ミュンシュ指揮ボストン交響楽團の演奏会は身近な存在だったが、残念なことに僕は未だ6歳にもなってゐなかった。1962年1月12日は僕はロチェスターといふ街に住んでゐた。もし、今僕がそのやうな状況にゐたなら、フォレストガンプのやうに何日も走ってでもボストンまで聴きに行ったであらう。 . . . 本文を読む
久しぶりに音楽を聴いてゐる。親父が死んで、其の事を振り返る間もなく時は過ぎてゆく。無常を感じつつも日々の詰まらぬ仕事に大切な時間を割いて毎日を過ごしてきた。自分の親が他界しても人間とはこのやうなことしかできないものなのだ。いずれは自分も此のやうにして忘れられてゆくのだらう。今日は久しぶりに提琴のやさしい調べに耳を傾けてゐる。 . . . 本文を読む
この齢になって自動車免許の取得やオサムシ捕りなどと、今までやらなかったことに挑戦して気分転換を図ってきたせいか、哀しみも少しずつではあるが癒えてきた。よく晴れた日曜日の朝に久しぶりに提琴を聴きたくなった。プシホダの甘い音色で懐かしさを感じるドヴォルザークの田舎節を1年ぶりに愉しんでゐる。 . . . 本文を読む