小安殿と大極殿結ぶ 廊下の一部遺構確認 向日・長岡宮

2012-09-02 15:22:42 | 歴 history
長岡宮の小安殿から大極殿につながる廊下の一部の遺構。存在は想定されていたが、実際の確認は初。下は排水用の石(向日市鶏冠井町の発掘現場) 京都府向日市鶏冠井町、国史跡長岡宮の小安殿跡で31日までに、大極殿とつながる廊下の一部の遺構が見つかった。地覆石(底石)が敷かれていたとみられる溝の幅が、後期難波宮の地覆石の溝の幅と一致し、市埋蔵文化財センターは「長岡宮が後期難波宮を移築して造られたことをあらためて裏付ける発見」としている。

■難波宮移築裏付け

 小安殿は天皇が政務を執る大極殿に入る前に控える休憩所。長岡宮で初めて独立の建物となった。大極殿との間をつなぐ廊下の存在は想定されていたが、実際に確認されたのは初めて。

 廊下跡は、小安殿のすぐ南側の東西幅8・9メートル、南北幅1・5メートルの調査範囲で見つかった。大極殿の位置から中軸が推定でき、廊下自体の幅は6・5メートルと推計した。基壇の土は固くたたき締められており、宮殿建物に特徴的な丁寧で重厚な造成が施されていた。

 また、地覆石の溝の外側には排水用の石が敷き詰められていた。上に多数の丸瓦や平瓦もたい積していたが、これは、平安京遷都に伴い投棄されたものとみられる。

 同センターの中島信親主任は、廊下の存在や基壇の状態などから小安殿は大極殿とほぼ同時に造られたとみられるといい、「難波宮以前は門と一体だった小安殿が、長岡宮で独立した経緯を解明する手がかりになる」と話す。調査は8月末で終えた。

 後期難波宮は、平城京の副都として726年に聖武天皇が造営。桓武天皇による784年の長岡京遷都まで、現大阪市に置かれた。瓦の特徴が一致することなどで、長岡宮は後期難波宮を移築したとの見方が定説。

2012年09月01日 09時32分

難波の宮
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