チェリビダッケは放送局の管絃團との付き合いが結構多い指揮者だ。欧羅巴の指揮者は大概オペラで土台づくりをする慣わしがあるやうだが、チェリビダッケは異質だ。今日は、丁抹時代のライブ録音からラヴェルを取り出した。 . . . 本文を読む
エフゲニ・スヴェトラーノフは言わずと知れた露西亜の作曲家で「赤いゲルダーローズ」が知られてゐる。この作曲家は指揮者としても活躍したそうだが、N響を振った演奏以外は、あまり聴いた記憶がない。今宵はスヴェトラーノフの洋琴弾きとしての素晴らしい一面をメトネルの作品で味わってゐる。 . . . 本文を読む
2年前、新天地での空しい日々をスタートした頃のことを想い出す。少々ブルーな気分でヴォーン=ウィリアムズのCDを取り出した。曲は、1943年に作者自身の手で初演された第5交響曲だが、今聴いてゐる録音はその9ヶ月後にバルビローリとハレ管絃團によって録音されたレコヲドである。 . . . 本文を読む
躍動感溢れるリズム運動に乗っかって親しみの持てる現代音楽風の旋律が鳴る。ある作曲家の作品を聴くつもりで取り出したCDだったが、順序を勘違いして聴いたものだから驚いた。こんな曲想のはずがない!一体、この曲は誰の作品だ? . . . 本文を読む
フルトヴェングラーが伯林フィルの指揮者となって8年、ナチスの悪政が始まる前の1930年前後は正に黄金時代だった。この時期の録音には独特の色が付いてゐるやうな気がして、僕はその色合いがとても好きなのだ。 . . . 本文を読む
僕がシャブリエの洒落た洋琴作品に出逢ったのは学生時代最後の時期だった。その後、就職と同時に世の喧騒に巻き込まれ、どんどんと音楽から遠ざかった為、シャブリエをぐっと掘り下げて聴くことなく、常に心の片隅に探究心だけが残ってゐた。だからシャブリエと聞くと、未知の作品でも期待感が膨らみ聴かずにはおれなくなってしまふのだ。
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一時期、洋琴に向かえばこの曲を弾いて自分の世界に浸ったものだ。だから、この作品に関しては僕にとって最も耳に残ってゐる表現は僕自身の演奏なのだ。特に中学生のときの発表会での演奏は未だに語りぐそになってゐる。久々にこの名曲をバレンツェンといふ洋琴家の演奏で聴いてみることにした。 . . . 本文を読む
かつてタスマニア生まれの女流洋琴家が居た。彼女は貧しい鉱山夫の父とともに各地を流れ歩き、ハーモニカを吹いて学費を稼ぐといふ貧困の中で育った。田舎の人たちの善意と寄付に支えられて濠太剌利で本格的に学ぶやうになると、グレインジャーやバックハウスらの目にとまり、英國に渡ることになる。当ブログでも取り上げたことがあるが、彼女の半生は「追憶の調べ」で映画化された。 . . . 本文を読む
当初、シューマンはこの作品を奏鳴曲として作ってゐたといふ不思議な記述を見たことがある。この曲のどこら辺が奏鳴曲なのか、僕にはさっぱりと理解できないのだ。次々と展開し、テーマも曲の展開も気まぐれな場面転換の連続であり、天才の閃きには理屈は要らない。凡人はただそれらを愉しめばよいのだ。 . . . 本文を読む
最近、毎晩帰宅が遅くなって近所の工事現場も見ぬまま数週間が経った。今日、見てみると平城京跡を再現して造ってゐることは一目瞭然だった。しかし、何の目的でこんなところに平城京跡を再現してゐるのか謎は深まるばかりだ。今日は、暇があるのでCDを沢山取り出して聴いてゐるが、オペラも久しぶりに聴いてみた。
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露西亜の洋琴弾きホロヴィッツによるブラームスの洋琴協奏曲のことについては、以前にも書いたことがあった。今回、30年前に海賊盤LPで第1楽章の一部の演奏を聴いたが、今日は初めて全曲通して聴くことができた。 . . . 本文を読む
フルトヴェングラーの録音をCDで買い直そうかと思い始めてゐる。といふのも、最近、LP盤やSP盤をプレイヤーにかけるのが面倒くさくなってきたため、世紀の名演奏に触れて本当の感動を得ることが少なくなってきたと感じたからだ。 . . . 本文を読む
露西亜生まれのニコライ・ベレゾフスキーといふ作曲家をご存知だらうか。サラトフ歌劇場のコンサートマスターをかわぎりに、ボリショイ歌劇場管絃團、紐育フィルの第一提琴奏者、クーリッジ弦楽四重奏團などで活躍した提琴家でもある。また、米國移住後はコロムビア放送システム専属指揮者としてのキャリアもあり、オペラ歌手とのSP録音も残してゐるが、僕はベレゾフスキーを知らない。今日は早朝から未知の作曲家の世界初録音盤を聴いてみることにした。 . . . 本文を読む