波蘭首相パデレフスキの洋琴演奏については、技術の衰えた晩年のフィルム映像から受ける印象が強く、あまり高い評価を聞かない。ショパン競技会4位入賞を果たした福田紘子にもケチをつけられる始末である。パデレフスキの技術については残されたSPレコヲドをいくら遡っても伝え聞く全盛期の煌びやかさは見つからなかった。もしも、1890年代の演奏が残されてゐれば、もっと別の評価がなされたのではないかと残念に思ふ。 . . . 本文を読む
伊太利亜の放送曲の管絃團の録音は最近になって数多く発売されるやうになった。トリノや羅馬のRAI響といふ名前はフルトヴェングラーの伊太利亜ライブ録音の登場とともに今から30年ほど前に耳にする機会が増えた。当時、この管絃團に対しては、いい加減な印象を持ったものだ。 . . . 本文を読む
1975年、1977年と続けて高齢のベームが来日して、アンコールに青きドナウを演奏した。僕が聴いたのは1977年3月のベートーヴェン・プログラムでのアンコールだったが、今宵聴いてゐるのは1975年3月16日の江戸でのライブ録音である。 . . . 本文を読む
最近の指揮者で作曲をする人はどのくらい居るのだらう。交響曲を4曲残したマルティノン、歌劇作曲家のマゼールやヤンキーの國の大作曲家バーンスタインなどが有名だ。昔の指揮者は、フルトヴェングラー、ワインガルトナー、マーラー、R・シュトラウス、プフィッツナーなど、どちらが本業なのか、本人の考えと大衆の評価が一致しない人も居るくらいだ。フレデリック・ストックも素晴らしい作品を多く残した指揮者の一人である。 . . . 本文を読む
14年前の1月17日も無風だがとても寒い日だった。あちらこちらから立ち上る黒煙が真っ直ぐに柱のやうに天に向かってゐた。今年も、忌まわしい記憶を呼び覚まさねばならない日がやってきた。
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ブラジルの音楽文化は南半球の中では突出して西洋化されてゐて驚かされる。その中でもヴィラ=ロボスの音楽は作品数の上で圧倒的である。昔、ルービンシュタインの弾いた「黄色いリボン」とかいふ小品を聴いた記憶があるくらいで、僕にとってはあまり接点の無い作曲家だった。 . . . 本文を読む
僕のLP蒐集のピーク時期を少し越えた1979年、ユーラ・グレアのLP盤が突然発売されて話題にのぼったことがあった。当時は「ヨウラ・ギュラー」と紹介されたが、僕はユーラ・グレアの方が雰囲気が合ってゐて好きだ。先日、旅先でグレアの弾くショパンのマズルカに感動してしまった。今宵は、久々にLP盤を取り出して聴いてみることにした。 . . . 本文を読む
指揮者クーベリックの父が大提琴家だったことはよく知られてゐる。そのヤン・クーベリックはクライスラーらと同様、現代のやうな職業提琴家としてではなく、音楽家として活動した最後の世代であり、レコヲドだけではなく多くの提琴作品が残されてゐるやうだ。旅先に持参したCDの中にあったクーベリック協会盤を取り出して雰囲気のある提琴演奏をBGMにレトロな街並みを愉しんだ。
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巨匠時代の化石、シューラ・チェルカスキのライブ音源は数多く残されてゐて、今後、ミケランジェリのやうにライブ盤が次々と発売されていくやうになるだらう。しかもミケランジェリと異なるのは、チェルカスキのレパートリーの広さである。何が出てくるか、愉しみにしておこうと思ふ。 . . . 本文を読む
正月は温泉で腰の治療に専念することを口実に、仕事を完全に忘れて遊び呆けてゐたが、そのツケが廻って来ぬうちになんとかしなければいけない。そのため、まず手元にある書類を目につかない場所に移しておいた。そして、以前から宿題になってゐた下宿先の娘からのリクエストである、ビートルズのLPのMP3変換をしながら、懐かしいサウンドを聴いて仕事のことを更に忘れようとしてゐる。
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作曲家、アーロン・コープランドが洪牙利のブダペスト音楽祭に亜米利加音楽を引っさげて登場したのは今から35年前の9月のことだった。当時の洪牙利(東欧圏)でアイヴスの珍妙なる芸風が、どの程度知られてゐたのかは不明だが、指揮者コープランドと洪牙利國立管絃團との珍しいコラボレーションを久々に聴いて愉しんでゐる。 . . . 本文を読む
この正月は、震災後初めて温泉に浸かって過ごすことができた。皆が健康でトラブル無く日々を送れたからこそできる贅沢である。レトロな街でレトロな音楽を愉しみ、大雪の正月を温かく過ごして帰ってきた。 . . . 本文を読む