「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

障害を持つ者が当たり前に在宅で生活できる地域づくりと、彼らの防災への誘い(その2)

2015-04-13 23:08:06 | 障害者防災
昨日(4月12日)午前、静岡県地震防災センターで行われた、
前大分県社協ボランティアセンターのMさんをお招きしてのミニミニ研究会での議論、
その続きをご紹介しておきたい。

今後の活動について問われたMさんは、

障害者防災を追い続けて、それを形にすることが出来れば、それは、
障害者のみならず、「すべての人たちが安心・安全なまちづくりになるのだ」ということ、
まずはそのことを一般市民の方々に理解してもらえるような、
座談会やタウンミーティングのようなことをやっていきたいと思っている。

と、述べて下さった。

「地侍」であればこそ出来る話なのだろうが、やはり「ひざ詰めで」議論してこそ、
新しい動きを作り出すことが出来るのだろうなぁ、とは思った。

大分には、障害者、健常者を越えて、いろいろな立場の方々が集まり、
障害者の防災を考える場があるのだそうな。
行政の職員も、個人的に関わっている、とのこと。
だからこそ、共通の目標を達成するためのチームが出来た、という話であり、
そういうチームがあればこそ、行政との間が非常に近くなっている、とのことでもあった。

考えさせられるところ、大であった。

0から始めるのはなかなか大変だろうが、幸いにも母体となる場があったのだそうな。
で、その場にMさんが加わり、さらに、変わった職員やセンスの良い職員を連れて行くと、
彼ら彼女らが「はまってくれて」「楽しくなるとどんどんやってくる」とのこと。

Mさんはあっさりと言ってくれるが、そしてやってのけたが、
そういう好循環をどうやって作っていけばよいのだろうか。

西宮のIさんは、何回か大分に通い、Mさんと一緒に活動したとのことだが、
このようなMさんの話を聞き、自らの訪問体験も含めて、
「いろいろな人を巻き込んでいく場」「広く他職種にきてもらう場」「お披露目の場」
「コアメンバーによる問題検討の場」等々、多層的な活動が展開されていたことを、
大分の特長ではないか、と説明してくれた。

有識者も、人格者も、市民社会を支える方々も、
「自分ごと」の「社会課題」として考えてくれていた、という。

それだけの場を、また人間関係を、どうすれば、
作り、維持し、発展させていくことが出来るのだろうか。

そもそも論を言えば、
「(障害者であれ誰であれ)地域で共に生きる」ということ、
この「共に生きる」にあたり課題があること。そのことに取り組まなくてはならない、ということ、
「旅の坊主」はそれらのことを、どこまで、「自分ごと」として受け止めているのだろうか。

「自分ごと」として受け止めていなければ、
その辺りにころがっている有識者と何ら変わらない訳で……。

我が身を振り返るに……。

静岡県立富士特別支援学校高等部や、同じく御殿場特別支援学校高等部、
静岡県立富士見学園という知的障害者の入所施設、
そして、幾つもの当事者団体……。
これらから、防災について話をしてほしいと頼まれ、実際に赴いたこともある。
しかしそれらの訪問も、というより「共に生きる」にあたっての課題を見せられても、
静岡県東部では地侍であるはずの「旅の坊主」であるはずなのに、
「チーム○○」の一員として、自分に出来ることを提供しよう、とは
なっていなかったようであった。

大学教員にとって、知恵を提供するのは生活の延長であって特別なことではない。
ましてやテーマは防災。一般市民の防災リテラシーですらかなり危ういのに、
当事者の防災リテラシーが平均的にどの水準にあるのかは十分理解しているはず。
とすれば……。


本当に質の良い話し手は、己の経験を語りつつも、聞いている者に対して、
「あなたはどうですか?」との問いかけを、それと語らずに、問い続けられるものらしい。

というので、Mさんのお話しは、「旅の坊主」が果たすべき役割を果たしていないではないか、
ということを、それと語らずとも問いかけるものでありました。

まだまだ書き足らないところ。
というので、もう数回、このネタでお付き合いいただくことになるみたいです。