たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡市所在文化財(7)

2022年11月04日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

国指定文化財には、(1)有形文化財、(2)無形文化財、(3)民俗文化財、(4)記念物 があります。

このうち、盛岡には、国指定無形文化財はなく、前回までは、国指定有形文化財、民族文化財を載せてきました。今回は国指定記念物を載せます。

 

国指定記念物

記念物には、史跡、名勝、天然記念物があります。今回は史跡です。

 

(10)盛岡城跡    盛岡市内丸

 

盛岡城は三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(南部藩26代藩主)が、慶長2年(1597)、築城を始めたと伝えられ、築城開始から36年後の寛永10年(1633)に南部重直(盛岡藩2代藩主、南部家28代当主)が入城して以降、藩政時代を通じて南部氏の居城となりました。盛岡城は明治の廃藩置県の後、明治5年に陸軍省所管となり、明治7年には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しました。その後、明治39年に「岩手公園」として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。平成18年(2006)には開園100周年を記念し、「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。

 

(11)志波城跡        盛岡市上鹿妻五エ新田

 

 

この場所は、昭和50年代までは「太田方八丁遺跡」とよばれていましたが、発掘調査により、それまで所在地が不明だった古代城柵「志波城」跡であることが判明しました。今から約1,200年前の平安時代に、坂上田村麻呂によって造られた古代陸奥国最北地区の最大級の古代城柵「志波城」です。しかし、雫石川の氾濫により大きな被害を受け、建設から10年ほどで放棄され、新たな城柵「徳丹城」(現・矢幅町)が建設され、その役割を終えました。現在、志波城跡は盛岡市により整備されて「志波城古代公園」になっています。公園内には建物や門、築地塀などが復元されています。なお、盛岡にある国指定記念物の史跡はこの2件です。

 

 

 

 

 

 


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