「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

「踏絵」としての福島原発事故:「見なくていいんだよ」という誘惑とどこまで向き合えるか

2015-04-27 20:28:42 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
本来ならば昨4月26日分拙ブログに書くべき内容だったのだが、
文字にするのに(なるのに)多少の時間を要した、ということで、ご容赦いただきたい。

29年前の1986年4月26日、旧ソ連、現在はウクライナのキエフ近く、
チェルノブイリ原発4号炉がメルトダウンの後爆発、今日に至るも、人類史上最悪の原子力災害となった。
国際原子力事象評価尺度(INES)で最悪のレベル7の出来事だった。

ちなみに、尺度の認定は当事国で決められるとのことだが(日本の場合は原子力安全・保安院)、
福島原発事故は当初レベル3、翌日レベル4、水素爆発後の18日でもレベル5、
1ヶ月が経過した4月12日にようやくレベル7と発表しているのだから、お話しにもならないのだが……。
そこに甘い甘い誘惑の徴候を読み取ることも出来るだろう……。

自分の頭でモノを考えようとする限り、見たくない現実を(見たくない現実も)直視せざるを得なくなる。
見たくない現実の一つの典型が、福島県双葉郡と南相馬市を突っ切る国道6号の両側に広がる風景である。

旅の途中の一昨日4月25日(土)、全線開通なった常磐道を突っ走ることはせず、
広野ICから南相馬ICまで下道(国道6号)を走った。

過去3回は、許可証を持たない者ゆえ(手続きを取ることも考えたのだがそこまでの必要性はないと判断)、
6号を南下して北の際の検問所まで行ってUターン、その後逆コの字を描いて大回りし、
今度は北上して南の際の検問所まで行ってUターン、だったのだが、今回はしっかりと踏破する。

快晴の中、自分の前にいるかバックミラーに映っている、あるいはたまにすれ違う車を除いて、
人気のないゴーストタウンと化した帰宅困難地域を縦断する国道6号を走る。

玄関前にバリケードが作られている。
泥棒が入ってこないように、ということなのだろうが、同時に家人をも締め出しているように思われてならない。
少なくてもそこは、長期に渡って人が住む場所にはならない。

……。

そういう場所が今の日本に厳然と存在しているということ。
この事実を抱え続けるにはエネルギーがいる。
帰宅困難区域を縦断して感じたことは、その必要なエネルギーの大きさだった。

考えたくない。考えずに済めば、少なくても別のことをやっていれば考えずに済む。
そして何より、かつて百も承知でレベルを過少申告したように、あるいは
「アンダーコントロール」と政治指導者が恥も外聞もなく大嘘こいたにも関わらず
あたかも「無粋なことを言うな!」とでも言いたいが如く誘導するメディアと、
もちろんその背後にある、彼らに業務を依頼している国がある。

アンダーコントロールという言葉に「どうせ政治家の言うことだから」と目くじら立てず、
楢葉の、富岡の、大熊の、双葉の、浪江の、南相馬の、国道6号の両側に拡がる光景は見なかったことにして、
現地踏破する時間があれば、その時間は助成金の申請書類を書くことに費やしなさい……。

そういう活動をすれば楽なのだろうなぁ……、と、
つまりは「悪魔に魂を売れば」あるいは「金に心を売れば」、
代理店さんも一生懸命「この話は見なくていいんだからね」とばかり、
同じ防災・危機管理に関連する分野でも薄っぺらく安っぽい話で盛り上げようとしている訳で、
それに乗れば楽なのだろうなぁ、と、かなり真剣に考えてしまった。

考え続けることにはエネルギーが要る。反面「見なくてもいいんだよ」という声は強い。
そこに金もついてくる。

そのことを再確認出来ただけでも、踏破した価値はあったのだと思っている。

表題に掲げた「踏絵」としての福島原発事故。
この「踏絵」という言葉が出てくるのに時間がかかった。
私達は「踏絵」を迫られているのだな、と。

ただ一つ、幸いなことがあった。

そういう「踏絵」の場に立たされた時、何を基準にどう動くべきか。
その己の処し方について、30年近い前のことだが、幸いにも答えを示してくれた人に出会えた。

あなたが何かを知っていて、それでいて行動に移さないならば
あなたは内側から腐敗するのみである。

E・F・シューマッハー


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