学期開始前の、まだスイッチが入っていない段階であるが、
幾つかのことを思い出したりしている。
例えば、30年以上前のことだが、母校の国際法の先生が言っていた、
教壇に立つにあたっての、インプットとアウトプットの割合の話。
10対1だったか100対1だったか、肝心なところを覚えていないのだが、
ともあれ、耳に入ったことをそのまま口に出すような、
そのレベルでは通用しない世界だということは、十分教わったように思っている。
ただ、防災学27年生になっての経験が教えてくれていることは、
耳学問にも大きな意味があるのだ、ということ。
もちろん、耳学問で教わったことをただそのまま伝えるのではなく、
多少の解釈や周辺情報も含めて、つまりはより大きな文脈の中で伝えられるようでなければ、
プロとは言えない、という話ではあるのだが。
関係する分野が広いだけに、自分の学びだけではインプットの量が足りない。
周辺分野の情報を教えてくれる方々からの刺激もインプットとして、
ただ、それを、より大きな体系の中に位置づけたうえでアウトプットする、
考えてみれば、そうやって、教員生活を生き抜いてきたのかもしれない。
インプットが細くなればアウトプットの質も量も下がってくるのは当然のこと。
本を買うだけで満足していないか、人と会うだけで満足していないか。
その辺りを己に問いかけ続けなければ、期待するだけのアウトプットは出せない。
ワークショップという、現場力が問われるものについては、何とでもなるだけのものは持っているつもり。
問題はそれ以外の部分。
インプットとアウトプットの比。段取り。書いて残すということ。等々。
来週後半から前期が始まる。
まだまだ休み気分が抜けていない。心しなくては。
幾つかのことを思い出したりしている。
例えば、30年以上前のことだが、母校の国際法の先生が言っていた、
教壇に立つにあたっての、インプットとアウトプットの割合の話。
10対1だったか100対1だったか、肝心なところを覚えていないのだが、
ともあれ、耳に入ったことをそのまま口に出すような、
そのレベルでは通用しない世界だということは、十分教わったように思っている。
ただ、防災学27年生になっての経験が教えてくれていることは、
耳学問にも大きな意味があるのだ、ということ。
もちろん、耳学問で教わったことをただそのまま伝えるのではなく、
多少の解釈や周辺情報も含めて、つまりはより大きな文脈の中で伝えられるようでなければ、
プロとは言えない、という話ではあるのだが。
関係する分野が広いだけに、自分の学びだけではインプットの量が足りない。
周辺分野の情報を教えてくれる方々からの刺激もインプットとして、
ただ、それを、より大きな体系の中に位置づけたうえでアウトプットする、
考えてみれば、そうやって、教員生活を生き抜いてきたのかもしれない。
インプットが細くなればアウトプットの質も量も下がってくるのは当然のこと。
本を買うだけで満足していないか、人と会うだけで満足していないか。
その辺りを己に問いかけ続けなければ、期待するだけのアウトプットは出せない。
ワークショップという、現場力が問われるものについては、何とでもなるだけのものは持っているつもり。
問題はそれ以外の部分。
インプットとアウトプットの比。段取り。書いて残すということ。等々。
来週後半から前期が始まる。
まだまだ休み気分が抜けていない。心しなくては。