現在の駒の文字のルーツとも言える水無瀬駒の発祥の地・中将棋とは? #shogi

2010-11-25 17:23:53 | 歴 history
水無瀬から 響け駒音 : 大阪 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

島本町広瀬の水無瀬神宮に約400年間伝わり、作者が判明している現存の将棋の駒では国内最古とされる「水無瀬駒」(町文化財)を使った町おこしに、同町が乗り出している。この駒などで行われた古将棋の一つ「中(ちゅう)将棋」の公開対局を行ったり、小学校にプロ棋士を派遣して教室を開いたり。駒の産地としては山形県天童市が知られるが、同町教委は「現在の駒の文字のルーツとも言える水無瀬駒の発祥の地として、全国に将棋文化を発信していきたい」と意気込む。(斎藤剛)

 「能筆家が書いた駒からは品格が伝わってくる」。水無瀬駒の複製を作った京都府木津川市の駒師、熊澤良尊さん(67)は魅力を語る。

 水無瀬駒は、安土桃山時代、同神宮の宮司を務め、達筆で知られた水無瀬家13代目で公家の水無瀬兼成(1514~1602)が文字を入れて作った。現在の駒は厚さ約9ミリが一般的だが、水無瀬駒は14ミリと重厚で、天皇や徳川家康らに納めたという記録が残る。

 同神宮客殿で10月31日に開かれた記念対局。神崎健二・七段と中田功・七段が、熊澤さん作の水無瀬駒を使って対戦した。プロ棋士による中将棋の公開対局は全国でも95年ぶり。境内のテレビ画面にも模様が映され、約50人が真剣勝負に見入った。

 中将棋は盤が12ますで駒も21種類と、一般的な小将棋より多い。室町時代に公家の間で流行し、明治以降は関西ではやったという。対局は約2時間半かかり、275手で投了。勝った神崎七段は「厚みがある立派な水無瀬駒の複製品で指すことができたのはいい記念になった」と満足そうに話した。

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 兼成は、水無瀬駒を約730組作ったが、現存するのは約10組。水無瀬家には小将棋の漆書の駒39枚と、中将棋の墨書91枚、漆書4枚が代々伝わっており、兼成が駒の配置や進め方を図面で記した資料とともに昨年4月、町の文化財第1号に指定された。

 水無瀬駒にちなんだ町おこしは、今年度から3年間、文化庁の地域伝統文化総合活性化事業に採択。町は、中将棋の普及を目指してルールブックを作成し、10月には町立歴史文化資料館でセミナーを開催。町内外の将棋ファンら約70人が参加し、中将棋の駒の動かし方を体験、参加者からは「難しいけど面白い」との感想が聞かれた。

 ほかに町内の4小学校にプロ棋士を派遣する将棋教室を、来年2月までの日程で各校4回ずつ開催する。

 町の取り組みに、同神宮の31代目、水無瀬忠成宮司(65)は「長年受け継いできたものを多くの人に知ってもらういい機会」と話す。同神宮でも水無瀬駒にちなんだお守りを作ることを検討中だという。

 駒師の熊澤さんは「公開対局や将棋大会を毎年続け、全国的な知名度が上がるようにするべきだ」と力を込める。日本中将棋連盟会長の武田穣・名古屋大教授(59)も「チェスに似ていることから海外でも中将棋を指す人はいる。うまくいけば国際交流にもつながる」と期待している。

<中将棋> 現在一般に親しまれている将棋は「小将棋」に分類され、盤が9ますで駒は8種類。中将棋は盤が12ますで駒も21種類あり、取った駒は次に使うことができない「取り捨て」となるのが特徴。「酔象」という駒が成ると「太子」となり、「玉将」と同じ役割で、二つとも取らないと勝ちにならないルールだ。駒の数が多く、対局時間も長くなることから、指せる人は現在、全国で200~300人とされる。
(2010年11月24日 読売新聞)





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