ジーナ・バッカウアーはコルトーの弟子といふことで名を覚えた女流洋琴家だ。彼女が1951年にHMVに残したSPレコヲドからモーツァルトの洋琴協奏曲第26番「戴冠式」を聴いてゐる。
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フルトヴェングラーが活躍した1950年代前半に、伯林フィルがイゴール・マルケヴィッチと展覧会の絵を録音してゐる。録音年月日は1953年1月31日となってゐる。僕たちはこの録音の2週間前に、フルトヴェングラーが同オケとやったベートーヴェンの第1交響曲を聴くことができる。 . . . 本文を読む
中低域に少し曇りのある音色が印象的なカウフマンは、バロック音楽と現代音楽を得意としてゐた提琴家だと思ってゐたが、コンサートホール盤にはモーツァルトが作ったとされてゐる「アデライーデ」協奏曲が収められてゐた。 . . . 本文を読む
ジョルジュ・シフラと言へば最近のリスト弾きと云はれた人のなかでは最もテクニックの優れた洋琴弾きだらう。音楽的な中身のことを全く感じさせないシフラの演奏は特に中身の全く無い「洪牙利幻想曲」で真髄を見せてくれる。 . . . 本文を読む
世界平和を願う音楽家として終生アピールを続けたメニューヒンは、第2次大戦後我が国にも来て多くの録音を残して帰った。そのメニューヒンはナチ疑惑の渦中にあったフルトヴェングラーを擁護したことでも有名だが、今宵はモスクワでの1945年11月16日のライブ録音を聴いてゐる。 . . . 本文を読む
ショスタコーヴィッチの「らっぱと洋琴の為の協奏曲」はカペルのライブ盤を愛聴してきた。露西亜の作品をあまり好きでない僕にとって、ショスタコーヴィッチは政治的な色合いを感じる特に好きではない作家の一人だった。しかし、この奇妙な協奏曲を聴いてから、物珍しさもあってか興味を持つやうになった。 . . . 本文を読む
仕事の途中に海豚を見た。気持ち良さそうに群れでジャンプを繰り返す姿は自由奔放で、何かにとりつかれたやうに東の方向に泳ぎ続けてゐた。こちらもなにか幸せな気分になり、宿に戻るとドホナーニのSP復刻CDを取り出し、昔聴き親しんだドリーブのトランスクリプションを愉しんだ。 . . . 本文を読む
1935年3月31日のカーネギーホールには、ヤン・クーベリックの独奏を聴く為に多くの人々が集まった。パガニーニ、サラサーテの次世代の大提琴家と言へば、ヤン・クーベリックが一番人気だったといふ。その提琴界の「皇帝」の姿を一目見ようと聴衆は熱狂してゐたに違ひない。以前から聴きたかったこの演奏を今日は何度も繰り返し聴いてゐる。 . . . 本文を読む
友人Yの子息は今、巴里音楽院でクラリネットのお勉強中である。そんな関係で僕も子息の活躍を願っていろいろとクラリネット作品を聴くやうになった。意外とモーツァルト時代に多くの作家によってクラリネット作品が生み出されてゐたことを知った。今日のクロンマーもその一人だ。 . . . 本文を読む
グラズノフは管絃樂分野に素晴らしい作品を残した露西亜の作家だが、その才能は正当に評価されてゐるとは言い難い。しかし、この演奏を聴けば少なくともRコルサコフ並には評価されるやうになるのではないかと思ふので紹介する。 . . . 本文を読む
フェリアのブラームス「4つの厳粛な歌」と言へば、ジョン・ニューマークと録音した洋琴伴奏のものを指すのが普通だが、今宵聴いてゐるのはマルコム・サージェントがオケ伴奏に編曲したBBCの放送録音盤である。 . . . 本文を読む