「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

障害を持つ者が当たり前に在宅で生活できる地域づくりと、彼らの防災への誘い(その5)

2015-04-18 23:33:45 | 障害者防災
先週日曜日午前の障害者防災についての濃いぃ議論、まだ紹介し切れていない。
というので、もう少し、この話題にお付き合い下さい。

※ 昨日の更新時、ブログのカテゴリーに「障害者防災」を加えました。
というので、これからは、この種の話題はこの「障害者防災」でくくることにします。
その1からその3についても、この機会にカテゴリー分けを変更しました。

Uさんからの問題提起に、こういうものがあった。

「当事者だから、という意見(小村注:主張・要望・要求・反論等)がどこまで通るのか。
当事者の言うことだから聞かなくてはならない、と言われているようだが、
必ずしもそうではないのではないか?」

こういう直球での議論が出来るメンバーが集まっていたことに、改めて感謝したい。

Mさんからは、以下の主旨の発言があった。

障害者の方の中には、
(小村注:Mさんの発言には具体的な障害種別への言及があったのだが、その部分は小村の判断で外しました。)
「(自分は)障害者だから何もかもやってもらう(やってもらえるのだ)」という感覚で臨んでいる人もいる。
個人的な必要の範疇、また、障害のあるなしに関係なく自分でするべきことがらであっても、
「障害者だからやってもらえるのだ」と思っている人が(それなりの人数・割合で)いる。

「(障害のあるなしに関係なく自分でするべきことがらを)そこを皆さん方はやれていませんよ」
「皆さん方の主張は少しおかしいですよ」

Mさんからすれば、そういう議論ができる関係性を作っていくべきであり、
またそういう関係性こそが、障害を持つ者が当たり前に在宅で生活できる地域には必要不可欠、なのだ、という。
なるほど、おぼろげながらイメージしていたことではあるが、
そこまではっきりと意識していなかった「旅の坊主」がいた……。

障害を持つ方々の側には、「自分は○○までは出来る」というラインを示してもらいたいこと、
また、(丸投げ/やってもらって当たり前、ではなく)「○○をしてもらいたい」ということを、
しっかり言葉で説明できるようになっていてもらいたい、と。

言葉で説明できるようになっていれば、外部支援者にも、何をすればよいか、ある程度は理解できる。

普段から接している支援者であれば、何を支援してもらいたいのかを理解している訳で、
最適な支援を作り出すことが出来よう。
しかし、災害時などで通常の支援者が対応できなかった場合、
運よく別の外部支援者が見つかったとしても、
初めて関わった人が、障害を持つ自分に最適なものを提供してくれるかどうかは、当然、わかるはずもない。

障害に個差は大きく、当然のことながら出来る範囲も、出来ないが故に他者に望む範囲も異なる。
だからこそ、しっかりと言葉で伝えられるように、と。なるほど、そりゃぁその通り。

そして支援者との関わりの中では、少なくても平常時においては、
当事者が言っていることすべてを鵜呑みにするのではなく、
おかしいことをおかしいと言える関係性を作っておけるように。

あるべき姿はその通り、と思いつつ、一朝一夕に出来る話でないことは明らか。
それでも、求められる方向性はこういうことなのだろう、とは思った。

当事者の側に求められることは他にもあるのだろうが、それはまた改めて。