ゴロヴァノフにかかればリストのやうなお下品な管絃樂作品もボロボロに壊されてしまってゐて痛快さすら感じる。不満の持って行き場のない方や、自分の音楽性といふものを根底から破壊したい方には、ゴロヴァノフの「マゼッパ」がお勧めだ。 . . . 本文を読む
今日は会社の研修センターでお勉強の一日だったため、旅先からの投稿である。研修では僕が発表する場面がいくつかあって、なかなか為になったことだらう。こういった場面を利用して、頭だけで理解してゐるつもりになってゐる人たちに、本物の改革とはどういふものかを教えてあげることは良いことだと思ってゐる。 . . . 本文を読む
前にもご紹介したキャスリン・パーロウの戦後の放送録音を聴いてゐる。「スカートをはいたエルマン」は1941年に渡米し、その後、母国加奈陀で亡くなるまでを過ごした。今日のレコヲドは、1950年に母国のCBC響とやったメンデルスゾーンの提琴協奏曲の名演だ。 . . . 本文を読む
かのアインシュタインや大御所レオポルド・アウアーが絶賛した提琴協奏曲、モーツァルトの第3番をメニューヒンの提琴で久しぶりに聴いてゐる。世の中の煩わしい人間関係に嫌気がさし、本当に心休まる音楽が聴きたくてマレシャルに続いてこのCDを手に取った。 . . . 本文を読む
古典派へとバトンを渡す時代に生きたクリスチャン・バッハはモーツァルトに大きな影響を与えた作曲家だが、サンサーンスの命によりアンリ・カサドシュが編曲されたとされてゐるセロ協奏曲をマレシャルの演奏で聴いてゐる。 . . . 本文を読む
狂人ロベルト・シューマンの洋琴奏鳴曲第1番は難解な作品といふ評判があるが、チェルカスキの演奏は物語風でとても分かり易い。前に取り上げたギーゼコングの演奏は激しく、狂ったやうなシューマンの一面を楽しんだが、チェルカスキの演奏ではシューマンの散文的なロマンティシズムが存分に楽しめる。 . . . 本文を読む
アーヴィン・ニアレジハジといふ名をはじめて聞いたのは学生時代だった。その当時夢中になって聴き漁ってゐたInternational Piano ArchiveのLPの中にニアレジハジといふ聞きなれぬ名前が1枚混じってゐた。それが出会いだった。 . . . 本文を読む
ムソルグスキの「展覧会の絵」は洋琴作品として作曲されたものとばかり思ってゐた。しかし、作者本人も作品の内容から管絃樂で演奏すべきと考えてゐたやうで、その試みは完成せぬまま夭折してしまったらしい。要するに洋琴スケッチが残されたかたちで、R.コルサコフなどが作者の遺志を継いで管絃樂用に編曲を行って今日演奏されるやうになったといふのが真相のやうだ。 . . . 本文を読む
僕は幸せな少年期を送った。中学生だった頃に一度、ケンプの演奏会に招待されて聴きに行った記憶がある。そのときにこの「熱情奏鳴曲」がプログラムに入ってゐたと思ふ。今日は、SP盤に残されたケンプの演奏を聴きながら、懐かしい思い出に浸ってゐる。 . . . 本文を読む
病に倒れ、しばらく職場療養をしてゐた関係で投稿が10日ほど途切れてしまった。友人の薬剤師(やくざ医師だったかも知れない)によると、病名は先天性脳不全だそうだが、僕にすれば、いつもより少しばかりハイテンションになっただけのことだった。 . . . 本文を読む
過労により39歳でこの世を去った尾高尚忠の死を悼んで、野村ピカイチ氏が毎日新聞に寄せた記事がある。そこには「尾高を殺したのはNHKである」といふくだりがあるそうだ。戦中戦後の混乱期に新響、日響を導いた尾高は、N響を見ることなく夭折した。 . . . 本文を読む
維納の宮廷内の情事を扱ったオペレッタは多いが、ブラームスの親友、ホイベルガーの「オペラ舞踏会」は最も淫乱なストーリーだと思ふ。簡単に言へば4カップルによる乱交或いはスワッピングのお話である。 . . . 本文を読む
露西亜の現代作曲家、ウラディミール・リャーボフの交響曲第4番はブラームス生誕150年を記念して書かれた作品であり、「ブラームスに捧ぐ」と副題が付いてゐて、調性もブラームスの第4番と同じホ短調で書かれてゐる。 . . . 本文を読む
カール・オルフの弟子、ウェルナーエックは僕の学生時代に独逸で現役として活躍してゐた作曲家である。1935年にフランクフルトアムマインで初演された彼の最初の歌劇「魔法の提琴」から「スパニョーラ」を自作自演盤で聴いてゐる。 . . . 本文を読む
カール・へラーはミュンヘン音楽大学の学長を務めた作曲家で、浪漫派の影を残した作風である。今宵はヘラーのセロ協奏曲第2番を、世界初演のときの演奏と思しきライブ録音で聴いてゐる。指揮は戦後復帰を果たしたフルトヴェングラーである。 . . . 本文を読む