たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡出身の内閣総理大臣

2013年07月06日 | ぶらりぶらり
参院選公示
参院選が公示され、21日が投票日になりました。岩手選挙区は定員1名です。面積からすると岩手県の小岩井農場だけでも東京山手線の内側の面積ほどあるといわれるし、岩手県全体の広さは四国4県合わせた広さと同じほどあります。この広さを候補者が運動するのも大変ですね。1票の重さをしみじみと感じるのでしょう。
ところで、岩手県からは内閣総理大臣が4人出ています。そのうち、盛岡からは2人で、原敬と米内光政です。2人とも盛岡市内のお寺でねむっています。

原 敬
原敬はわが国最初の本格的政党内閣を実現し民主政治の確立のため活躍しました。原敬は大正7年9月29日、第19代内閣総理大臣に就任しました。原は、衆議院に議席をもった最初の首相であり、爵位を持たなかったことで、平民宰相と呼ばれていましたが、大正10年11月4日東京駅で暗殺されました、享年66歳でした。
暗殺から1週間後の11月11日に、遺言によって、原敬の葬儀は故郷盛岡で行われた。
盛岡市の市内の原家の菩提寺である大慈寺に埋葬され、墓石には、ただ原敬の2文字のみが刻まれています。
大慈寺:盛岡市大慈寺町5-6




大慈寺



原敬の墓




原敬記念館  盛岡市本宮4-38-25

原敬記念館は原敬の生家に隣接して建設された記念館です。記念館には、原敬の業績をたたえ政界の貴重な資料や原敬日記、遭難時の衣服、遺品、遺墨等が展示されている。



原敬記念館


原敬生家・記念館入り口


原敬生家


記念館と原敬句碑


わけ入りし霞の奥も霞かな
原敬




米内光政
昭和15年に第37代内閣総理大臣に就任したが陸軍の反対に遭い半年後に退任している。米内は昭和23年に亡くなり、盛岡の円光寺に眠っている。
(円光寺;盛岡市南大通3丁目11-49)
お寺を訪ねた時にたまたま鐘がなったので見てみると人影がありませんでした。聞いてみると朝昼晩と1日3回自働で鐘をならすのだそうです。



円光寺


米内の墓



円光寺の梵鐘



米内については先人記念館に銅像があり、詳しく説明されている。先人記念館は盛岡駅2階の西口通路から出て雫石川を渡るとすぐです



先人記念館


記念館内の米内の銅像



また、米内の死後12年を経た昭和35年、盛岡の八幡宮境内に背広姿の米内の銅像が建てられた。



米内の銅像






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