レオ・ナーデルマンは、1940年の第2回ジュネーブ国際音楽コンクール・ピアノ部門で第2位となったスイスのピアノ弾きである。しかし、このコンクールの入賞者には、あまり有名な人は居ない。 . . . 本文を読む
ジャック・ティーボーは電気吹き込み前に多くの録音を残しているが、バッハの協奏曲を聴くと悲しくなる。いくら録音の技術的な問題で少人数での伴奏を強いられたにせよ、オルトマン指揮によるスタジオオケの演奏はひどすぎる。 . . . 本文を読む
1942年、ナチの占領下にあったフランス、オネゲルはその苦悩をこの交響曲に描いたという。もの悲しいヴィオラのシンプルなメロディーが繰り返し奏されると、不協和音の連続と激しい第1主題によって怒りの表情に変わる。今の僕は、この曲を受け入れるに十分すぎるくらい陰鬱な気分だ。 . . . 本文を読む
えもいわれぬ怒りがこみ上げてくるが、どこにぶつけてよいのやら分からないときがある。僕は、仕事の上では、思ったことは人が止めるまで言ふ方だが、それでも、喧嘩はしない。机を叩いた方が負けなことくらいは分かっているから叩かない。怒りがこみあげる日は、たいてい、自分の思いがうまく伝えられなかったに違いない。そんな日は、早々に仕事を切り上げて、あへて酒を飲まず、フランクのシンフォニーを聴く。それも、フルトヴェングラーの独逸脱出直前の、あの異様な演奏を聴く。 . . . 本文を読む
「天才少年」「神童」と簡単に片付けられない特異な12歳の少年の演奏と作品を聴くことのできるCDがある。ヨーゼフ・ホフマンの弟子、シューラ・チェルカスキは1911年生まれの洋琴家だが、その演奏スタイルは19世紀末のヴィルトゥオーゾの時代を髣髴とさせるものだ。 . . . 本文を読む
アルバート・コーツを取り上げるのは2度目になる。当時は下手糞で有名だった倫敦交響爆弾を交響楽團に仕立て上げた大指揮者であるが、そんなことはとうに忘れ去られている。しかし、この「ロメオとジュリエット」の圧倒的な演奏を聴けばコーツといふ指揮者は忘れられない存在となるであろう。ただし、1928年の段階ではオケは未だ下手糞だ。
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クライスラーのコンチェルト伴奏などでSP時代から数多くの録音を残してきたバルビローリだが、現在では、英国や北欧の音楽に対して一定の評価を受け、ハルレ管絃團に一時代を築いた指揮者として知られている。 . . . 本文を読む
フルトヴェングラーの40番を聴いて驚かなかった方はいないだろう。それまでは、「魔弾の射手」や「コリオラン」など、フルトヴェングラーはゆったりとしたテンポといふ固定観念があった。予想を見事に打ち砕かれた後には、何故?といふ疑問が残った。 . . . 本文を読む
1935年に43歳の若さで逝ったフランツ・フォン・ヴェッシーといふ提琴家が居る。この忘れ去られた天才提琴家の自作、「カスケード(滝)」と「シャンソン・ノスタルジーク」の2曲は録音が残されており、現在、僕たちは幸いにもその演奏を聴くことができる。 . . . 本文を読む
ブルーノ・ワルターと云へば晩年の米國でのNYPやコロムビア交響團との録音が多く残されているため、そちらでの印象が強い。祖国を逃れざるを得なかった当時の欧州の事情がこの指揮者にも悲劇をもたらした。慣れぬ環境で見知らぬ音楽家との音楽づくりは本意ではなかっただろうと僕は同情している。晩年に維納フィルハーモニーと名演を残してくれはしたが、とき既に遅しといふ感がある。 . . . 本文を読む