サン=サーンスは自身が洋琴の大家であり、ワーグナーの楽劇のフルスコアを初見で見事に弾いて見せ、作曲者らを感嘆させたといふ逸話も残ってゐる。そのサン=サーンスがベートーヴェンの熱情奏鳴曲を意識して作ったと思はれる「アレグロ・アパッショナート」といふ魅力的な作品がある。 . . . 本文を読む
久しぶりに別宅でのんびりと過ごすと、ガリ=クルチを聴きたくなった。僕は、最近になって友人Iの薦めもあり、歌劇に目を向けるやうになった。正確に言ふと向けるようになったと言へるやうに努めてゐる。 . . . 本文を読む
僕は、シューマンの洋琴作品を他のどの作曲家よりも好んで弾いていた。シューマンの詩情と激しい感情の揺れ動きを表現するのは難しい。まず、音色が美しくないといけない。激しい感情の動きを表現するためには、テンポ、強弱、タッチなどが有機的に絡み合って変化しなくてはいけない。僕の場合はテンポ、強弱、タッチに加えて指が絡んでしまい、なかなかうまく表現できなかったのが残念だった。 . . . 本文を読む
ウラディミール・ソフロニツキーは、1901年生まれの露西亜のピアニストでミハロウスキに学んだ。スクリャービンの娘婿でもある。竹を割ったやうな音色(竹を割るときに出るポーンといふ独特な音色)のピアニストで、ショパンを露西亜ピアニズムで攻め立ててゐる。1949年に露西亜で開かれたショパン没後100年記念演奏会のライブ録音の中にマズルカ、ワルツ等が残されている。 . . . 本文を読む
僕のレコヲド狂人生は、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン響の米国盤LPとともに始まる。小学校の高学年に成った頃、親父が毎月数枚のLPをくれるやうになった。そのLPはいずれも親父がロチェスター大学に在学中に集めたモノラル時代の米国RCAやCOLUMBIAの1950年代のLP盤ばかりだった。親父にしてみれば、ステレオ装置を購入し、要らなくなったモノラル盤を息子に譲ったわけだが、僕にとっては突然のプレゼントへの戸惑いがあった。グレースの重いアームをLP盤にそっと乗せると不思議な音楽が鳴り始める。次第に興味が湧き、のめり込んでいった。 . . . 本文を読む
ラロのチェロ協奏曲は有名な「西班牙交響曲」と違い、歴史的に高い評価を得た作品かどうか疑問も残るが、モーリス・マレシャルは1932年に、早くもこの作品のレコーディングをとり行ってゐる。レパートリーの広い意欲的なチェロ奏者であったやうだ。 . . . 本文を読む
ミルシティンとバルサムのコラボレーションは1938年に始まった。当時、バルサムはメニューヒンとの協演により、伴奏者としての一定の評価を得ていた。この演奏は、1953年のライブ録音である。 . . . 本文を読む
名盤中の名盤、説明の必要もない歴史的名演奏のブラームス提琴協奏曲を何十年ぶりかに聴いてゐる。上品さを失しないクライスラーのロマンティシズムは流石だと、つくづく思ふ。しかし、この演奏の素晴らしさのもう一つの理由がブレッヒの伴奏にあることは、今回聴いてみて初めて痛感したのである。昔、聴いた名盤も、齢を重ねて聴きなおすと面白い発見の連続である。興味が尽きない。
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エセル・レギンスカはフルトヴェングラーと同い年、英國ヨークシャー生まれの洋琴家である。16歳までの数年間、伯林でレシェテツキに就き、1925年にカーネギーホールでデビューを果たしている。彼女が人並みはずれていると思うのは洋琴に留まらず、作曲をエルンスト・ブロッホに学び1914年には作曲活動を始めていること。更に、当時、女性としては珍しく、ユージン・グーセンスにオペラ指揮を学び、指揮者としても活動していたことである。 . . . 本文を読む
アルフレッド・グリュンフェルトは1852年に洪牙利に生まれ、電気吹込みが始まる前年の1924年に没している。ラウル・プーニョと同年生まれ、ナタリア・ヤノータらと同世代の伝説上の洋琴弾きである。 . . . 本文を読む
シベリウスの弦楽四重奏「親しい声」といふ大変美しい曲があるが、ご存知だろうか。独特の和声と動きの絶えない弦のユニゾンは第2交響曲を想起させる曲想だ。第4楽章などは、大変親しみやすく一度聴くと忘れられないメロディーだ。 . . . 本文を読む
グレゴール・ピアティゴルスキーは、露西亜生まれの大チェリストで、命からがら露西亜を脱出し、フルトヴェングラーの下で伯林フィルハーモニーの首席チェロ奏者を務めた。1920年代にソロデビューを果たし、米国の市民権を得てからは米国での演奏活動が中心となった。 . . . 本文を読む
F.シュミットと言へば普通はフローラン・シュミットを指す。しかし、ブルックナーの弟子にフランツ・シュミットといふ維納の作曲家が居る。シュミットはエルメスベルガーにチェロを、レシェテツキに洋琴を学び、維納音楽院で洋琴とチェロを教えていたいわばオールマイティな作曲家であった。 . . . 本文を読む