なんで今という感じだけど、こんな記事が目にとまった。
桂枝雀は私も大好きな落語家だけど、やはり多くの人がそのすばらしさを感じていたようだ。
彼の落語は、落語にとどまらないエンターテインメントとして成立していたような気がする。
引用した記事は朝日コムとしても異例に長いのでは?
私も少し多めに引用させていただく。
asahi.com(朝日新聞社):桂枝雀は終わらない - 落語 - 舞台
桂枝雀は私も大好きな落語家だけど、やはり多くの人がそのすばらしさを感じていたようだ。
彼の落語は、落語にとどまらないエンターテインメントとして成立していたような気がする。
引用した記事は朝日コムとしても異例に長いのでは?
私も少し多めに引用させていただく。
asahi.com(朝日新聞社):桂枝雀は終わらない - 落語 - 舞台
お笑い芸人の山崎邦正(41)は、枝雀ファンを公言する千原ジュニア(34)や東野幸治(41)の勧めで2年ほど前に、初めて枝雀のCDで落語を聞いて衝撃を受け、落語に取り組み始めた。今では月亭方正として、実際に高座にも上がっている。
国立大中退という当時の上方の噺家では珍しい経歴で、桂米朝(83)に入門したのは21歳。関西では笑福亭仁鶴(72)らのタレント落語家が人気を極めていく。SR(ショート落語)でシュールな笑いを発信するなど持ち前の知の勝った高座に熱心なファンはいたが、地味な存在だった。転機は33歳、思わぬ形で訪れる。うつ病で突然、舞台に上がれなくなる。復帰後、家族の支えも受け、生き様と芸風を重ねあわせるかのように変身を遂げた。「ネクラ」な素顔に「笑いの仮面」をかぶり、「萬事気嫌よく」と色紙に書いた。同時におなじみの爆笑スタイルを確立する。
独特のパーソナリティーに基づいた落語は一代で完結したとも言えるが、その手法は一門を超えて受け継がれている。笑福亭鶴瓶(57)は亡き母との思い出からつくった私落語で、生年月日と出生地の住所から語り出す。枝雀のマクラから採り入れた。「ネタをつけてもらったらどうなるか考えながら稽古している。お守りのように思って、枝雀師匠の手ぬぐいを持って高座に出ることもあるんです」