずれも名演ではあるが、僕がステージで体験した際に感じたものはこれらとは異なったものだった。アンゲルブレッシュのレコヲドで一旦は納得できた僕が、今、ミュンシュの海賊盤を聴いて体が硬直してゐる。 . . . 本文を読む
セルゲイ・クーセヴィツキが戦後間もなく録音したバッハのブランデンブルグ協奏曲集から、僕の一番好きな第1番を取り出して聴いてゐる。僕がこの作品を初めて聴いたのはミュンシュの指揮による同響のLPレコヲドだった。バッハの胸像が冷たい表情で座った写真のジャケットだった。 . . . 本文を読む
ブラームス晩年の室内樂、生涯最後の変奏曲、クラリネット或いはヴィオラでも演奏可、これらのキーワードから思ひ浮かぶイメージがあるだらう。ブラームスの深遠な世界を知り、永らく音楽に浸ってきた人々には何も語らずとも伝わる心情がある。 . . . 本文を読む
ローゼンタールのアルバムを久しぶりに取り出した。リストの弟子の一人で、ザウアーとともに僕の最も好きな洋琴家の一人だ。ただ、他の弟子たちと異なり、ローゼンタールは65歳で自作のパラフレーズ「青きダニューブ」を録音するまでレコヲドとは縁が無かった。今日、取り上げる自作の「蝶々」は68歳での録音である。 . . . 本文を読む
シャルル・ミュンシュは最近になってフルトヴェングラーとの関係を云々する記述を多く見るやうになったが、一昔前までは、純粋に仏蘭西音楽の伝道者として最高位に位置付けられる大指揮者であった。ライブ演奏が入手できるやうになって評価に変化が生じたのだらうか。緩徐楽章のテンポ設定など、基本的にフルトヴェングラーとミュンシュは全く別の世界に居る芸術家だと僕は思ってゐる。今宵は、久しぶりに本格的な中華料理を馳走になってゆったりとした時間を愉しみ、ミュンシュの珍しいモーツァルトのレコヲドを聴いてゐる。 . . . 本文を読む
ランドン・ロナルドの名は、SP時代の音楽愛好家には、コルトーやバックハウスの伴奏指揮者として記憶に留めておられる方が多いだらう。実は、僕もその一人でコルトーのシューマンの機械吹込み盤の伴奏には随分と腹を立てて聴いてゐたのを思ひ出す。 . . . 本文を読む
サンサーンスがワーグナーの楽劇の総譜を初見で洋琴で弾き、リストや作者自身を大変驚かせたといふ逸話は有名であるが、自作の「アフリカ幻想曲」のこの演奏でも、洋琴をオーケストラのやうに鳴り響かせてゐる様子が聴き取れる。 . . . 本文を読む
シベリウスの交響曲第1番はディーン・ディクソンといふ黒人指揮者の演奏で初めて聴いたのを思い出す。初めて聴く作品にもかかわらず、第1楽章から金縛りのやうな状態のまま聴き入ったのを思ひ出す。今日は、戦前にオールマンデイが録音したSP盤の復刻でこの曲を聴いてゐる。 . . . 本文を読む