啄木の釧路での出会いに小奴がいます。芸妓小奴は料亭「しゃも寅」専属の芸妓で、啄木は彼女との思いを『一握の砂』に数多く詠んでいます。小奴は後に旅館を経営しましたが、この歌碑は小奴が経営した近江屋旅館跡に建立され、子奴碑として知られています。
小奴碑
小奴碑
碑文
明治41年1月21日石川啄木は妻
子をおいて単身釧路に来る
同年4月5日当地を去るまで釧路新聞
社に勤め記者として健筆をふるへり
あはれ国のはてにて
酒のみき
かなしみの滓を啜るごとくに
当時の生活感情を啄木はこのようにう
たう
当時しゃも寅料亭の名妓小奴を知交
情を深めり
小奴といひし女の
やはらかき
耳朶なども忘れがたかり
舞へといへば立ちて舞ひにき
おのづから
悪酒の酔ひにたふるるまでも
漂浪の身に小奴の面影は深く啄木の心
をとらえ生涯忘れ難き人となれり
小奴もまた啄木の文才を高く評価し後年
旅館近江屋の女将となり七十有余年の
生涯を終るまで啄木を慕い通せり
今 此処小奴ゆかりの跡にこの碑を刻
み永く二人の追憶の記念とす
昭和41年11月
小奴は「料亭しゃも寅」の専属の芸者でした。現在、「しゃも寅」跡には啄木歌碑が建立されています。
料亭しゃも寅跡の歌碑
火をしたふ蟲のごとくに
ともしびの明るき家に
かよひ慣れにき 啄木
啄木が酔って、よく飲んだといわれる「しゃも寅」の井戸は今も冷水が湧き出しているようです。
「しゃも寅」の井戸