今日は55回目のフルトヴェングラーの命日だ。今日聴いてゐる東芝AB8033のレコヲドを親父と一緒に買いに行ったことはつい先日のやうに覚えてゐる。国鉄三宮駅北側にあるマスダ名曲堂とかいふ名前のお店のことも懐かしく想い出される。古びた店内にはLP盤がぎっしりと並べられてゐて、丸いパイプ椅子が2つ置いてあった。カウンターのやうな板の上に店主の作成したカードを広げて、1時間ほど語らいながら購入するLPを決めるといふやり方だった。 . . . 本文を読む
シューラ・チェルカスキーのHMVへの全録音を収めたCDアルバムを入手した。1956年から58年に録音されたもので、残念ながらSP録音ではない。ショパンのバラード3番の2種のテイクが入ってゐたりして何か儲けた気がする。 . . . 本文を読む
「思い出」で有名な西班牙の作家、エドゥアルド・トルドラの提琴独奏による自作自演4タイトルを含むCDが封も切らずに放置してあった。今宵はこいつを聴いてみた。アヴェ・マリアといふ作品も含まれてゐるが、西班牙民謡がふんだんに取り入れられてゐるやうだ。 . . . 本文を読む
30年以上前に購入したまま一度も聴いてゐないLPレコヲドも幾つか在る。今日は徳間音工によるアーベントロートの芸術(全19巻)の中から「ドン・キ・ホーテ」を取り出して聴いてゐる。 . . . 本文を読む
アンドレ・プレヴィンは洋琴弾きとして腕前は確かであり、某CD会社の20世紀のピアニストシリーズの中に一員として加えられてゐるくらいだ。僕自身は洋琴家としてプレヴィンを聴くことの方が多かったやうな気がする。今日もプレヴィンが独奏をつとめ、バーンスタインが指揮を執るユニークな顔合わせによるレコヲドを聴いてゐる。 . . . 本文を読む
バックハウスのショパンを初めて聴いたのは確か秘曲洞によるSP復刻LPだったやうに記憶してゐる。そのとき、バックハウス=ベートーヴェン弾きといふものが商業ベースで作られた虚像だと直感したのを覚えてゐる。今日は、久々に1908年にG&Tに録音したショパンやリスト、ラフマニノフなどを聴いてゐる。 . . . 本文を読む
ディエメの自作の「グランド・ワルツ」には1903年と1906年のGramophone and Typewriterのレコヲドがある。1903年の方はペダルを多用した混濁の極み。酒井●子は吸って変わってしまったが、1906年の録音では打って変わってノンペダルで弾いてゐるのがとても不思議だ。 . . . 本文を読む
ワインガルトナーは作曲家としても多くの仕事をした人だが、其のことはすでに忘れ去られてしまった。ベートーヴェンの交響曲全曲をSP時代に録音し、戦前に来朝した大指揮者である。購入したまま放置してゐたCDアルバムを取り出して来た。 . . . 本文を読む
子供の頃からトスカニーニのレコヲドで聴きなじんだ名曲「魔法使いの弟子」はよくできた作品であり、いつ聴いても新たな感動を得る不思議な作品の一つである。今日はサバータの演奏を初めて愉しんだ。 . . . 本文を読む
LP棚の整理に2週間を費やしたが、未だ、バロック音楽や中世・ルネサンスあたりのステレオLPとCDが未整理のままである。とりあえず、当ブログに関係のありそうな領域の整理はついた格好である。整理のついた棚からモイセイヴィッチのLP盤があったので取り出してきた。 . . . 本文を読む
ヤニナ・ファミリエル=ヘプネルといふ素敵な洋琴家がゐた。彼女はワルシャワの星として20世紀前半に活躍したが、第2次大戦の犠牲になってしまった。ミハウォフスキの最高のお弟子さんで、2曲のワルツからその素晴らしさは十分に伝わって来る。 . . . 本文を読む