たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

陸中八十八カ所霊場(2番 熊野堂)

2013年08月22日 | ぶらりぶらり
陸中八十八カ所霊場は明治24年、光勝寺(第88番)の26世赤塚宥天、大興寺(第1番)の30代桐野圓宗、自性院(第77番)の48代斎藤光海の3人でつくったといわれている。当時は四国に行くのは大変だったので、「陸中新四国八十八カ所霊場」として、四国八十八霊場の「本尊」、「御詠歌」をそのまま用い、この地の88カ所のお寺を当ててつくったものです。

2番 熊野堂 本尊 弥陀 上好地(現 岩手県花巻市石鳥谷町好地12地割142)


好地地区にある熊野神社で、本宮熊野神社といわれている。熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社のことで、熊野詣の盛行や熊野先達の活動により全国に熊野信仰がひろまり、全国に熊野三山の祭神を勧請した神社が300ほどあり、花巻だけでもその数は10ほどあります。




熊野神社















御詠歌
「極楽の弥陀の浄土へゆきたくば南無阿彌蛇仏口くせにせよ」 

なお、四国八十八ケ所霊場の二番は「極楽寺」です

極楽寺御詠歌
「極楽の弥陀の浄土へゆきたくば南無阿彌蛇仏口くせにせよ」 
(極楽の浄土に行きたければ、ひたすら「阿彌蛇仏」を)





御詠歌(ごえいか)は、仏教の教えを五・七・五・七・七の三十一文字の和歌で作られ、曲に乗せて唱えるもので、平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つです。この他、七五調の歌詞にメロディをつけた「和讃」(わさん)と、広い意味では両者を併せて『御詠歌』として扱っている。巡礼の行われている霊場にはかならずといってよいほど御詠歌が付随しています。 作者は不明のようですが、御詠歌に親しむことによって、様々な仏の教えを知ることができるでしょう。




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啄木の歌

我が心音もなく泣かゆ何しかもただ言多き君とわかれて

小樽日報 明治40年10月15日号 藻しほ草(21首、その12)

匿名であるが啄木の作品として取り扱われている

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