神戸が生んだ我が國初のコロラトゥーラ・ソプラノ、矢野 滋は神戸市民にとってはなじみ深い存在である。久々にその美声を聴いて昔のことなど懐かしんでゐる。春はそういふ季節である。 . . . 本文を読む
チャイコフスキーの交響曲は後期の3曲以外は最近(といっても二十年ほど前)まであまり聴かなかったため、特にお気に入りの演奏があるといふわけでもない。特にコーツの演奏に何かを期待して聴こうと思ったのではなく、この時代の響きに浸りたくCDを取り出した。1932年の録音である。 . . . 本文を読む
久々に日本國に戻ってきて、数ヶ月ぶりの投稿となる。その間、多くの方々に来訪いただいてゐたことを知り大変困惑してゐる。このやうな勝手気ままなブログにお付き合い頂いてゐることを恥ずかしく思ふが、今後も時間を見つけて綴っていこうと思ってゐる。
. . . 本文を読む
英國音楽と現代作品の佳き理解者として活躍した濠太剌利出身のゲイ・ピアニスト、ノエル・ミュートン=ウッドのレコヲドを初めて聴いてみた。曲はウェーバーの二つの奏鳴曲と、僕が昔よく弾いて楽しんだショパンのタランテラの三曲だ。 . . . 本文を読む
1937年3月7日に米國で放送用に録られた音源からグリーグの協奏曲第壱楽章を聴いてゐる。貧しい録音ではあるが、ヘスのデモーニッシュな演奏を垣間見ることができて本当に嬉しい。写真は見てのとおりヘスにあらず、伴奏指揮を務めるヴィクトール・コラーといふ作曲家である。 . . . 本文を読む
第弐次大戦末期、独逸國が降伏して僅か二十日ほどの後、レオ・ボルヒャルトがフルトヴェングラーに代わり指揮台に立った。戦時中のフルトヴェングラーのメロディア盤でよく耳に馴染んだあのティタニアパラストが其の舞台だったと言ふ。 . . . 本文を読む
ハチャトゥリアン作曲「レスギンカ舞曲」の自作自演でも聴いて景気づけをしやうと「ライヴ・クラシック100」を取り出した。30年ほど昔、中学校ぐらいの学生たちがよく演奏してゐた曲だが、一般的にはあまり聴かれることはない。 . . . 本文を読む
リストのオペラファンタジーは、当時のサロン音楽の華であったのだらう。超絶技巧の中にオペラの有名なモチーフが流れる。豪快なオーケストラのやうな響きと繊細な洋琴のささやきがまったく気まぐれな進行によって紡がれていく。愉しいファンタジーの世界なのである。 . . . 本文を読む
以前、シャラーの演奏で取りあげた此の作品を久々にチェルカスキの名演で聴いてゐる。リトルフの交響的協奏曲第四番からスケルツォ楽章のみが録音されてゐて、伴奏はサージェント指揮BBC響である。 . . . 本文を読む
別れの春、毎年毎年、此の春といふ季節を恨む。人生の中で何度体験するのかは知らないが、以前にも書いたやうに春の無い常夏の南国か凍てつく極地に生まれれば良かったと、この時期にはいつも思ふ。春であることを否定したいときにはクリスマスの音楽を聴くのが一番だと思ひつきCDを取り出した。 . . . 本文を読む
支那四千年の歴史上、最高傑作と云はれてゐる洋琴と水素爆弾の為の狂装曲「黄河」。どのくらい傑作かといふと、腹の皮がよじれてもとに戻らず入院するくらいけっさくである。此の世界一の駄作を、今年も修行のために取り出した。
. . . 本文を読む
新春といふことでメストのニューイヤーコンサートを愉しんだ。其の余韻といふか、維納の香ほりを嗅ぎたくなり、ゴドウスキの組曲「トリアコンタメロン」の中の1曲、「古き維納」といふ名曲を探した。此の三十の小品から成る「トリアコンタメロン」組曲は、ゴドウスキがメロンを味わった際、其の感激で一気に書き上げたと云はれてゐる。
. . . 本文を読む
シューベルトには未完成の作品がいくつかあるが、この三重奏曲も第2楽章途中までしか残されてゐない。これをメンデルスゾーンの子孫、ウラディミール・メンデルスゾーンが補筆完成させたのが、今日聴いてゐる演奏である。 . . . 本文を読む