goo blog サービス終了のお知らせ 

「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

諸々・・・20150718

2015-07-18 14:36:16 | 当直室日記
てにをは が最近もっと怪しくなってきたけぶです<(_ _)>

諸々すこし・・・

=渡さんの心筋梗塞=

周りでも聞く心筋梗塞で渡さんも入院・手術。
もう退院なさったようですが、リハビリが必要なようです。

73歳なので、まだお若いと思いながらも、さすがにいろいろ心配しなければならない部分も出てくる訳で、是非にもご自愛いただきたいですね。

しかし、心筋梗塞って突然発症することが多いので我々中年以上は動脈硬化には気を付けないとならないですね。
タバコ吸いは特に・・・。

=相棒の新相棒決定=

スクープ報道通り、反町隆史氏になったようです。
最近は落ち着いた演技が目立つ反町氏が、亀ちゃん系になるのか、尊先生系になるのか、また新たなジャンルを開拓するのか、愉しみではありますが、スクープ報道では社美彌子にパトンタッチするための繋ぎ的な存在とも云われていますので、もしかすると西部署のオキのように「余命云々」などの設定付かもしれません。

何はともあれ、あのカイト逮捕最終回の「問題バラマキ」をどう吸収解決して新シーズンを始動させるのか、石坂浩二さんも出演されるそうなので、そちらも注目かも知れません。


=特別機動捜査隊=

東映チャンネルの放送は、1971年に突入、OP(セドグロが230に変わるまでごく短い放送バージョン、ミュージックファイルのキャプチャ画像はこれ)もテーマ曲も更新、本編も前年放送予定だったと思われるものを除いてほとんどBGMが新曲になり、ナレーション入り作品が少なくなり、森事務員が消え、香取刑事が消えた代わりに、笠原刑事がその後釜のように活躍し、山口刑事が出ずっぱりで活躍(代わりに石原刑事の活躍が減り)「山ちゃん」2人体制になり、相変わらず立石班は地方ロケ中心(慰労の意味でも、既に#300ごろから始まっているので、西部署より長い全国縦断?)で、とうとう全員スキーウェア姿を披露、畑野刑事はやさぐれ(^_^;)、橘の長さんはチョッキを着たり、牧さんが立石班より藤島班や三船班で活躍するようになり、ガンさんがカラーシャツを着るようになり、内藤刑事が関西弁をやめ・・・というよりは、各刑事のセリフが多くなった感じで、来る新編成に備えていますが・・・オリジナルメンバー含め、これまで活躍してきた刑事たちが一斉に消えるのはかなり寂しい・・・2人山ちゃんも呑んべえの小太り刑事の2人も、いぶし銀の橘長さんも牧さんも消えてしまうわけですし、活き活きと潜入捜査を敢行する立石主任も見られなくなるわけですから・・・。
この時点で、森山周一郎さんがゲスト枠に戻ってしまうし、記者トリオもコンビ状態なので、既に新体制化は進んでいるわけですが。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私にとっての裕次郎さん・・・

2015-07-18 08:39:57 | 回顧
1987年7月17日、裕次郎さんのご逝去を報じる臨時ニュースが流れた時は、全身の力が抜けました。
確か、「夕焼けニャンニャン」観ていたと思います。

それから各局で裕次郎さんの追悼番組を放送、テレ朝が一番力を入れていたと思いますが、当時太陽ロスだった私は、日テレに注目していて、あれは週明けて月曜日か火曜日だったか、午後のひるさがり放送の「酒井広のうわさのスタジオ」。遺影に選ばれたのは♯665クライマックス、そしてコメントゲスト、当時は既にこういう番組にはめったに顔を出さなかった露口さん、そして辰平さん、木之元さん、岡田P氏という豪華な出演陣・・・・この面々を見たときには既に号泣してました・・・。
VTRのチョイスは最終回のインタビュー映像中心に名場面(#1~)で構成、さらにBGMも的確に選曲されていたことから、もしかすると太陽スタッフが編集に関わっていたのではないかというぐらいの出来でした。
露口さんの長い「間」とか、辰平さんの毒(タバコ)のはなしとか、辛さがダイレクトに伝わってきて、こんな辛い追悼番組、後にも先にもありませんね・・・。
最終回の7分間アドリブも放送され、沖さんの話にも出てきて・・・。
露口さんにとっては、裕次郎さんは「永遠のボス」だと・・・。
恐らく、露口さんとしては、この番組で裕次郎さんの追悼をする側の筆頭としての役割を以て、「一個人・露口茂」が公に太陽を語るという事に終止符を打たれたのではないかと思っています。
それに、太陽を語るということは、必然的に裕次郎さんの事を語らなければならないので、その辛さもあるのかもしれません。
露口さんが、DVDのインタビューに参加されないのは、そのあたりも原因にあるのかもしれません。


と、命日を過ぎてしまいましたが、そんなことを想い出して・・・。


私の世代は、裕次郎さん=ボスという方が多いですが、私はちょっと違うかも・・・(^_^;)
本放送当時、北海道の日テレ系・日曜日の午後2時ごろからは、1960年代の映画をバンバン放送していました。
そこで日活作品が多く放送され、映画全盛期の裕次郎さんのお姿は馴染みがあったことと、文句なく太陽本放送当時は、トップ大スターという地位はごく自然だったので、裕次郎さん=トップスター というのが個人的には当たり前であり。
それに、もう一つあるのが。
石原プロ自体が報道やテレビに理解があり、ワイドショーなどの取材を積極的に受けていたというのもあるのかもしれません。梨本さんを筆頭とするレポーターとも友好的な関係を保っていたことから、仕事も遊びもダイナミックなところを取材させていたということで、観ている側に強烈な印象を残していました。
なので、そういう意味でもなじみ深い存在ではあったと思います。

追悼番組で、辰平さんが、死ぬ順番があべこべになった、若すぎますと項垂れたのが・・・・本当に項垂れました。

ちょっととりとめのない書き方になってしまいましたが、済みません、書き逃げします<(_ _)>

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする