浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

アルバート・コーツによるチャイコフスキーの第三交響曲

2014年02月15日 | 指揮者
チャイコフスキーの交響曲は後期の3曲以外は最近(といっても二十年ほど前)まであまり聴かなかったため、特にお気に入りの演奏があるといふわけでもない。特にコーツの演奏に何かを期待して聴こうと思ったのではなく、この時代の響きに浸りたくCDを取り出した。1932年の録音である。

この当時の倫敦交響樂團の演奏水準はかなり低いものだったと理解してきたが、この演奏を聴いても考えは変わらない。同じ街のフィルハーモニーの方がいくらか良い演奏を残してゐると思ふ。当時、此の第三交響曲や同じ時期に録音されたマンフレッド交響曲のスケルツォ、「ハムレット」序曲などは他にレコヲドが出回ってゐなかったのであらう。けっこう粗雑なアンサンブルで丁寧に録音されたとは思へないものばかりだ。

そのやうなレコヲドではあるが、当時の空気を感じるには貴重な記録で、作曲されてそれほど年月の経ってゐない時期の、或いは作曲者と同時代を生きた演奏者の作品の捉え方を知るといふ別の楽しみ方があるやうに感じてゐる。では、どのやうな部分にそれを感じるのかといふと、其処が現代ほど丁寧に練習を積んで録音に望んでゐないといふ負の印象を受けた部分であるといふことだから面白い。音楽を大きな流れで感じる時代とでも云ふのだらうか。現代の少しのミスやノイズも聞き取れてしまふ高水準の録音技術と奏者の技術向上によって、素朴に音楽そのもののうねりや感情の起伏を愉しむ以外の部分に関心が移ってしまったのかも知れない。コーツによって演奏水準が高められた倫敦交響樂團ではあるが、此の程度の演奏水準の管絃團は日本の地方都市にいくらでも存在する時代になった。極東の偏狭の地、日本國ですらこのやうな事情であるから、世界中の聴衆の質が変わってくるのも無理のない話である。

さて、コーツの演奏はテンポの加速と浪漫的な歌があり、正に前時代の演奏で好感がもてる。ボロディンの「中央亜細亜の草原にて」での強烈なコーツに対する第一印象が其のまま蘇ってくる。

盤は、英國BiddulphによるSP復刻CD WHL014。


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