紳士の国、英國にエリック・コーツといふ軽音楽作家が居た。フルトヴェングラーと同じ1886年の生まれ。チャップリンのトーキー以前の無声活劇のBGMや、ルロイ・アンダーソンの音楽が、その時代をなによりも端的に伝えるのと同じやうに、英國の佳き時代を懐かしむ意味で、エリック・コーツの音楽を聴いてみようと思った。 . . . 本文を読む
フルトヴェングラーがこの世を去って2年、1956年から3年続けて朝比奈のおっちゃんは世界の伯林フィルの指揮台に立った。朝比奈のおっちゃんと協演するにあたって、伯林フィルは日本らしい作品の演奏を依頼した。おっちゃんは天王寺のホルン吹き、大栗裕に作曲を依頼し、これが大当たり。「大阪俗謡による幻想曲」の生い立ちだ。 . . . 本文を読む
このレコヲドに出会ったのは、高校生時代に叔父の家に遊びに行ったときだった。その頃は、交響的作品ばかり聴いてゐる時期だったが、ブラームスの室内楽には興味を示し始めてゐたので、数あるLPレコヲドの中から迷わずこの二人のデュエットを取り出した。何故なら、二人ともフルトヴェングラーの共演者に選ばれた芸術家だったからである。 . . . 本文を読む
誰でも知ってゐるお菓子の家の童話「ヘンゼルとグレーテル」をスペルヴィアが歌ってゐる。カルメンの悪女イメージが焼きついているスペルヴィアが子供に扮するとなると随分と戸惑う方も多いだらう。
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シカゴ響に君臨したフレデリック・ストックは作曲にも優れた才能を発揮したことはこのレコヲドからも分かる。曲は、オリジナルの主題による交響的変奏曲OP.7で、演奏してゐるのは、ジャン・マルティノン指揮シカゴ響。 . . . 本文を読む
シューラ・チェルカスキはホフマンの弟子の中で、最も才能豊かな洋琴弾きだ。そのチェルカスキが12歳の時に録音した素晴らしいレコヲドは既にご紹介済みだが、今宵はシャミナードの珍しい作品を弾いてゐるSP盤への録音を聴いてゐる。 . . . 本文を読む
僕は、露西亜ものの陰鬱で粘っこい浪漫音楽はあまり好みではない。ウィリアム・カペルが露西亜系の音楽を得意としてゐたのかどうか知らないが、カペルの冷たく感じるくらいの透き通った感覚は現代的で、粘着性のない露西亜音楽は心地よい。しかも、突き刺さるような鋭角的な音楽づくりは情熱的といふよりも刺激的だ。 . . . 本文を読む
1944年4月3日、第2次大戦の最中、維納では復活祭にクレメンス・クラウスの指揮でマタイ受難曲が演奏された。マルガレーテ・クローゼ、ユリウス・パツァーク、ルートウィッヒ・ウェーバーなど、フルトヴェングラーとの協演でなじみの面々が並び、国立歌劇場合唱團と維納フィルハーモニーの豪華な顔ぶれだ。 . . . 本文を読む
カミラ・ウィックスのシベリウスと言へば、シクステン・エールリンクとの正規録音のことを指すのが一般的だが、今宵取り上げるのは、ジョン・バーネット指揮ロスアンジェルス・スタンダード響とのラジオ録音で、終楽章のみの演奏だ。 . . . 本文を読む
フーゴ・アルフェーンといふスウェーデンの作曲家をご存知だらうか。彼のスウェーデン狂詩曲第1番「真夏の徹夜祭」は、大変有名な旋律を持つ、それほど有名でない作品なのだ。高校生の頃、たいがいの作曲家の交響的作品は知ってゐる、と豪語してゐた僕だったが、この曲を聴いた瞬間、大きなショックを受けた。こんな有名な曲の題名すら知らなかったことに気づいたからである。 . . . 本文を読む
お江戸参りで久しぶりに美しい不死山を見た。暖冬の影響で雪は無いのかと思っていたが、きれいに雪化粧してゐた。その後、仕事を終えて食したそばの出汁が真っ黒で気分が悪くなり、薄めようと茶を飲みすぎ、腹までこわした。自宅に帰り着いたのは日付が変わってからだった。疲れ果てて、何でもいいからと手に取ったCDはクナッパーツブッシュと維納フィルによるモーツァルトだった。 . . . 本文を読む
米国の歴史は浅い。日本が江戸に幕府を置いてゐた頃にできた国だ。だから、お国自慢の作曲家と言へばフォスターくらいしか出てこない。そんな米国に、音楽を創る保険会社のサラリーマンが居た。 . . . 本文を読む
ザウアーのシューマンと言へばメンゲルベルクとやった洋琴協奏曲の有名な録音がある。1940年といふと1862年生まれのザウアーは78歳の高齢である。ちょうどホロヴィッツが1970年代に復活コンサートをやったのと同じくらいの年齢だ。 . . . 本文を読む
シャミナードは1857年生まれの洋琴家で、作曲家としても活躍した。作曲は、オーグスティン・サヴァードに師事し、エドワード・マクダウェルやベンジャミン・ゴーダールとは同門といふことになる。3人に共通するのは、いずれも忘れられた作曲家であるといふことだ。 . . . 本文を読む