久しぶりに自宅の仕事場に戻って、原稿を書く傍ら音楽を聴いてゐる。いや、本当は音楽を聴き、ブログを書く傍ら仕事をしてゐるふりをしてゐる。今宵は、スポルディングのブラームスの奏鳴曲を取り上げた。興味はスポルディングに半分、4分の3はドホナーニの洋琴、残りの5分の4は人権屋の面々に向けられた。 . . . 本文を読む
アーノルド・ロゼは3度目の登場である。維納フィルハーモニーのコンサートマスターを57年間も務めた伝説の人であり、維納の音楽文化の中心に居た大御所的存在でもある。そのロゼは比較的多くのレコヲドを残してゐるが、珍しい作品も目に付く。その一つにエルンストといふ作家の「オテロ・ファンタジー」といふ作品がある。 . . . 本文を読む
高松の友人mashimashiの行きつけの店でしゃぶしゃぶをご馳走になり、土産に持参した大古酒も大将の気に入ってもらえた。その後は粋なラウンジでゆったりとした時間を過ごした。高松は友人Yの故郷でもあり、学生時代に一度泊めてもらったことがあるが、街を歩いたのは30年ぶりだ。翌朝の宿からの屋島の眺めはなんとものどかでいい。帰路、フィルクスニーとモリーニのリサイタルを聴きながら列車の旅を再び楽しんだ。車窓を眺め、ゆっくりと時間をかけて移動することの贅沢を感じながら、いつしかうとうとと豊かな眠りについていた。
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シベリウスの提琴協奏曲はクーレンカンプとフルトヴェングラーのDXM盤で出逢った作品で、中学生時代の僕には第2交響曲と同様、神秘的な響きが印象に残った。以来、シベリウスの作品としては最も聴く頻度の高い作品となったが、今回、ウィックスの全曲盤の演奏を聴いて、少々驚いてゐる。 . . . 本文を読む
ニノとニコラのトラブルは、一歩間違えば殺し合いになるほどの諍いであった。僕の目の前にも同じやうな二人が居て、互いに相手を陥れやうと僕に話を持ちかけて来る。僕は、残念なことに人一倍正義感が強い為に白黒をはっきりとつけたがる性格なもので、モモのやうにうまく仲裁できない。そればかりか、仲裁役がニノ寄りの意見を言うものだから・・・・
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大寒の今日は、一日曇天が続き、僕の心も曇ってゐる。このやうな日には、感情を動かす音楽は危険を伴うので、宗教的な曲かバッハを聴くのがいい。バッハの提琴演奏を探してゐると、手は自然とマルツィの方に向かふ。 . . . 本文を読む
1951年、メニューヒンが来日し、公演だけでなく、数多くのSP盤を残して帰った。これが、世界的にも珍しいといふことで、ヴィクターから出たLP盤などは、現在でも高値で取引されるそうだ。 . . . 本文を読む
デニス・ブレインのモーツァルトのレコヲドは、小学生の頃、ひと回り違いの叔母に薦められて聴いたのが最初だった。同時期に、リパッティのブザンソン告別リサイタルも聴いた。どちらも若くしてこの世を去った天才といふ共通点があったので、強烈な印象とともに未だによく憶えてゐる。 . . . 本文を読む
1月17日はマタイ受難曲を聴く日と決めてゐる。この1年に入手したマタイ受難曲はラミン指揮ライプツィッヒ・ゲバントハウス管絃團と聖トーマス教会合唱團によるSP復刻盤で、僕が手にする8種類目のマタイだ。 . . . 本文を読む
(写真は、メンゲルベルク、ラフマニノフと若きミッシャ・レヴィツキ)
大学3回生当時、友人Yと師匠のM教授のコラボレーションによるSP復刻は面白いやうに進展し、傍らで見守る僕たち、ただの愛好家たちは指を咥えてその出来上がりを待つばかりだった。 . . . 本文を読む
フィリップ・ヒルシュホルンといふ提琴家をご存知の方は少ないだらう。1967年、エリザベート王妃国際音楽コンクールで提琴部門優勝を勝ち取り、1996年にこれからといふ50歳の若さで癌に倒れ、帰らぬ人となった。僕は、今から30年ほど前に、大阪国際音楽祭で彼の演奏を聴いたことがある。 . . . 本文を読む