僕にとって亜米利加での生活の記憶が蘇ってくる音楽は無条件に喜びに繋がる。カーペンターの「乳母車の冒険」では、僕が幼い頃に見た佳き時代の亜米利加文化が、その音楽の端々から聴こえて来る。以前に一度、サラリーマン作家アイヴスにはご登場頂いたが、今日のカーペンターも商社の副社長さんだ。我が国ではちょっと考えられないことだ。 . . . 本文を読む
昔、題名のない音楽會の公開録画を観に行ったことがあった。司会は、音響研究家の黛敏郎だ。当日はシュトラウスの「常動曲」をやってゐたやうに記憶してゐる。「雲に乗りたい」で有名な黛ジュンの兄は作曲家で、黛敏郎とはなんの関係も無い。 . . . 本文を読む
悲愴感のそれほど感じられないグリンカの三重奏曲に「悲愴」といふ名前が付いてゐる。今、娘の引越しの為、車の中で哀愁を帯びたクラリネットの旋律を聴いてゐる。車中でブログ記事を書いてゐるところに友人の福岡転勤の知らせが入った。 . . . 本文を読む
イグナツ・ヤン・パデレフスキはポーランドの初代大統領だが、第1次大戦前は作曲家、洋琴弾きとして活躍してゐた。彼の洋琴演奏はそれほど省みられることはないが、作品は色褪せることなく現在でも数少ない愛好家のレコヲド棚の奥深くに厳重に仕舞われてゐて、めったに取り出されてプレイヤーにかけられることは無い。 . . . 本文を読む
平日の中日に休みをとることができ、雨の一日を音楽室で過ごした。心晴れやかになる音楽を探してゐて、シャミナードのCDに目が入った。極上のサロン音楽を期待してプレイヤーに挿入した。 . . . 本文を読む
僕の嫁さんはフルーティストだ。特に苺を好むが、フルーティストといふだけあって一応、世界のフルーツに通じてゐる。今宵は、1992年に團伊玖磨が作曲したフルートとハープの為の「羽衣」を嫁さんと一緒に聴いてゐる。 . . . 本文を読む
仏蘭西近代の音楽とは言ふが「独逸近代音楽」との言い回しはあまり聞かない。当時の音楽界の関心は明らかに仏蘭西に向いてゐた。独逸は後期浪漫派の大家の残像があまりにも巨大過ぎ、かといって印象派のやうな真似はできずに行き詰ってゐたのだらうか。追い討ちをかける2度の世界大戦で独逸文化圏は大きなダメージを受けた。そのやうな空白時期にも独逸に作曲家が生まれなかったはずが無い。こういった時代にこそ素晴らしい秘曲が埋もれてゐる可能性があると僕は思ってゐる。
. . . 本文を読む
(写真は、イシドール・フィリップを中央に、ヴィニエス、タリアフェロ、レヴィら洋琴の巨匠が並ぶ)
シャブリエのなんとも不思議な魅力を持った小品、「牧歌」をラザール・レヴィの洋琴で聴いてゐる。1881年に作曲された10 Pieces pittoresques(10の絵画的な小曲集)の中の1曲で、僕の最も好きな仏蘭西洋琴作品のひとつである。 . . . 本文を読む
ピアノラに録音されたカレーニョの録音は18タイトルにおよび、CD化されてゐる。今日はOdeonが1930年にSPに復刻した「オデオン・ヒストリック・シリーズ」のレコヲドをCDに再復刻したものを聴いてゐる。 . . . 本文を読む
ミハイル・エルデンコといふ露西亜の提琴家が戦前に来朝してゐる。クリストファー・N・○ザワ氏がFM放送で紹介してゐたことを鮮烈に憶えてゐる方も多いことだらう。このときには、アリャビエフの「ナイチンゲール」を奔放な演奏で聴かせてくれた。この不思議な演奏はエアチェックしたものをCD化して今でも楽しんでゐる。 . . . 本文を読む
僕の親父は、2年間ほどカール・ドルメッチに古楽を学んだこともあるほどの音楽好きで、我が家には数多くのリコーダーやフルートトラヴェルソ、それにヴァージナル(チェンバロの前身)などがあった。ときには家族で古樂演奏を愉しんだこともあった。今宵は、和蘭の大指揮者、メンゲルベルクが好んで取り上げたレントヘンといふ作曲家の「6つの和蘭の古い舞曲集」を聴いて、ふと昔やったリコーダーコンソートを再びやってみたくなった。 . . . 本文を読む
Otto Friedrich著「グレン・グールドの生涯」には彼が生涯に演奏したゴールドベルク変奏曲の記録が載ってゐる。1955年3月14日のオタワでの演奏に始まり、1961年のロスアンジェルスでの最後の公開演奏までに27回も取り上げたとされてゐる。しかし、僕が今聴いてゐる演奏は1954年の放送録音で、ここには載ってゐないものだ。 . . . 本文を読む
【グラズノフの「四季」自作自演盤の紹介記事 あらすじ】
1920年代、露西亜のオーケストラの演奏水準はかなりひどいレベルだと思ってゐた僕は、グラズノフの自作自演の演奏を聴いて、その水準の高さに驚いた。どのくらい驚いたかと言ふと、感心するのを通り過ごしてあきれるほどだった。しかし、僕はてっきり露西亜の管絃團だと思ひ込んでゐたが、そう決め付ける根拠の無いことに気が付いた。 . . . 本文を読む
戴冠行進曲《王冠》は吹奏楽の世界ではよく知られたマーチではあるが、管絃樂作品としては、それほど有名だとは思ってゐない。僕がこの曲を知ったのも、恥を忍んで言ふがブラスバンドの演奏で聞いたのが最初だったのである。そのやうなことから、あへてこの有名なマーチを、「忘れられた作品」のカテゴリに加えたのだ。 . . . 本文を読む