僕は、クナパーツブッシュのブルックナーやワーグナーはとても好きだが、ベートーヴェンやシューベルトなどの演奏を聴くときは正直に告白すると「そのデフォルメがいかなるものか」といふ一種の怖いもの見たさの心理が働いてゐる。 . . . 本文を読む
1984年4月24日、僕は心躍らせながらフェスティバルホールへと急いだ。この日、わが町のマエストロ、朝比奈のおっちゃんがフルトヴェングラーのシンフォニーを日本で初めて演奏するといふので、朝から仕事が手につかなかった。120分テープをしのばせて、おっちゃんの勤めたことのある阪急電車で大阪へ向かった。 . . . 本文を読む
40歳になったエリカ・モリーニは祖国、墺太利を離れて米国に居た。世界大戦末期、戦火で貴重な文化遺産が次々と破壊されていく独逸や周辺諸国の惨状をどのやうな思いで見ていたのだらう。ちょうど其の頃、紐育ではモリーニがベートーヴェンの協奏曲をゴルシュマンと協演し、演奏会を開いてゐた。 . . . 本文を読む
中学生の頃の僕にとって、フォンタナの廉価盤は魅力的だった。なにせ900円で名曲のLPが手に入ったのだ。とにもかくにも名曲を片っ端から聴いて聴いて聴きまくりたいといふ欲求を満たしてくれる最大の味方であった。そんな中にヨッフムの運命や未完成もあったと記憶してゐる。 . . . 本文を読む
作曲家ツェムリンスキーのクラリネット三重奏曲をご存知だろうか。初めて聴いたときに、ブラームスを思はせる曲づくりに背筋がぞくぞくした記憶がある。それ以来、ツェムリンスキーの作品を探して集めたが、クラリネット三重奏以上の感動は未だに体験してゐない。 . . . 本文を読む
ブルーノ・ワルターは紳士的な音楽づくりをする指揮者といふイメージを持つ方が多いだろう。しかし、僕はへそ曲がりと言われようとも、ワルターほど音楽づくりの荒っぽい音楽家はいないと信じてきた。 . . . 本文を読む
ヨーゼフ・レヴィーンといふ露西亜生まれの洋琴家との出会いは数曲のショパンのエチュードの圧倒的な演奏が最初だった。高度なテクニックをひけらかすどころかそのやうな低次元なことは意に介さず、完璧が当然と言わんばかりのオクターブの連続を猛烈なスピードで簡単に弾いてのける作品25の10。今聴いても、30年前に初めて聴いたときの興奮が蘇る。 . . . 本文を読む
澤田柳吉は、フルトヴェングラーと同じく1886年に生まれ、1936年に50年の短い一生を終えた浅草の洋琴弾きである。「日本一の洋琴家」といふ看板を引っさげて浅草オペラの舞台に立ったまではよいが、洋琴音楽を理解できぬ見物客から罵声を浴びせられ辞めてしまった。1923年の関東大震災の後、関西方面に移り、貴志康一とデュエットをするなどした。今日は、1931年に発売された彼の「月光奏鳴曲」の演奏を聴いて、日本人気質について考えてみたい。
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ヴィクトル・デ・サバータとサンフランシスコ響とのリハーサル風景が手元にある。曲はブラームスの交響曲第3番の終楽章とR.シュトラウスの「死と変容」である。ブラームスの方はレコヲドに収められた8分間で一度も止めることなく、さまざまな問題は解決されないまま練習が進められていく。
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今、ここにあるのはオープンリールのテープだが、小学校の頃には同じデザインの箱に入った2枚組のLPアルバムがあった。我が家では、クリスマスになるとこのレコヲドが必ずかかってゐた。 . . . 本文を読む
フェイドインで始まる怪しげな録音だが、モイセイヴィッチがマルコム・サージェント卿とデーリアスの洋琴協奏曲を共演してゐるレコヲドがある。オーケストラ名は伏せられてゐるが1955年のライブ録音と記されてゐる。 . . . 本文を読む
アーベントロートがシベリウスの第2交響曲を振った録音を聴いてゐる。1951年、ライプツィッヒ放送響との放送録音のやうである。終楽章のテンポがやや速すぎるといふ不満はあるが、第1楽章の重厚で奥行きを感じさせ、なおかつ全体をドラマティックに盛り上げるあたりはさすがだと思ふ。 . . . 本文を読む
ベートーヴェンのスプリング・ソナタの名演は数多くあるが、シゲティとシュナーベルの二人の演奏ほどこの曲の持つ優しく雅やかな雰囲気がうまく表現された演奏はない。スプリングの伸縮幅も大きく、その伸び縮みする様が心地よく伝わってくる。 . . . 本文を読む