梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之旅日記’07 『<勧進帳のふるさと>へ』

2007年09月03日 | 芝居
京都から<雷鳥9号>で石川県小松入り。【こまつ芸術劇場うらら】にての2回公演でした。
初めて訪れる会館ですが、本花道や桟敷席がある本格的な劇場。楽屋も立派でお風呂も広く、とても居心地が良かったです。
小松は、いわずとしれた『勧進帳』の舞台、安宅の関があった土地。つい最近も《俳優祭》で、ご当地の学生さんたちが素演奏で『勧進帳』を披露しましたね。駅前には写真のような銅像が建っておりました。

久しぶりの巡業も、だいぶ感覚を取り戻してまいりました。荷開け荷造りもさることながら、行く先々、全然違う舞台寸法、機構の中で、いちいち稽古をせずとも本番をこなしてゆく“勘”みたいなもの…。常に新鮮な気持ちで演じられる、と申したら、じゃあ普段の公演はどうなんだ、と突っ込まれてしまいそうですが、こういう公演でしか味わえないドキドキ感というものは、確かに存在いたします。巡業一座のテンションが、常にもまして上がっているのも、そういう理由かもしれませんね。

さて、今日は『戻駕色相肩』のことをちょっとだけ。
石川五右衛門と豊臣秀吉(芝居では真柴久吉)が駕篭かきになっているという設定からして、いかにも歌舞伎の古風な踊り。東西の廓自慢や遊客風俗を、洒落っ気たっぷりの常磐津節にのせて踊るわけですが、今回は幕切れの演出を少々変えております。
普段ですと、踊りの途中で、浪花の次郎作(実は石川五右衛門)と吾妻の与四郎(実は真柴久吉)の懐から、<勘合の印><千鳥の香炉>という二つの重宝が落ちて、双方「これは…!」と気味あいになるのを禿が割って入り、ちょっと立廻り風の振り事になり、幕切れとなるのですが、今回はお互いが本名を名乗り合う台詞、そして衣裳の<ぶっかえり>、最後は久吉が長十手と捕り縄、五右衛門が刀を抜いての立廻りをみせて幕となります。
見た目の変化もつき派手になりますし、普段ですと筋書きでしか説明されない二人の素性も台詞で聴くことができますから、親切な演出だと思います。にしても奇抜すぎる筋立てですが、まあ天明年間の顔見世狂言のなかの所作事ですから、大目に見て頂きたいものでございます。

与四郎が、自分の廓遊びの場所は、『江戸町、新町、河岸でなし…恥ずかしながらフグ汁よ』と謎をかけ、それをうけて次郎作が『ムム、鉄砲か』と星をさすその<鉄砲>は、吉原の最下級の見世<鉄砲見世>のことで、50~100文で短時間の売春をしていた所。病持ちの女郎が多く、<当たれば死ぬ>ところから、鉄砲だとかフグだとかいうわけです。

与四郎と次郎作との二人の踊りで使う羽織りには、「以上」という字が柄としてついていますが、何故「以上」なのかしら? 一説には太夫からお客への品ですので、もとは「進上」だったのでは? というのを聞いたことがあるのですが、羽織りを見ての与四郎の台詞には「しかも、以上と書いてある」とありますから、この点はどうなるのか? 謎でございます…。