支那四千年の歴史上、最高傑作と云はれてゐる洋琴と水素爆弾の為の狂装曲「黄河」。どのくらい傑作かといふと、腹の皮がよじれてもとに戻らず入院するくらいけっさくである。此の世界一の駄作を、今年も修行のために取り出した。
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昨晩は高知のホテルで過ごしたが、マシューズの歌声が早く聴きたくなり、あまり美味くない朝食を摂るとすぐにホテルから車を飛ばし我が家に帰りついた。早速、おととい探し出してゐたマシューズのアルバムをトレーに乗せた。 . . . 本文を読む
秋らしい空気が感傷的な気分にさせるこのやうなときは蓄音器で女性ジャズシンガーの歌声が無性に聴きたくなる。1934年の「エバーグリーン」で一躍有名になったジェシー・マシューズはお気に入りの女優の一人だが、"Dancing On The Ceiling"を取り出して聴いてゐる。 . . . 本文を読む
我が國を代表する洋琴弾き、中村○子が文化大革命のあだ花と称する鋼琴協奏曲「黄河」は、支那の4千年の歴史上最高の傑作と云はれてゐる。どのくらい傑作かといふと、腹の皮が捩れて1回転するくらいけっさくである。 . . . 本文を読む
今日はアンチピリン氏の生誕記念日だ。早朝より目が覚め、荘重な気分で生誕を祝う会の準備を始めているところだ。音楽室に入り、其の録音テープを見つけるのに1時間ほどかかった。記念日には、やはり明るく無邪気で夢想的な「リバース」が最も相応しいと思ふ。 . . . 本文を読む
僕の一番嫌いな季節がやって来た。別れと新しい出会ひの春だ。異動のある年はいつも春の無い熱帯地方か極地に生まれれば良かったと真剣に思ふ。こんなときにCDラックから取り出すのは女声ヴォーカルによる甘いジャズの響きだ。 . . . 本文を読む
林廣守らによって作曲された「君が代」が発表された丁度100年後の1980年11月、大阪ブーイング協会のメンバーによって初演された「君が代の主題による遁走曲」のことは以前にも取り上げたことがある。久しぶりにテープを取り出し、そのときの演奏を懐かしく聴いてゐる。 . . . 本文を読む
正月は温泉で腰の治療に専念することを口実に、仕事を完全に忘れて遊び呆けてゐたが、そのツケが廻って来ぬうちになんとかしなければいけない。そのため、まず手元にある書類を目につかない場所に移しておいた。そして、以前から宿題になってゐた下宿先の娘からのリクエストである、ビートルズのLPのMP3変換をしながら、懐かしいサウンドを聴いて仕事のことを更に忘れようとしてゐる。
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米國のハリウッドスター、オスカー・レヴァントはシェーンベルクに学んだ経歴を持ち、洋琴弾きとしてレコヲドも数多く残してゐる。ホセ・イトゥルビもそうだが、米國のエンターテイナーの芸の奥深さを象徴的に表してゐるやうに思ふ。 . . . 本文を読む
チャイコフスキー亡き後のモスクワ音楽院を背負って立ったミハイル・イッポリトフ=イワノフのコーカサスの風景といふ民族色豊かな名作がある。僕がいつも云ってゐるやうに、この類の作品は、時代の空気と一緒に味わうと、より一層趣がある。 . . . 本文を読む
「支那のあっかるい脳みそ」の第2弾は、中国中央交響爆弾が天才的頭脳を集結させて作った報復絶倒(抱腹絶倒だたかもしれない)のコンチェルトだ。四半世紀以上前に此の曲を聞いたときは、あまりの恥ずかしさに、「穴があったら入れたい」(「入りたい」だたかもしれない)と思たものだ。 . . . 本文を読む
世界の何人に一人だたか忘れたが、地球上の人間の大半は支那人と火星人(印度人だたかも知れない)だといふ。支那といふお國はえらいパワーを持たお國だ。このことは毒入り餃子事件でのシナ警察の鑑識結果や最近NH○で放送されたマンションの管理組合つぶしの実態などを見ても分かる。今宵は、支那の作家集団が、集めるだけ無駄な感性と知恵を集結させて作り上げた協奏曲「草原の姉妹」を聞いてゐる。題名からも分かるとおり、米国の「大草原の小さな家」の向こうを張って支那の威信をかけて作られたものだ。
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僕はクラシックと言ふ分野の中で、どうしても好きになれない旋律がいくつかある。その旋律を聴くだけで気分はめいり、何をする気力も無くなるのである。フモレスケもその一つなのだ。蓄音機の中から聴こえてくる提琴の音色なら構わないのだが、最新録音やオーケストラ編曲ものなどはたまらなく不愉快である。 . . . 本文を読む
僕は幼い頃、僅か3年だが米國で生活した経験がある。3年間を過ごしたロチェスターといふ街にはコダックの本社があり、スーツづくりの老舗ヒッキー・フリーマンもある。そして音楽ではロチェスター・フィルハーモニーとイーストマン・アンサンブルがあった。街の中心には堂々とした教会があり、文化の香りのする閑静な住宅街だった。きれいな並木道を歩いて幼稚園に通ってゐた頃の記憶は、間違いなく僕の脳みそに眠ってゐる。 . . . 本文を読む