たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

陸中八十八カ所霊場参詣順路(2)

2015年12月15日 | ぶらりぶらり
県道13号線を北上し紫波町に着きました。紫波町内の霊場をまわります。

9.小金堂(27番) 本尊観音 志和(現 岩手県紫波町片寄字沢口6)

黄金堂のことで、坂上田村麻呂将軍東夷征伐の後、其報恩のため、また両軍戦死者の霊を弔はんと、十一面観音の尊像を安置したとされている。






御詠歌
三仏の誓ひの心かねの峯やいばの地獄たとへありとも



10.稱名寺(6番) 本尊 薬師  志和(現 岩手県紫波郡紫波町片寄鶉森6-3)

近くの隠里寺から分かれて新しく創立したのが称名寺(しょうみょうじ)のようです。県道13号線沿いにあり、看板が立っていますので、すぐにわかります。紫波町と花巻市の境になりますますが、当時この辺は南北交通の幹線だったようで、多くのお寺が建てられています。




山門



御詠歌
仮の世のもどを争ふむやくなり安楽国の守護をのぞめよ 



11. 隠里寺(22番) 本尊薬師 志和(現 岩手県紫波町片寄中平15)

 隠里寺(いんりじ)は小高い場所にあり、本堂の建立は270年ほど前といわれており、境内にある薬師如来堂もかなり古いお堂のようです。




薬師如来堂


御詠歌

平等に隔てのなきを聞く時はあらたのもしき仏とぞ見る




12.新山堂(52番) 本尊観音 志和(現 岩手県紫波町土舘和山1)

斯波氏(しばし)のころは新山寺(しんざんじ)といって郡内有数の寺院であったといわれています。新山寺は明治3年に新山神社と改称されています。








御詠歌
大山に登れば汗のいでけれど後の世思へなんの苦もなし



13.弥勒堂(20番) 本尊地蔵  志和村(現 岩手県紫波町土舘弥勒地)

弥勒堂(みろくどう)は地元では「おぶつなさん」と呼ばれ親しまれています。この場所はなかなか分からず、たまたま民家を尋ねたら、すぐうちの裏の山にあるということでした。熊が出そうな所で、ゆっくりすることもなく、退散しました。この地区には4軒の弥勒さんのお家があるということで、その一番奥の弥勒さんの裏山になります。





御詠歌
しげりつる鶴の林をしるべにて大師ぞいます地蔵帝釋(たいしゃく)



14.慈眼寺(66番) 本尊観音 志和(現 岩手県紫波町上平沢字南馬場31)

お堂は民家の庭先にあります。当時はここにお寺があったのでしょうか。留守でしたので、お話を聞くことができませんでした。


お堂



御詠歌
はるばると雲のほとりの寺に来て月日を今はふもとにぞ見る



15.薬師堂(11番) 本尊薬師  五郎沼(現 岩手県紫波町南日詰箱清水189)

現在の薬師神社で五郎沼のすぐ近くにあります。五郎沼は桜の名所として、また白鳥の飛来地として親しまれております。かって、周辺には奥州藤原氏初代清衡の孫・樋爪太郎俊衡、五郎季衡兄弟の館があり、五郎が幼い頃によく沼で泳いで遊んだことからその名がつけられたと云われています。








五郎沼


御詠歌
色も香も花の中なる藤井寺真如の波のたゝぬ日もなし




16.不動堂(55番) 本尊地蔵  南日詰(現岩手県紫波町南日詰箱清水105)

赤石小学校の方向に進みさらに東北本線の踏切を渡ると左側の狭い道路があり、そこを進むと右側になります。個人の家の屋敷の中にあります。







御詠歌
このところ見しまに夢の覚めければべつぐうとても同じ垂跡(すいしやく)



17.島ノ堂(第10)  本尊 千手  南日詰(現 岩手県紫波町南日詰宮崎4-1)

五郎沼には、かつては観音島という中島があり、そこに、「島の堂千手観音」があったといわれますが、その後、中島はなくなり、観音は、参拝する巡礼者が難儀をしないようにと、お堂を現在の国道を挟んで向かい側に移築し、今も大切に守られています。 






御詠歌
欲心をただひとすぢにきり果たし後の世までの障りとぞなる



18.鶴巻堂(44番) 本尊観音  南日詰(現 岩手県紫波町南日詰滝名川88)

鶴巻堂は個人の家の屋敷内にあります。







御詠歌
今の世は大悲のめぐみすがふ山つひには弥陀の誓ひをぞまつ



19.覚王寺(28番) 本尊大日 大日堂(現 岩手県紫波町北日詰字下東の坊61)

覚王寺は国道4号線沿いにあります。






御詠歌
露霜と罪をてらせる大日寺などか歩みをはこばざらまじ



20.来迎寺(53番)  本尊 弥陀  郡山(現岩手県紫波町日詰石田47)






マリア観音像


この仏像はマリア観音といわれますが、徳川三代将軍家光はキリシタンを禁ずる布令を出しましたが、禁制を犯した信徒達は使役のため、現在の紫波町佐比内の金山採掘作業に送られた人もおりました。信徒たちは仏像に模したマリア観音をつくり詮議の目を逃れつつ朝夕身心していた。この仏像の頭部を取り外しできるように作り、詮議の時は地蔵様の御首をつけて「地蔵様です」といい、普通はマリア様としておがんでいた。現在そのマリア様の頭部だけが残っているそうです。
なお、境内には神社もあります。


御詠歌
来迎の弥陀の光の円明寺てりそふかげはよなよなの月



21.高水堂(48番)  本尊観音 片山(現 岩手県紫波町二日町古舘170)

高水寺は南部氏により盛岡に移され、その跡地に片山寺が建てられた。現在ある「高水寺」と揮毫された額を掲げる建物は、片山寺の資材を使って作られた高水寺旧観音堂のようで、高水堂と呼ばれていますの。





高水寺旧観音堂(高水堂)


高水寺旧観音堂


高水寺の新観音堂には県指定の木造十一面観音像、町指定の木造金剛界大日如来像、木造地像菩薩半跏像が安置されている。記録によると、高水寺には称徳天皇の勅願になる一丈の観自在菩薩像が安置されていました。現在ここに安置されている十一面観世音は、その後身と伝えられており、昭和35年12月に岩手県有形文化財に指定された。


高水寺新観音堂

高水寺観音堂は走湯神社境内にある。走湯神社は、高水寺の鎮守として、源頼朝によって1189年に勧請された。



御詠歌
弥陀仏の世界をたづね聞きたくば西の林の寺へまいれよ



22.摩尼堂(46番) 本尊薬師 二日町(現 岩手県紫波町二日町古舘170)

摩尼堂(まにどう)の案内版がありますがお堂が見つからないので、紫波町教育委員会にお聞きしましたら「かつて二日町字御堂前にあったものを走湯神社境内に移したと聞いております。その経緯については定かではありません」ということでした。走湯神社の前には確かに「摩尼堂」の案内板はありますが、お堂は建てられておりません。紫波町としては、把握してないとのことです。


摩尼堂の案内板




走湯神社



御詠歌
極楽と浄瑠璃世界たくはへば受くる禍楽はむくひならまじ



23.運松坊(42番) 本尊大日 二日町(現 岩手県紫波町二日町御堂前70)

ここには御堂は無く、観音様は家の中に安置していうるようです。尋ねたときは留守でした。







御詠歌
草も木も仏になれる仏木寺なほたのもしき鬼畜人天


次回は国道4号線を北上し矢幅町、盛岡市とまわります。


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啄木の歌

たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その7)

署名 石川啄木
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