明日から、年末年始の休日を利用して日本に帰國する予定だ。帰國すると先ず一番にしたいことは温泉に浸かることと関西の味を堪能することだ。以前から、正月は黒川温泉で年に一度の贅沢な時間を過ごすのが何よりの楽しみだったが、今年も阿蘇、伊万里、有田、九重といふ予定で買物と温泉を楽しみ、体がしわしわにふやけたら神戸に帰る予定だ。 . . . 本文を読む
バイロイトの第九は僕の体内に染み込んでゐて、ちょっとした楽器のバランスなどもほぼ完璧に記憶されてゐる。だから細かなタイムのチェックなどしなくても、此の演奏が今までに市販されてゐた演奏と別のテイクであることは冒頭を聴いただけで直ぐに分かった。 . . . 本文を読む
ラウル・コチャルスキはショパン直系の洋琴家として知られた人でありながら、また、戦後まで存命であったにも関わらずそれほど高く評価されたとは云えない。其の演奏には随分不思議な解釈が多い。
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メンデルスゾーンの美しい旋律は特に歌曲に多い。エリザベート・シューマンの歌声がよく合う。女声に似た音色の提琴への編曲が心地よいのは当然のことなのかも知れない。サンタクロースの誕生日(息子はそう言ってゐた)に、ブスターボの1935年のSP録音を愉しんでゐる。 . . . 本文を読む
ツェムリンスキーがブラームスの後継者ならルクーはフランクの魂を継いだ作家だと思ふ(のは僕くらいのものだらう)。二人は独逸と仏蘭西を代表する同じ時代に生まれた天才だ(と思ってゐるのは僕を含めて26人くらいだらう)。残念なのは、1年早く生まれたルクーが24歳といふ若さで此の世を去ってしまったことだ(と多くの人々が思ってゐるだらう)。 . . . 本文を読む
前回、「オッカサンとニコレット」といふ禁煙の応援歌をボベスコの演奏で聴いたことがあった。その後、禁煙してゐることを忘れ、いつの間にか禁煙で苦しんでゐる夢を見るやうになった。とうとう苦しいのは寝てゐる間だけになってしまった。 . . . 本文を読む
ブゾーニの提琴協奏曲は日本ブルーノ・ワルター協会の頒布盤で知った。ブスターボ&メンゲルベルクのブルッフとカップリングされており、ブゾーニの方はブッシュとワルターの顔合わせであった。今日聴いてゐるのはボーリスとチェリビダッケの協演だ。 . . . 本文を読む
仕事帰りに台風の強風に煽られてバイク転倒事故を起こしてしまった。体のあちらこちらが痛くて仕事ができなくなったことは大変喜ばしいが、嫁さんにプレゼントして貰ったアルマーニのジャケットに傷が入ったのがとても哀しい。脳不全に加えて上半身不随となり、今日も半日寝て過ごした。横になったままパーロウのCDを聴きながらパソコンで遊んでゐる。 . . . 本文を読む
シューマンの提琴協奏曲はクーレンカンプが初演し、世界は発見を喜んだ。その後1951年に、メニューヒンはメンデルスゾーンのもう一つの提琴協奏曲を発見したが世界は此の発見をそれほど喜ばなかった。その理由は何か、メニューヒンの演奏で確かめてみることにした。 . . . 本文を読む
今日はアンチピリン氏の生誕記念日だ。早朝より目が覚め、荘重な気分で生誕を祝う会の準備を始めているところだ。音楽室に入り、其の録音テープを見つけるのに1時間ほどかかった。記念日には、やはり明るく無邪気で夢想的な「リバース」が最も相応しいと思ふ。 . . . 本文を読む
冬の訪れとともに乾燥した日が多くなる。気温が下がるのは構わないが、空気が乾燥すると風邪が流行ったり、ウイルスが活発に活動し始めると言ふ。今日は、嫁さんとボージョレーを買いに出たついでに、パソコンをウイルスから守る為に加湿器を買って来た。快適な環境でイギリスの弦楽作品集のCDをトレーに入れた。 . . . 本文を読む
愛犬が息をひきとって半年になる。月命日の今宵は、多くを聴きたい気分でない。有名なカッチーニの「アマリリ」を連続再生にして小さな音量で流してゐる。歌ってゐるのはヒナ・スパーニで1926年の電気録音SP盤の復刻である。 . . . 本文を読む
日曜日の朝、爽やかな曇天のもと、サティの「組み立てられた3つの小品」を聴いてゐる。僕が始めて買ったCDである。CDには馴染めずに相変わらずLPばかり聴いて、此の1枚のまま数年間CDは買わなかった。そんな昔のことを思い出しながら聴いてゐたが、暇なのでブログのお勉強でもしやうと思ひついた。 . . . 本文を読む
サンサーンスの提琴協奏曲の第3番は知ってゐたが、まさか第1番が作曲されてゐたとは思わなかった。初期の作品のやうだがサンサーンスの持つ華やいだ雰囲気とやや古典的な空気を持った作品である。ティボーの演奏は亡くなる直前のライブ録音のやうだ。 . . . 本文を読む